(2) 海外子女教育に今、何が起こってる?
「海外子女」という言葉は、40年前の法律論争を離れて独り歩きし、教育関係者でも、何が何だか分からなくなっています。
「海外子女」の概念は最初、① 義務教育年齢(小1~中3)の子どもで、② いずれは日本に帰ることを前提に保護者に帯同され、③ 1年以上滞在予定の者、と厳しく規定されました(『帰国子女教育の変容』を参照ください)。
しかし、その概念には、就学前の幼児や高校生は含まれていませんし、企業・団体等の派遣ではなく渡航している研究者や専門職・芸術家など、あるいは国際結婚や移民として渡航した人の子どもも含まれていません。当然ながら外務省・文科省の支援の対象外ですから、「在外教育施設における教育の振興に関する法律」(令和4年法律第73号)の成立までは、婉曲ながら “排除の姿勢” が主流を占めてきました。
もちろん、法律ができても、それを内実化できるかどうかは 現場の教員と その周りの関係者の意識改革にかかっています。
長期滞在者や国際結婚の家庭の子どもたちだけでなく「日本国籍を持たないけど、日本人学校で学びたい」という子どもが増え続けているなか、「次代の社会を担い、国際社会で活躍することができる豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成に資する…」を、“空念仏” で片づけられてはたまりません。
歴史的な背景から整理すると
1980年代は「生産拠点の海外移転」の時代でした。工場を建てて現地生産をするためには100人規模の駐在員が必要で、海外に帯同されている小・中学生だけでも3万人に達します。(1971年までの四半世紀、1米ドル=360円で固定されていた交換レートが、遂に 200円を割ります)
さらに 1980年代の中盤から 部品メーカーもそれに加わり、自動車産業では企業グループがまとまって移転する流れができました。それにより「日本の地方都市から外国の地方都市へ」の赴任が増え、「海外赴任など考えてもみなかった家族」が異国の田舎、とくに「生まれて初めて日本人を見る」という人たちの中で暮らすことになります。(当然、日本人学校すらありません。1米ドル=120円台に)
また、生産拠点のプラントは軌道に乗るまで10年前後かかり、赴任期間も長期化しますから、帯同した子どもが中学を卒業してしまう家族も続出します。こうした事情を背景に、海外に日本人高校(私立在外教育施設)が どんどん設立されました。(1992年までに15校開校)
1990年代は「工場のアジア移転」が活発化し、いわば「経済のボーダレス化」が進みます。上のグラフで、紺色の欧州は1991年から20年間 横ばいになってますが、冷戦の終結後、西ヨーロッパにあった生産拠点が 中央ヨーロッパ(かつての共産圏)に拡散していっている時期で、一都市当たりの人口が激減して、日本人学校は軒並み経営危機に陥ります。(1米ドル = 90円台)
そして今世紀に入ると、「現地法人や工場の現地化」が顕著になりました。上のグラフでは、赤線のアジアが2001年以降、急激に増えているのが判りますね。ほとんどが中国です。また、1980年代と比べると 駐在員の平均年齢が10歳以上若返ったため、海外子女教育の需要は、幼児から小学校低学年に集中する時代を迎えました。(1米ドル= 80円割れの円高)
他方、国内の少子化もあって、帰国生を受け入れる高校は供給過剰(帰国生なら どこかの高校に入れる)の状況になり、現地校やインター校に通う日本人の子どもは、日本人学校在籍者の約2倍(アジアでも 6割弱、欧州では 2割強しか日本人学校に通わない状態)になります。それにより、日本人学校/日本人高校は次々と経営難に陥り、学費・バス代等を値上げします。
2010年代は、部品メーカーが部品の共通化(開発費・価格の抑制)を図るため「世界規模で大量生産」(世界各地の異なる材料で同じ商品を作る)と「電動化」(自動車等に電機メーカー・電子部品メーカーが参入)を進めます。自由貿易協定(FTA)/TTP の交渉も盛んに行われました。
また、政府の「入国管理の緩和+円安・インフレ」の政策により、海外からの投資、とりわけ海外の教育機関が日本に独自で、あるいは提携関係を作って “日本校” を設立するようになります。(2012年以降、過激な円安・インフレ政策で1米ドル=100円台に) ※ 外務省は 2019年から 日本人学校と補習授業校のみの在籍者数しか調査してません。
そして2020年代は、コロナ禍と過激なインフレ政策継続により、先進国の “体力” に陰りが見え、替わって中国・ロシアを中心とする「BRICS」が “対抗勢力” として存在感を強めました。(1米ドル=150円前後に)
「日本人学校」の性格は?
