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世界を旅したことで見つけたやりたいこと、それは日本の町並みを守り育てること

私は大阪の富田林寺内町というところに住んでいます。ここは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町です。

さて、皆さんこの長い【国の重要伝統的建造物群保存地区】という制度をご存知でしょうか?

価値の高いものとして国が選定する保存地区で、令和元年12月現在43道府県100市町村120地区が指定されています。

有名どころでは京都の産寧坂や祇園新橋、倉敷の美観地区、飛騨高山の三町などでしょうか。

結構な数があるんです。
私はその半数以上の町を訪問済みで【重要伝統的建造物群保存地区】マニアでもあります。

そしてその数ある保存地区の中でも特に魅力的であり、大阪府で唯一指定されているのが富田林寺内町です。

なぜ元バックパッカーの私が富田林寺内町に住んでいるのか?

私は元バックパッカーで20歳から30歳頃まで暇があれば海外一人旅ばかりに出かけていました。40ヶ国以上の国でたくさんのまちを見てきました。

自分探しの旅というわけではないですが、旅をしていて自分は都会より旧市街や大自然が好きということが分かり、なぜこの町は綺麗なのかと景観に興味を持ちました。

好きになる多くの町はその国独自の風土文化を活かした町並みでした。

では日本の景観、町並みはどうでしょうか?
高度経済成長期に利益優先で近代化して来た日本では、電柱が林立し、電線が張り巡らされ、看板が無秩序に並び、魅力的な景観を奪ってしまいました。
地域性や風土性を無視し、建物の外観デザインや素材を自由に選択できたため、統一感がなくなりました。どこの駅前も同じような風景で、町並みの統一感がある町がどれだけあるでしょうか?

木造家屋が建ち並んだ町が日本独自のコミュニティ空間だったはずです。

古い建物ほど価値があり、そこに住みたいと願う西欧人とは対照的で、新しい物好きの日本人は古いものを改造・再編すべき対象としてきたため、歴史的な町空間が破壊されました。

経済的には世界最高基準に到達しながら、多くの人々が幸福感をもてない理由の一つに、居住空間、地域景観の乏しさなども挙げられるのではないでしょうか。

しかしながら、これではいかんと国は日本らしい場所を後世に残すためつくった制度が重要伝統的建造物群保存地区です。

日本ってそんな綺麗な町並みがないよなと思っていた今から10年以上も前の25歳頃に、たまたまその一つが自分の地元の町にあると気付きました。

富田林寺内町は日本の風土文化を色濃く残した町

富田林寺内町は東西400メートル、南北350メートルの平坦な地区に入り組んだ迷路のような小路に白壁の土蔵や、格子造りの日本家屋が連なり近世の町割りを残した歴史的な町です。

そんな素晴らしい町並みが大都会大阪の街から30分で訪れることのできる場所にあるのです。

雄大な金剛山地を背景に中世にタイムスリップしたような屋根のない博物館、静かな隠れた名所が富田林寺内町です。

この町の保存継承すること、そして自分が世界を旅していい町やなと思ったように、日本中、世界中にこの町の素晴らしさを発信することを決めました。

元々富田林の住民でしたがこの富田林寺内町の住民ではありませんでした。
当初は外部から関わっていましたが、やっぱりこの町に住むしかないと考え4年前に土地を購入し、日本家屋の町屋を新築しました。

古民家ではなく新築町屋

普通こういう古い町並みなら、古民家をリノベーションするのが良いんじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

もちろん選択肢としてありましたし、実際に立派過ぎる古民家を見せて頂いたりもしました。賃貸という選択肢もありました。

しかし、古民家を購入し補修するのも多額の費用も掛かりますし、賃貸するのもお金が掛かります。寺内町は限界集落のような田舎ではないので土地や家屋にまだまだ資産価値があります。ですので、格安で購入できたり賃借できるというものでもありません。

そして、何より町並み好きが高じて、景観に配慮した町並み形成の一つを造ることができるということもあって、自分の思い描く町屋を建てれる土地が見つかったから新築を選択しました。

その大きな条件というのは、小路に面し、格子の隙間から同じく日本家屋の借景が臨めることでした。

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町屋河京富月


このnoteでは富田林寺内町のことをはじめ、私の経験や考えを書いていきたいと思います。
この町を誰かに知ってもらうことや、誰かの役に立つ内容であれば幸いです。興味を持って頂くことが出来ましたら気軽にご連絡ください。

富田林・寺内町の空き家等の活用サポートを行う「LLPまちかつ」


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