プレ皇室研究 えー、どゆこと? 神武天皇、筑紫に向かう。
神武天皇って、糸島に住んでいたんじゃないの?
筑紫城にいたってあるじゃん? 糸島って、筑紫じゃないの?(筑紫は、福岡県全体のあたりと思っていたのですが・・・)
「古事記」にこういうのがある。漢文じゃわからんので、読み下し文を引用する。
「 神倭
伊波禮毘古
かむやまと
いはれびこの命、
その
同母兄いろせ
五瀬の命と
二柱、
高千穗の宮に
ましまして
議はかりたまはく、
「いづれの地ところにまさば、
天の下の政を平けく
聞きこしめさむ。
なほ東のかたに、行かむ」
とのりたまひて、
すなはち
日向ひむかより發たたして、
筑紫に
幸いでましき。」
読み下しでない原文は、これになる。
「即自日向發。
幸行筑紫。」
ひむか、ひゅうが、ひむき どれともわからんですー。
どうももうちょっと狭い地域みたいです。→ 筑紫郡 っていうのが設定がある。
「筑紫とは、どこからどこまでのエリアですか?
筑紫(ちくし)は、福岡県の中西部に位置する地域で、主に以下の市町で構成されています。
筑紫野市
春日市
大野城市
太宰府市
那珂川市
この地域は、昭和の大合併以降の旧筑紫郡に由来し、福岡地方に属しています125。筑紫地域は、自然環境が豊かで、歴史的な名所や温泉地も点在しており、住みやすさが評価されています。特に、筑紫野市は「博多の奥座敷」として知られる二日市温泉があり、観光地としても人気があります47。
筑紫地域は、福岡市のベッドタウンとしても機能しており、交通の便が良く、福岡市中心部へのアクセスが容易です。これにより、人口が増加傾向にあり、地域の発展が期待されています410。」
歴史だ。
「自治体の変遷
1950年10月1日:大野村が町制施行-大野町
1953年1月1日:春日村が町制施行-春日町
1955年3月1日
二日市町・山口村・筑紫村・御笠村・山家村が合併-筑紫野町
太宰府町・水城村が合併- 太宰府町」
えー、たしかに、糸島市が入ってない!!
まあ、こんなふうなのだ。
「律令制下では怡土郡と志摩郡に分かれていたが、1896年4月1日、郡制に基づき両郡を合併させて糸島郡となった[4]。市名の由来となっている同郡の名称は合併前の両郡の名前をつなげて別の字を宛てたものである。旧郡名の由来についてははっきりしないが、怡土については弥生時代にその存在が魏志倭人伝に記述される伊都国との類似性が地理上と音韻上の両面から指摘されており、志摩についても島との音韻上の一致が指摘されている。さらにこれらを裏付けるように、旧怡土郡地区からは大量の副葬品を伴う平原遺跡などの弥生時代の遺跡が数箇所発見されており、同じ弥生時代には旧志摩郡地区も、ごく一部を除いて旧怡土郡地区とは船越湾から今津湾にいたる水道によって分離された状態であったと考えられている。」
「筑紫国(つくしのくに)は、現在の福岡県の旧豊前国(周防灘沿岸部分を除く地域)にあった古代の国で、7世紀末に筑前国と筑後国に分割されました。」
あれー? これだと、糸島入るんじゃないの?
「なお、「筑紫」の名を持つ郡としては、福岡県筑紫郡が存在したが(近代以降の明治29年(1896年)4月1日から平成30年(2018年)9月30日まで)、この郡は御笠郡・那珂郡・席田郡(すべて旧筑前国)の区域をもって発足した。発足当時の郡域は、現在の福岡市の一部と筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市、那珂川市の全域にあたる。このうち、旧筑前国御笠郡原田村(現在の福岡県筑紫野市原田)には、筑紫国造の氏神である筑紫神社(#氏神参照)があり、また、旧原田村に隣接して旧筑前国御笠郡筑紫村(現在の福岡県筑紫野市筑紫)があってこれも筑紫の名を持つ。」
筑紫郡は、古くないじゃん。
熊本にも例の、相良の近くの菊池市にも「日向」(ひむき)っていうのがあるのだ。
Wikipediaから、筑前と筑後を色がつけてあったので、引用。
あー、糸島、入ってますなあ。
ええー、どゆこと????
含んでいたら、いかんの???
それとも、たまたま、別荘みたいに熊本の日向に滞在していたの???
(后の実家と思われる。あ、通い婚だったら、妻の実家に住んでいたりするかー。でも、政務があるやん??? そんなに長くはいられないやん???)
うーんでもまあ、妻問い婚としたら、熊本の日向でもありえるかー。