「継承語」を知ってますか?
通常、生後数年間育つ間に習得した “家庭内の言語” は「母語(Mother Tongue)」と呼ばれ、その子の主軸言語です。つまり思考・感情の柱となる大事な言語なのです。
子どもの言語習得の段階から観ると、日常会話力(BICS)は 生まれた時から習得が始まりますが、学習言語力(CALP)は 6歳くらいから始まって、10歳くらいで日常会話力を越えていく段階になります。ちょうど小学4年生頃で、「読み・書きが辛くなった」「急に勉強が難しくなった」と子どもは感じます。
ところが、こうした言語習得の “発達過程” にある子どもが、言語環境の全く異なる地域社会に移動すると、何が起こるでしょうか? 異なる言語を用いて学校や地域社会で学ぶわけですから、“母語” は次第に危ういものとなっていきます。
例えば 日本人家庭がアメリカに赴任した場合、小学生は家庭で日本語、学校では英語で学習する例が95%以上です。駐在期間が長ければ長いほど、英語が “主たる言語” になってきます。
その時の日本語が「継承語(Heritage language)」と呼ばれるわけですが、ともすると家庭内でも使われなくなります。子どもは就学前に習得した母語(⇒ 継承語)をテコにして 新しい言語を獲得しつつあるのですけど、その基礎が揺らぐのです。まして、住み込みの子守りや家政婦、家庭教師などが日本語話者でない場合、さらに状況は複雑化し、深刻になります。
母語が確立する前の幼児期に異言語の環境に移動すると、極端な場合には「Semilingual」(半言語)になるリスクもあります。ごく一般的な症状としては、「英語でペラペラ話していても、脈略のない単語の羅列でしかない。そのために、全てがマイペースで、集団で何かをすることができない。しかし、自分が帰属できる “場” がないので、常に不安」といった状態に陥る危険もあるのです。
(注:同様のことは、日本国内の転居でも起こり得ます。)
だからドイツ人やフランス人など欧米系の家庭では、「母語・継承語は その子のアイデンティティ(自己同一性)そのものである」として、家庭で親の母語を使うことを徹底しています。もし父母がそれぞれ異なる母語を持っていても、それは変わりません。
つまり、「母語・継承語」は、親子のコミュニケーションのためには、いつまでも大事な道具であり続けます。親にも子どもにとっても 自己肯定感や情緒的な安定のためには大事な存在なのです。
中京大学の芝野 淳一さん(現代社会学部 准教授)の研究によると、日本人学校の在籍者の中で駐在員子女(数年で帰国することを前提とする子ども)の比率が高いのは、北米の2校(ニューヨーク、シカゴ)と中近東、中南米の学校のみ。ほかの多くの日本人学校では、在籍者の大半は「国際結婚家庭の子」「日本国籍なし」「日本語が母語ではない」「帰国予定がない」という状況になっているそうです。まして補習授業校に至っては、在籍者も教員も、大半が “長期滞在者もしくは永住者” となっています。
そうした現状において、日本人学校・補習授業校の教育ニーズも、おのずと変化を迫られています。指導に当たる教員は、何を支えとして頑張れるのでしょうか?
茨城大学の瀬尾 悠希子さん(全学教育機構国際教育部門 助教)は、15年にわたって この問題を調査しておられます。グローバル化社会の教育研究会(EGS)でも瀬尾先生を迎えて『海外子女教育における継承語教育の可能性と課題 --- 子どもと教師の物語から考える』のテーマで 話題提供をお願いしました。 http://www.toshima.ne.jp/~kyoiku/dai-86.htm
なお、子ども自身のアイデンティティや「母語・継承語」の問題を、赴任時には 余り気にしていない保護者が多いのですが、数年後に 深刻に悩むことになります。詳しくは、海外子育ての専門家のウェブ・サイト(Care the World)をご覧ください。
※ 上海日本人学校高等部の設立準備プロジェクトの記録
※ パリの日本人高校/山下アカデミーのプロジェクト
※ グローバル化社会の教育研究会(EGS)
[ 考察 ] なぜ 英語で教育する学校に無理やり入学させるの?
上記のような難しい問題があるのに、英語で授業をする学校に 子どもを不用意に入学させる例が後を絶ちません。
理由の一つは、「幼い内なら、自然に英語を覚えられる」という誤解が根強くあることでしょう。「母語・継承語」があってこその学力獲得であることが、見過ごされています。
※ 言語習得のメカニズムと 学力偏差値|小山 和智 @EGS (note.com)
もう一点、英語圏以外において、英語は “けんか腰の言葉” であることは、意外と知られていません。言葉の厳密なやり取りが可能で、互いに相手を理詰めで追い込もうとする際に好んで使われるからです。人々は、英語での発言には 心の中で “Fighting pose” をとります。
ラテン系の言葉やマレー語等と比べて 英語は “尖ってる” 印象のため、言葉遣いに気を付けたりユーモアを交えたりが 余計に必要になります。「相手の目を見て、ゆっくりとかみ砕いて話す」「言い方を変えながら 何度も同じことを言う」といった技も習得すべきですが、ほとんどの保護者は そのことを知りません。
先日、ある中学校で帰国生を取材した時、「英語には敬語がないから(話すのが)楽です」と言われ、驚きました。相当な英語力がありながら、相手に敬意を表したり、遠回しな言い方で傷つけないようにしたりができないようです。大人の社会では、それでは通用しないのですけど。