“暴力警官”現る 通行人を銃で脅し、暴行を加え全身11カ所を怪我させた警察官【1950年5月19日】
1950年、まるで『こち亀』の両津勘吉のような暴力警官が世間を賑わせる事件があった。
朝日新聞1950年5月19日号によると、同年同月15日午後9時半、台東区でA巡査は酒に酔って歩いていたところ通行人Bさんとぶつかった。Bさんが「だいぶいい顔色ですね」と言ってその場をあとにしようとしたところ、A巡査は突然ピストルを突きつけた。さらに「警察の者だ」と言い、上野駅構内にある交番へ連行。休憩室へ連れ込み「なまいきだ」と警棒と野球のバットで殴りつけた。
その後、列車を待つ乗客たちの前に連れ出し「貴様は殺人、強盗、ゆすりをやったろう。今後は絶対にしないと謝れ」と頭を無理やり下げさせたという。Bさんは解放されたが頭頂部打撲脳震盪一週間、臀部打撲二週間、左右肩こう関節捻挫二週間、上はく前はく打撲二週間、左胸部打撲一ヶ月、左右臀部打撲一ヶ月以上、その他と診断され、怪我は全身11カ所まで及んだ。
上野署はA巡査に事情聴取したところ、酔って歩いていたらBさんがぶつかってきて「いい色しているね」と言ったのでヨタ者と思い「君は誰だ」と尋ねると「新橋のヨタ公だ」と見栄を切った。警察手帳を出したが「ニセ警官だろう」とからかったのでピストルを出して見せ、同行を求めた。私刑を加えたことは知っているがあとは記憶にないという。
上野署署長は「誠に申し訳ない。A巡査は酒癖が良くないと聞いていた。どんないきさつがあろうともあれだけの負傷をさせたのは遺憾で、被害者にはなんとも申し訳ない」と謝罪し、A巡査の懲戒免官の手続きを取った。
A巡査は窃盗犯検挙で1949年に4回の総監賞を受けていたとのことで、普段は優秀な警察官だったようだ。
だが、自身の酒癖の悪さが災いし、何の罪もない市民に、一方的に暴行を加えるという事件を起こしてしまった。酒癖の悪さが周知の事実だったのであれば、事を起こす前に手の施しようがあったとは思うが……。あまりにも残念な一件となってしまった。
参考文献:朝日新聞1950年5月19日号