僕の音楽的ルーツ① レミオロメン『南風』

僕が音楽やバンドに目覚めたきっかけ。
ある種の自己分析として、ここで一度振り返っておこうと思う。
また文章が長くなりすぎないよう、アーティストの音楽性には極力触れないようにした。音楽の中身が気になるという人は、ぜひ各自で調べてみてほしい。

初回となる今回はまず、「音楽」と出会った幼少期を振り返る。

1.音楽との出会い:レミオロメン(幼少期~小学生)

僕がレミオロメンと出会ったのは2005年だ。
その年発売された『南風』という曲を、幼稚園のお遊戯会で踊った。
つまり僕がレミオロメンと出会えたのは、幼稚園の先生のセンスのおかげである。

そしてお遊戯会を見た母親もまた『南風』にはまり、気づけば車内でレミオロメンのアルバムがリピートされるようになった。その結果僕は、着実にレミオロメンに染まっていった。つまり母親のセンスのおかげでもある。これが僕の音楽との出会いだ。

少しだけアルバムの話もしておく。
当時母親が買っていたCDは、2ndアルバム『ether』、3rdアルバム『HORIZON』、ライブアルバム『Flash and Gleam』。

2ndアルバム『ether』は2005年3月9日発売、シングル曲は『3月9日』『南風』など。レミオロメンの中でも特に名盤とされる1枚であり、僕も一番好きなアルバムだ。

3rdアルバム『HORIZON』は2006年5月17日発売、シングル曲は『粉雪』『蒼の世界』など。『ether』に負けず劣らずの人気があり、「レミオロメンは3rdまで」と言われることも少なくない。

僕は家族とのカラオケでレミオロメンばかり歌っていたし、小学校の友達やそのお母さん方から「レミオロメン大好きだねえ」と言われるくらいにはのめり込んでいた。しかしその一方で、当のレミオロメン自体は着実に死んでいった。

『粉雪』のヒットを機に、レミオロメンはそれまでの素朴なバンドサウンドから、ストリングスやシンセにまみれたポップサウンドへと一気に舵を切った。おそらくは事務所やプロデューサーの意向によるものであり、そういった音楽性に関してメンバー間でも考え方の違いや亀裂が生じていたと思われる。それは、僕の好きなレミオロメンの消滅を意味していた。

当時(2008年頃)のレミオロメンは、人気アニメの映画主題歌や北京オリンピックのテーマソングを担当したにも関わらず、それらを収録した4thアルバム『風のクロマ』はあまりにも売れなかった。2ndが25万枚以上(プラチナ)、3rdが75万枚以上(トリプル・プラチナ)と売れ行きを伸ばしていた中で、4thは10万枚以上(ゴールド)と2ndすらも下回ったのである。急激な路線変更に戸惑った僕のようなファンが、一気に離れてしまったのだろう。余談だが、その直後2009年に発売されたベスト盤『レミオベスト』は、そこで落ち込んだ売上を補填するためのものだったと思われる。

その頃僕は母親にライブDVDを買ってもらったりもしたし、2010年の誕生日には出たばかりの5thアルバム『花鳥風月』をプレゼントしてもらった。しかしそれらの内容はあまりにつまらなく、ありきたりで、僕にとっては失望的なものだった。そのことを僕は母親に、口が裂けても言えなかった。

レミオロメンは僕が小学校を卒業する直前、2012年2月に活動休止を発表した。僕の大好きだったアーティストは僕の小学生時代の終焉とともに散り散りになり、それから2024年現在まで一度も活動再開していない。ボーカルの藤巻亮太は同年2月29日にソロデビュー、10月17日には1stアルバム『オオカミ青年』をリリースしたが、内容はレミオ末期とは真逆のダークな路線だった。

バンド名をレディオヘッドから拝借した彼のことなので、やはり振り切ったポップスにはもううんざりだったのだろう。だがその反動はあまりにも強く、濃密な負のオーラを当時の僕には受け入れられなかった。そこから僕は、しばらく音楽に新しい興奮を見つけられなかった。ブルーハーツに出会うまでは。


ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
これ以降は今後書き進めていくので、出来たらまたお知らせします。

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会えたらまたいつか。

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