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国内で最古の文字 と、硯の出土
国内で最古の文字の記録は、4世紀だそうです。
そういえば、何年か前にニュースがありました。「田」のようです。水田の田とかでしょうねえ・・・。農耕だから当然といえば当然ですよね。
それ以前に、硯石らしいものが九州北部で出土しています。
https://www.daido-it.ac.jp/~doboku/koto/koukogaku/gaku16.html
まあ、そもそも中国の使者とやりとりしてるんだから、それなりに言葉、文字は覚えていっていたのでしょう。
金印もらって、「読めないー」じゃあ困るってことでしょう。
数年で、文字も覚えたのではないでしょうか?
硯関係のニュースをリンクします。
「福岡県行橋市の下稗田遺跡で出土していた板状の石3点が弥生時代中期前半ごろのすずりとみられることが9日、分かった。各地の出土品からすずりの有無の再検討を進める国学院大の柳田康雄客員教授(考古学)の調査で、これまで同県糸島市や朝倉市などで弥生時代中期中ごろのすずりを確認しているが、今回はさらに古く国内最古級という。
同遺跡は1979~83年に発掘調査された弥生前期-中期の大規模集落跡。土器や鉄器などのほか約50点の砥石(といし)が出土品として調査報告書に記載されている。柳田教授は9月下旬に行橋市を訪れ現物を確認し、3点はすずりの可能性が高いと判断した。
板石は上端4~8センチ、下端6・3~7センチ、長さ7・7~9・8センチ、厚さ1~1・4センチの台形など。表面に炭をすってできた溝のようなくぼみがあり、周縁に炭粒の痕跡があったことから、すずりとみられるという。
柳田教授は、同時期のすずりは福岡、佐賀県の玄界灘沿岸に多数あるとみており「紀元前2世紀(弥生時代中期前半ごろ)に、九州の東海岸にも高度な文化が伝わっていた証拠」と説明した。
西谷正・九州大名誉教授(考古学)は「年代については慎重な検証が必要だが、瀬戸内や近畿につながる周防灘沿岸でこの時代にすずり文化が定着していたと裏付けられれば意義は大きい」と話している。 (石黒雅史)」
紀元前1世紀ですね。古いです。
先日来、調べていた皇室の故郷 糸島市からはちょっと離れますが、九州北部には間違いありません。
こういうものが市内から出土しています。
その前のは糸島市からも出ています。
これは半世紀ほど、新しいのかもですね。
「国内最古級の硯(すずり)を新たに発見か――。国学院大の柳田康雄客員教授(考古学)は、福岡県糸島市の御床(みとこ)松原遺跡の遺物で「石鍬(いしくわ)」と報告されていた打製石器が方形板石硯の未製品であることを確認した。一緒に出土した土器の年代などから国内最古級の弥生時代中期前半(紀元前150年ごろ)のものと判定し、11月末に開かれたオンラインの九州考古学会などで発表した。」
「古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都だったとされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀~紀元後3世紀)のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。同市教育委員会が1日、発表した。
弥生時代のすずり発掘は国内2例目。市教委は「魏志倭人伝は伊都国で文書が取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、日本の文字文化が伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。
破片は長さ6センチ、幅4.3センチ、厚さ6ミリ。実際に使用されたようなすり減りがあり、市教委は墨が使われた跡がないか詳しく調べる。当時のすずりは板状で、水と粉末や粒状の墨を乗せ、取っ手を付けた薄い正方形状の「研石」ですりつぶしていたという。
昨年12月、弥生~古墳時代の人々が不要になった土器を捨てたとみられるくぼ地を調査して見つかった。ここでは中国・前漢が朝鮮半島支配のために設けた「楽浪郡」製の弥生後期とみられる土器が多数見つかっているため、市教委はすずりも同時期の1~2世紀ごろに楽浪郡で作られたとみている。」
やっぱりハイカラなものは、九州北部から入ってきたということでしょう。
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