僕の音楽的ルーツ16 佐野元春『VISITORS』

1984年に出たそのアルバムは、2021年の僕にも、新時代の到来を予感させた。

1. 『SOMEDAY』と『VISITORS』

台風クラブのライブ会場で、たまたま手にしたのが『VISITORS』のレコードだった。

それまで僕は、佐野元春の楽曲を意識して聴いたことは無かった。しかし、インターネット上で名盤ランキングを調べた際など、『SOMEDAY』や『VISITORS』のジャケに出くわすことは度々あった。

1982年発売『SOMEDAY』のジャケット。
1984年発売『VISITORS』のジャケット。

そのため、この2枚は"名盤"としてよく挙げられている印象があり、レコード売り場でジャケットを見た時にもすぐに気がついた。実際、この時の売り場には『SOMEDAY』と『VISITORS』の両方が売られていた。

しかし、一気に買ってもハマれなかったら勿体無い。そう考えて、買うのは1枚に絞ることにした。最終的には、都会的で洗練された雰囲気のジャケに惹かれ、『VISITORS』を選んだ。結論から言えば、僕はその後『VISITORS』にどハマりし、後から聴いた『SOMEDAY』にはそこまでハマれなかった。なのであの時の選択は、きっと正しかったのだと思う。

2. システムの中のディスコテイク

僕は『VISITORS』のレコードを持ち帰り、ターンテーブルに乗せて聴き始めた。

実は「レコードで最初に聴く」という体験をしたのは、これが初めてだった。

そして1曲目から度肝を抜かれた。

まず、音の塊が2発飛んできた。それから、ハイハットが細かなリズムを刻み始める。このビートを聴いた時点で、「全然古臭くない、むしろ新しい」と思った。

それもそのはず、この曲のビートはハイハットだけが人力演奏で録音され、他のバスドラやスネアは全て打ち込みという、かなり変わった掛け合わせになっている。だからこそ、今聴いても新鮮に響くのだろう。

そしてこの乾いた肉厚なビートの上に、佐野元春の語りっぽいボーカルが乗っかってくる。これがまた独特で、「本当に当時売れ線の音楽だったのか?」と驚かされた。

それもそのはず、この『VISITORS』は当時も衝撃を持って迎えられていた。なんせその2年前に大ヒットした『SOMEDAY』は、もっとポップな歌ものだった。

当時の佐野元春は、1982年に『SOMEDAY』を発売後、翌年にかけてコンサートツアーを実施していた。この時の観客にはデビュー前の吉川晃司や尾崎豊もおり、後に二人とも彼からの影響を公言している。当時それだけのパワーを持っていた佐野元春だが、そのツアーの最終公演で突然渡米を発表。ファンや事務所から『SOMEDAY』の続編的新作を期待される中で、彼は1983年のニューヨークに渡り、最先端のヒップホップを吸収した。そして、全く異なる音楽性の『VISITORS』を生み出したのだった。

『SOMEDAY』路線を期待していたファンからすれば、『VISITORS』は不気味だっただろう。ポップな歌声やメロディは希薄で、ビートも機械的だ。彼のラジオには、戸惑うファンの便りも数多く届いたという。レコーディング環境や当時の詳しい状況については、こちらの記事に記述されている。

佐野元春は当時から、時代の先端を行っていたし、世間ははすぐにそれを理解できなかった。けれどだからこそ、『VISITORS』の鋭さは未だに錆びていないし、今でも名盤として語り継がれているのだろう。

3. リリシスト・佐野元春

『VISITORS』の鋭さはサウンド面だけでなく、歌詞にも現れている。ここでそのいくつかを紹介しておこう。

ドラッグにあふれたTV
そして陽気なSuicide

佐野元春『COMPLICATION SHAKEDOWN』(1984)

霧に包まれたDarkness
いくつものヒューマンクライシス
君は隠しきれない、ニューヨーク

佐野元春『TONIGHT』(1984)

偽り 策略 謀略 競争 偏見
強圧 略奪 追放 悪意 支配
ひどすぎる

佐野元春『SHAME-君を汚したのは誰』(1984)

やがて若くてきれいな君の夢も
アンティークなリズム奏で始める

佐野元春『COME SHINING』(1984)

彼は1983年のニューヨークで何を見、何を感じ取ったのか。僕は『VISITORS』を聴くたび、そのことに思いを巡らせてしまう。それもまた、『VISITORS』の魅力の一つと言えよう。ニューヨークでの佐野元春が気になる方は、是非自分でも調べて欲しい。

4. 『VISITORS』のその先へ

彼は『VISITORS』以降も、あくなき挑戦を続けてきた。1986年の5thアルバム『Cafe Bohemia』では、スタイル・カウンシルに倣ったお洒落で洗練された音楽性にシフトした。この頃の音楽性は、90年代から盛り上がる「渋谷系」とも通ずるところがある。

そしてこの時期、彼はシングル『リアルな現実 本気の現実』を契機に、曲全体を通して歌わず語りのみの、スポークンワーズにも接近し始めた。後々、スポークンワーズ楽曲のみを集めたベスト盤もリリースされた。

さらに1989年には6thアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』をリリース。このアルバムではロンドンに渡り、『VISITORS』同様に現地ミュージシャンとの録音を行った。

それから少しして、バックバンドを務めていたHEARTLANDが1994年に解散。そして新たなバンドThe Hobo King Bandが始動し(当時は違うバンド名だったが)、佐野元春はまた新たな音楽性へとシフトした。このように佐野元春の音楽活動は、『VISITORS』以降も常に変化と共にあった。

そこから時系列は飛んで、2022年。僕が佐野元春をリアルタイムで追い始めた時期である。

驚くべきことに、彼は2022年にも未だ精力的に活動していた。この年、彼は佐野元春&THE COYOTE BAND名義で、19th『ENTERTAINMENT!』、20th『今、何処』をリリースした。特に『今、何処』に収録されていた楽曲群はさらに新しく、さらに尖り散らかしていた。

これ以外にも彼はこの年、桑田佳祐率いる同い年のミュージシャン達と合流し、『時代遅れのRock'n'Roll Band』をリリース。その年の紅白歌合戦にもこの曲で出場した。

彼は40年近く変化を続けながら、確かに民衆に届く音楽を生み出し続けている。2024年現在では御年68歳でありながら、未だにCOUNT DOWN JAPANのようなフェスに出演している辺りからも、その凄みが伺えるだろう。

僕はまだ彼のライブに行ったことがない。しかし、年末のワンマンライブ「ロッキン・クリスマス2024」には応募するつもりだ。彼のまだまだ続く進化の現在地を、目撃したいと思う。

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