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プレ皇室研究: 暫定チェック
おおざっぱな私の研究にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
ここ3,4か月ほど集中したので、神武天皇以前の皇室の謎はこれで、だいたい解けました。
(いやー、原田大六先生の本を何万円もかけて購入して読んだので、大変です。もう大赤字です。泣きそうです。)
1つめ: 神武天皇東征および天照大神の時期
天照大神は、紀元前150-100年くらい。伊弉諾・伊邪那美が紀元前150-180年くらい。天孫降臨は紀元1-30年あたり。1世紀くらい。
神武天皇の東征は、紀元150-170年くらい。倭国大乱のちょっと前くらい。邪馬台国の卑弥呼即位の前位。神武天皇即位は181年。
2つめ: 天孫降臨の場所
福岡県糸島市の、日向峠、クシフル岳。
これは、奴国から伊都国への移住が天孫降臨(国内分)。その前にイザナギイザナミが日本に来たのもある。それはどうも朝鮮半島から対馬ルートで九州北部にきて、瀬戸内海を抜けて沼島に来た様子。それで定住地を探して、イザナミは死んだが、イザナギは九州北部に来て、たぶん再婚した。年取ったら、また淡路島に戻って死んだ。
ついでに、イザナギの根の国から帰ってきて禊した場所 福岡市西区小戸。今も神社がある。南九州ではない。
3つめ: 主な根拠
九州北部の遺跡から出た三種の神器。そのうち、特に鏡の種類でわかる。
各遺跡を並べると、だいたい紀元前200年から、紀元2世紀くらいまで。
他の青銅器の分布、墓の様式や分布、朝鮮半島の文化流通でわかる。
4つめ: 皇室の血統
どうも朝鮮半島にいた出戻り縄文人らしい。純粋縄文人のグループDである。
その後、藤原氏と結婚するのがたびたびなので、藤原氏の朝鮮・中国系DNAが混じる状態。藤原氏はグループOである。
ただし、日本人全体では漢人が混じっているので、やっぱり中国人にいじめられて、泣く泣く日本列島に移住した人達が渡来人だ。
https://note.com/kyokannazuki21/n/ne18aea0187c0
猿田彦は縄文人でグループCである。皇室より前に日本に到着した縄文人である。
他に珍しい古代人では、東南アジア由来の人や北アジアの人などもいる。
5つめ: 遺跡の主
だいたいわかって、比定者割り当てしたけど、ちょっとわからないのもあるので、確認中である。もうちょっと調べる予定。
確定は、平原遺跡は神武天皇の母 玉依姫。これは、あまり揺るぎはなさそうである。
6つめ: なぜ、古事記や日本書記に邪馬台国が出ないか。
倭国大乱のどさくさで畿内に移住したので、そんなもん、かまってられる暇なんてないから。
あと、邪馬台国の属国 伊都国の王様だったんで、なんか恥ずかしいというか、なめられるといけないので、隠した。でないと、天孫降臨の嘘がばれてしまうじゃんか。
以上です。
5の深堀とか以外は、だいたいめどがついた。終わりー。
この本、よいです。
この先生は九州大学で、めでたい考古学の賞を受賞されました。
中山博士と同じ九州大学です。
2024/6/20 ちょっと不正確な記述があったので、修正しました。
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