プレ皇室研究: 奈良湖!?
神武天皇の時代に、奈良湖があったのかどうかという話があった。
大阪湾がもっと入り組んでいたのは、知っていたが、奈良湖は知らなかった。まあ、昔と今とでは、だいたい昔のほうがより海が陸に入り込んでいるのだ。なぜなら、2千年のうちにどんどこ土砂が運ばれて、だんだん浅瀬になってしまうのだ。
九州の糸島市もけっこう海だったのだ。
「神武東征って奈良湖の存在や河内潟を推測させる記述からかなり年代を絞り込めるんですよね。当時と現在とでは地形が全く変わってしまっている場合が多々あるので、現在の地図をもとに考察してもあまり意味が無いんですが、本職の学者さんでも当時の地形を考慮していない方がいるのは・・・残念としか言いようがないですね。」
なるほど、まあそうですね。
「この後、弥生時代に入ると遺跡はかつて奈良湖の水面下にあった場所にも、多数築かれるようになります。
つまり、奈良湖は縄文時代の終わり頃まで存在していたものの、その後徐々に水が引いて干上がっていき、弥生時代には湖が小さくなったり沼として残ったりして、そこで農耕が行われるようになった、と考えられるのです。」
神武天皇東征のときには、だいぶ干上がってるじゃん。だって、ナガスネヒコたちは生駒あたりに住んでいたみたいなので、生駒周辺は山もあるので、陸地なのだ。
あ、でもけっこう船ででかけてるんだ。
でも、海とは限らないし、大阪から奈良にかけては大和川が今でもあるのだ!!
これは勉強になりますね。
これだと生駒山の麓まで船でいけますね。そこから、川で大和湖(奈良湖)に入れますね。そして湖の近くは橿原ですね。木材とかも運びやすそう。
(まあ、これよりは水の部分は減ってそうですが・・・。)
そういえば、今でも真ん中あたりは水田なんですけども、湿地っぽいんですのよ。台風だとよく水浸しになるんですわ。
これは現在の奈良県ですが、左上から右に流れているのが大和川です。
左に行くと大阪湾に出ます。昔はこれがもっと太い川で湿地と湖につながっていたことになります。
生駒山はこの地図のもうちょっと左上です。
右下のほうは、橿原にいきます。
竹田先生だ。
そういえば、関東もなかなかいい神社があるんですのよ。
まあ、九州ほどは古くないですが、8世紀とか9世紀とかもあるんですわ。
神棚に猫がーーー!!www
あれ? 小さい鏡がついてるー!!