京島の10月|24. 夜の忘れもの
10月も残り1週間になった。商店街ではハロウィンのチラシが目につく。EXPOが終わっても日常は続くのだから、11月に向けて諸々の準備をしなければいけない。凸工所には期間中たくさんの人が来て、何度も場所を案内したり、こんなことができたらいいねと話をした。受け取ったものをそのまま捨て置くわけにはいかない。次の1ヶ月、次の1年に向けて準備を進めよう。
中高生の頃、年に一度、3日間ほどの文化祭が終わるたび、達成感なのか安堵感なのかわからないが、よく涙を流していた。このメンバーでやれること、やれたことは、この1年だけという1回性も大きかったと思う。京島のEXPOのような営みは、月が変わってもプツっと切れるものではないだろう。当たり前の風景ではないことを念頭に置きつつ、緩やかな終わり、そしてその移行に備えていきたい。
昨晩はアンオフィシャルな芋煮会が催され、夜遅くまでワイワイと楽しんでいた。ちょうど一年前ごろ、取材で訪れたチームのメンバーが芋煮を振る舞うこととなり、街中から炊事場や大きな鍋など、持ち寄ってくれる協力者が集まった。屋外の交差点で催された野良の芋煮会には、人がひっきりなしに訪れ、互いの顔も不鮮明な状態で暖を取りながら、美味しい芋煮に舌鼓を打っていた。
京島に越してから出会った人と話していると「あのときの芋煮にいました」という反応が幾度もあった。伝説のライブのような存在になっている。昨晩は去年と場所を変え、竹でやぐらが組まれた空間で芋煮会を実施。お茶を淹れる企画の方とも緩やかに交わりながら、京島の雑誌を作る話から利尻島の昆布漁の話まで、統括もしようのない会話を楽しんだ。
こうした芋煮のことも書かないとなどと思いながら、今日という日を過ごしていると、頭がぱんぱんになる感覚が続いていた。やはりこの街の情報量をさばき切るためには、1日1回でも何とかリリースするという日記のフォーマットが丁度いいのかもしれない。
芋煮の席で聞いた話では、10月は最早あまりフリーの仕事を入れないようにしているだとか、京島を案内した友人の1人が知恵熱を出して帰っただとか。どちらの事例も、さもありなんだなと思った。
家から外に出ようとして、上着のジップパーカーがないことに気づく。凸工所に忘れてきたのかなと思い、やや馴染まぬ厚着で夜の街をゆく。静まり返ったラボにしかし服はなく、はてと思い施錠をしたら、中央扉の鍵が開いていた。凸工所の4枚の扉は内側2ヶ所、外側1ヶ所から閉めなければいけないのだが、ぬかっていたようだ。およそ1日のあいだ、誰でも入る状況になっており冷や汗をかいた。ひとまずPCなどは無事のようだが、安全な街だねといい具合にまとめるわけにもいかない。普通に反省だ。
もしやと思い、上着を探して芋煮の会場に行くと、優しく畳まれたパーカーが置かれていた。会場の扉は閉まっていたが、通りに面したスペースに置かれた机の上に、こっそりと、丁寧に。 自分でもこんなにちゃんと畳まないぐらいの優しさに感謝しながら、早速両腕を通す。何かどこかでお礼を言わねばと思うが、まずはここに記しておこう。ぐるりと街を回ると少し暖かくなり、コンビニでソフトクリームを買って食べた。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。