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プレ皇室研究: 伊弉諾・伊邪那美のハネムーンと小戸の秘密

先日、小戸は、船頭仕事だった伊弉諾にとっては、一種の立ちより拠点の1つという話をしました。
もうちょっと、考えたのですが、伊邪那美が死んだあとに、初めて禊で小戸によったのじゃなくて、その前から朝鮮半島貿易のために、船をキープする支店的に小戸に、仮住居とかあったのかなあと思います。

なので、初めて日本国内に帰って来た時、新婚ハネムーンとしては、沼島にいくのですが、単独で伊弉諾にとっては、職場の出張場所として、小戸に立ち寄り、たまに瀬戸内海のあちこちに、運んできた鉄素材を売りにいく、取引先に持っていくとかで、ちょこちょこ瀬戸内海に出入りしていた気がします。
親たちも、同じように船頭・貿易をしていて、十代のうちから、朝鮮半島ー対馬ー九州北部には、行き来して、海路や操舵法を覚えていた気がします。

それで、新婚になったときに、
「朝鮮半島もやばいし、メインの住居を日本サイドにしよう。どうせなら、結婚するタイミングがいいかな」
くらいのことを思ったのではないでしょうか。

それから、伊弉諾たちが話していた言葉は、おそらく、バイリンガルで、倭人語(日本語)と朝鮮半島の何か言葉(中国語? あるいは馬韓辰韓などで話されていた言葉?)かなと思うのです。

また、日本最古の硯が紀元前150年くらいのもので、行橋市で発見されていますが、おそらくその周辺でもあったはずと思います。紀元前150年というと、私の感覚では伊弉諾が日本に戻って来た時期です。

そして、伊弉諾は船主というか貿易、船頭さんです。荷物を運ぶのに、なんだか、「これは50個ねー」みたいになにか、納品書みたいなものを渡さないと、相手とトラブルになりかねません。

たとえば、奈良時代だと木簡に納品するもの、貢物の種類とか書いてました。

紙はそうまだ一般的ではないので、木簡以外には、竹簡や布などが使われていたようです。つまり、そういうラベルのところに、種類と数だけ、ちょこっと書いて渡すみたいなかんじで、伊弉諾は少なくとも簡単な、漢字は書けたのではないかなと思います。

小戸が、禊のときに初めて行ったようなふうに書かれているのは、「古事記」の時点で忘れ去られていたか、重要拠点なので(つまり仮住居とか、荷物、船の保管所もある)、場所があからさまにわかって、荷物や船を盗まれないように、何度も書かないようにしていた気がします。リスク管理ですね。
それに、ずっと小戸にいたら、「あんたたち、天から来たの、嘘じゃん。ずっと小戸にいたじゃん」と言われかねませんので、神様のふりができなくなるからですね。

次に、「古事記」たちが、すっかり忘れているのは、ニニギの寿命問題です。伊弉諾は、うまいこと「幽宮」といって、「死んだ」のをぼかしました。天照大御神たちは、後でも出てくるので、指揮命令系統は生きていればOKで、個人の命はどうでもいいです。
しかし、何度もその嘘はつけないので、ニニギが天孫降臨してきて、不細工な岩長姫を返して寿命が短くなったということで、「人間化」します。
しかし、ニニギには、兄弟がいます。兄弟たちは、本当に神様で、何百年も生きるなら、岩長姫のようなエピソードはないので、生きていないとおかしいです。
ニギハヤヒは、神武天皇の時代まで生きていることになっていますが、神武天皇にナガスネヒコが負けると隠居するか、その前に死んでしまっています。つまり「神の命は、岩長姫がいなくても、有限だった」ってことです。
実際には、2-3代 ニギハヤヒジュニアがいたわけです。

天孫族のストーリーを作った編纂者は、自分が作った「神様は永遠の命」的な設定をすっぱり忘れているのです(苦笑)。

まあ、嘘をつく場合は、うそつきの当人は、ものすごくケアしないと設定忘れしてしまうのですが、「古事記」「日本書記」でもそういうことだったのです。

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KyoKannazuki21
AI,脳科学、生物学、心理学など幅広く研究しております。 貴重なサポートは、文献の購入などにあてさせていただきます。 これからも、科学的事実を皆様に役立つようにシェアしていきたいと思います。 ありがとうございます!!