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プレ皇室研究: 高千穂は高祖山だった。ついでに小戸もあったわ!! やったー!!

原田大六先生の本によると、「日向」は「日向峠」であり、すぐ近くにある「高祖山」が「高千穂」なんだそうだ。
これ、古代の音でいうと、訛ってるだけなんだ。


糸島市の動画より引用



「 その降臨の記述には「筑紫の日向の高千穂のクシフル岳に天降りまさしめき。(中略)ここは韓国に向い、笠沙の御前(みさき)を真来通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり」とある。萱島さんは言う。「この〈筑紫の日向〉こそが日向峠を指しています。高千穂は高祖(たかす)の音便変化で、地元の方は高祖山のそばにある山をクシフル山と呼びます。伊都国は日向峠から昇る朝日を仰ぎ、玄界灘に沈む夕陽に照らされた先、韓国に向いて開いています。このように、きれいに符合するのです」。」



「邇邇藝命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂久士布流多気くじふるたけに天降った。」

クシフル岳もあるってことなので、ここが確実だなあと思いました。

筑紫いうとるやんか。これ、九州だけど、主に北部のことなんだ。

筑紫国(つくしのくに、7世紀ごろまで)は、現在の福岡県のうち東部(豊国の地域)を除いた範囲にあたる。古代の国である。645年の大化の改新と律令制により筑前国・筑後国(令制国)に分割された。」

645年なんて、神武天皇時代よりずっと後なので、それ以前の古代は、筑紫っていったら、やっぱり福岡県周辺ってことだね。

それに南九州だと、韓国にはぜんぜん向かい合ってない。福岡県なら、対馬を隔てて、韓国に向かい合っている。


問題は、笠沙の御前ってことだけど、笠沙に近い名前が近所にあれば、さらにOKなんだがなあ・・・。


赤いのが高祖山、高祖神社、日向峠


糸島市 海に面しているので岬くらいあるだろう


糸島市の町名一覧だが、それっぽいのはなさそう。


ただ、こんなのがあって、神武天皇由来の神社があるようだ。


あー! イザナギが根の国にいって、汚れたので、みそぎをする場所があるのだが、それが、これだ。
「伊邪那岐命が黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれた。」

しかし、今は阿波岐原って宮崎県になってるんだよねえ・・・。ぜんぜん筑紫じゃねーじゃんって思いますね。

→ 追記 「阿波岐原、檍原は同じ意味で「アワ、アオ」は湿地帯を、原(ハラ)は広い土地を意味する。」ということであって、阿波や粟ではないようです。湿地帯っていうだけなので、特徴は表していても地名ではないようです。また、橘のは、おそらく枕詞で「みかんができる温かい、いい場所」っていう程度に思うといいです。
というわけで、残った不明単語は「笠沙」だけになります。小戸はみつけましたので、下記の通りです。

おおーーー!!
夜中の2時までかけて探した甲斐があった!! 
糸島市内じゃないけど、「小戸」があったーーーーー!!
早良区より、海添いの福岡市内西区小戸だ!! ちゃんと海に近い!!
これだー!!

まあ、埋め立てされているので、もうちょっと実際は内側だったのだろう。


あー、すっきりしたわー!!
あるじゃん、あるじゃん。真剣に探せば!!!
もうちょっと調べます。

おおー、小戸神社ってあるじゃん!!
古墳も近くにいくつかあるようだ。

「小戸神社(おど)             HOME blog

鎮座地 〒819-0001 福岡市西区小戸2-6-1 旧筑前国 早良郡  
電話  
旧社格等  無格社  
御祭神  ・大日靈命
 ・手力雄命
 ・栲幡千々姫命
御由緒  小戸神社略記
小戸ハ神代ノ昔伊邪那岐大神禊祓ノ神業ヲ行ヒ給ヒ皇祖天照皇大神、志賀三神住吉三神ノ御降誕アラセラレタル最モ由緒深キ靈地ナリ。往年形バカリノ小祠アリシヲ享保十年(今ヨリ二百五年前)藩主黒田繼高公ノ御造營ニヨリ社殿ヲ建設セラレ、伊勢神宮ノ古例ノ如ク二十一年毎ニ新舊兩殿地ニ交互ニ改築遷坐アリシガ廢藩後姪濱町民ニ於テ之ヲ行フコトナリ最近ハ昭和四年式年ニ當リ改築シ參道及石段ノ修築ヲモナシ盛大ナル遷宮大祭ヲ行ヘリ。
 (平成祭データ)

 小戸大神宮略記
御祭神
 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
 手力雄命(たちからおのみこと)
 栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)
祭日
 一月一日 元旦祭(初詣一日~二日)
 四月第一日曜 例大祭(午前十一時)
由緒
 小戸大神宮は神代の昔、伊邪那岐命が御禊祓(みそぎはらえ)の神事を行われた尊い地であり皇祖天照皇大神を始 め住吉三神、他神々が御降誕(ごこうたん)され、神功皇后の御出師(ごしゅすい)及凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。

 全国の神社で奏上(そうじょう)されております祓詞(はらいことば)の中に小戸の地名が入っております。
 (社頭由緒掲示板より)」

ほーら、ビンゴだったー!!


追記
小戸妙見神社

近くにこの神社もあるのだが、もっと後の奈良時代くらいらしい。仏教の影響がうかがえるので、古代日本ではない。
でも、観光にいかれる方はここの公園は景色が素晴らしそうなので、リンクしておきます。


ついでに、これは宮崎県の神社。

「江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわぎがはらちょう)にある神社。式内社で、旧社格は県社。

祭神
主祭神 伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)
配祀神 伊邪那美尊 (いざなみのみこと) - 寿永2年(1183年)の増祀。」
「当社近くの「みそぎ池」が伊邪那岐尊が禊を行った地と伝えられ、かつては入江であったが、後に開墾されて「江田」と称されたという[2]。なお上記の神話に基づき、当地はイザナギの子であるアマテラスツクヨミスサノオ三貴子住吉三神の誕生地と伝えている[2]

当社の周辺には古代の集落跡が多数あり、代表的なものには弥生時代初め(約2,400年前)の檍(あおき)遺跡がある。また、古墳時代の初期(3世紀末)の前方後円墳・檍1号墳からは国内最大の木製墓室・木槨跡が見つかった」
「国史の初見は、『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の「日向国子湯郡都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並びに官社に預かる」という記事である。『延喜式』神名帳では日向国宮埼郡に「江田神社」と記載され、式内社に列している。また、『和名類聚抄』には宮崎郡に「江田郷」の記載があり、境内からは10世紀前後の須恵器も出土したことから、創建当初の位置に現在も鎮座していると考えられている[3]。」

思うに紀元前でないと、却下でいいと思うんだ。近所に古墳があっても3世紀じゃ意味がないのだ。

しかし作ったように、きれいな池があるのだった。
ちょっともの悲しいかんじ。

追記
実際に糸島に入って来た人の旅行記。
面白いことが書いてあるのと、原田大六先生のことを知っていて、喜ばしい。


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