京島の10月|31. 各々、それぞれ、また今度
EXPOは昨日で終了。クロージングセレモニーの後、1時間だけオンライン会議に参加するため帰宅し、再び街へ出た。1ヶ月を過ごした人たちが街の各所に集まり、言いようもなく良い時間が流れていた。2日連続で深夜のうどんをすすり終え、家まで歩いて長い祭が終わった。
31日の朝、秋葉原でのミーティングに参加するため、身支度を整えて家を出る。丸の内線で浅草橋まで行くため、押上までの道を少し急いで歩く。日付を越えてから動いていた分があり、歩数計の進みはいつもよりペースが早かった。
会議を終えて、曳舟に戻る。昨日あれだけの人がいた海の家は、すっかりがらんどう。一人で場所を整理する大将と出会い、投影機をしばらく委ねることになる。使ってもらえたら嬉しい。
分館での営業が最後となるお店で、いつものカオソーイとスパ玉チーズおにぎりを食べる。席に座ると目の前には空っぽのステージがあって、ギターが寂しそうに立てかけられている。たった数日前の演芸会の狂騒が、まるで幻のようだった。祭の終わりと場所の終わりが続く寂しさは、次回使える割引券と、ハロウィンから繰り越されたクッキーで補われた。良かった、まだ続いていく。
EXPO期間中に購入を決めた写真を受け取るため、旧邸の展示場へ。昨日まで作品が展示されていた空間は綺麗に整理されつつあった。しばらく滞在していた隣人らも、元の場所に戻るらしく、大きなスーツケースなども並んでいた。和室でゴロンとしながら出発のときを待つ光景は、旅行の最終日そのものだった。
1ヶ月間の変わった旅のなか、外にいる人も中にいる人も、各々の心身を遊ばせていた。このタイミングで改めて自己紹介をしたせいか「淺野でした」などと口に出て笑う。そばの2人もそれに続く奇妙な挨拶は、きっとまた今度という緩やかな言葉で締めくくられた。
作品を飾る場所を考えないとなと思いつつ自宅に戻るが、月末の作業が山積みだ。今日締め切りの原稿を仕上げ、インボイスの番号確認にあたふたし、請求書を作って送り、今日からは聞けない時報に思いを馳せる間もなく、あっという間に夜が更けた。
作業の合間、スマートフォンを触る時間が増えた。読めていなかった記事や動画がたくさんある。これまでそんな時間は、直接周りの人たちと話していたのだなとふと気づく。画面越しではない空気感が、いずれまた恋しくなりそうだ。
学生時代、文化祭や運動会が大好きだった。当日よりもむしろ、準備の過程で学年問わずに過ごすことが楽しくて、多くの時間を割いていた。卒業するときには、もうこんなに楽しいことはないのかもなと思っていたが、それは思い違いだったようだ。
各々が場所を、技術を、作品を、音楽を、良い言葉や空気を持ち寄る。その幅が広ければ広いほど、深ければ深いほど、普段の生活で忘れていた何かが掘り起こされる。仕事をして、お金を稼いで、ご飯を食べて。それだけではない、人と居ることで生まれる何か。
30日もの間、それに囲まれることで、笑い、疲れ、満たされて。たまには離れたくなり、訳もわからぬ涙も流れた。もう心も頭もいっぱいなのだけど、この怒涛のような京島の10月に、きっとまた来年も会いたくなるのだろう。
このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。