海外の日本人学校では、日本人教師が 日本の検定教科書を使って指導に当たっていますが、日本人学校は “義務教育年齢の子どもが対象” が建前ですから、小・中学部しかありません。ただし 2011年、上海日本人学校に高等部が設置されました(世界の94校の中で 唯一)。
次に、日本人学校には、日本政府が総運営経費の約6割を助成しています。日本人学校は元々、「せめて義務教育だけでも国内並みに」という国民の総意で作られていますから、経費の大半は私たちの税金で賄われます。しかし、幼稚部と高等部については、まったく援助がありません。
また、日本人学校は、その都市の日本人会や日本商工クラブなどが設置母体となる、いわば「組合立の私立学校」です。教員の半分以上は 日本の公立学校の現役教師が派遣されますので、あたかも公立学校のように運営されますが、国土から3海里(5.6km)以上離れると日本国憲法は及びませんので、私立学校として文部科学省の認定を受けます。
このことは、国内の公立学校の成り立ちを見直す、とてもよい場所となります。かつては、ムラの住民が 土地や資材・労働を出し合って学校を建て、教師を招いて授業をしてもらう「ムラの学校」が公立学校でした。日本人学校は正にその運営形態ですから、保護者がスポンサーとして主体的に関わる学校で働くことで、先生も「教師冥利に尽きる」と述懐するほど、この上ない経験と満足感を得ることができます。
最後に、「卒業資格がどうなるか」ですが、文部科学省の審査を経て「文科大臣が小・中学校に相当する教育機関として認定する学校」になっていますから、卒業すれば、日本や各国の上級校に進学できます。海外の日本人高校も 文部科学省に認定されていて、世界中の大学への入学資格が得られるのです。
国内校は日本人学校をどう観ている?
今世紀に入っても少子化は進み、 東京都の高校は毎年、平均2校ずつ閉校になっています。とくに私立学校は深刻で、2005年には 多くの学校が「帰国生を受け入れます」と宣言し始めました。とにかく「帰国生でも楽しく学べる学校」と嘘でも言わないと、受験生が集まらないのです(苦笑)。
大手学習塾も「帰国生を中心に置いた教育を!」と言い出し、それまで帰国生に見向きもしなかった名門校を連れて 海外説明会を行う塾も出現しました。
しかし、国内の中学・高校は、日本人学校を どう観ているのでしょうか?「帰国生受け入れ校」を掲げるだけで何もしない “羊頭狗肉” の学校は論外として、日本人学校出身者をプラスに評価してくれている点を挙げます。
〇 日本のカリキュラムで学んでいる・・・・・ 国内の転校生と変わらないので、指導が楽だ。日本語の特別指導もしなくて済む。
○ 家庭的な雰囲気がある・・・・・ 年齢・性別を超えて子ども同士が仲がよく、思いやりのある子が多い。学園のムードメーカーとして貴重な存在。
○ それぞれの家庭が安定・・・・・ 両親が健康で一緒に暮らしているため、落ち着いた素直な子が多い。家庭訪問をしなくても安心。
○ 転入・転出が頻繁・・・・・ ほぼ全員が転校経験者なので、適応力・柔軟性・コミュニケーション能力に長けている。友達の気持ちを理解しやすい。
○ “偏差値信仰” の感覚がない・・・・・ 学力に幅があるが、底辺の子は少ない。各自の得意分野でリーダーシップが発揮できる。
しかし 裏を返せば、帰国した時に こうした “メリット" を感じさせない生徒は、入試・編入試験で苦労しますし、入学しても学力は伸びません。「せっかく通うのなら、日本人学校の良い点を見据え 自覚して、楽しい学校生活を送ってきてほしい」と学校側は思っています。
保護者が日本人学校等に期待すること
逆に、日本人学校中学部、あるいは日本人高校に 子どもを通わせる保護者は、何を期待しているのでしょうか?
○「できるだけ近くに(直ぐに会いに行ける距離/目の届く所)に子どもを置いておきたい」・・・・・ 当たり前ですね。とりわけ女子の場合はそうですし、男子でも 父親と身近に接することの大切さは無視できません。
○「熾烈な受験競争の中で 勉強させたくない」・・・・・ 海外生活の長かった家庭には深刻な願いです。とくに日本人学校の恵まれた環境で、のびのび勉強できる半面、「日本の受験競争の中で巧くやっていけるのだろうか?」という不安も抱えています。
○「外国語や異文化に 自然に馴染ませたい」・・・・・ 周辺の環境は外国ですから、一歩学校の外に出れば、すぐに異文化の世界に入れます。周囲の学校や団体などとの交流活動も容易です。そうかといって、中学・高校から現地校やインター校に進学する場合、志望大学に提出できるだけの良い成績を出せる可能性は かなり低くなります。
○「帰国後は 普通のサラリーマン家庭?」の不安・・・・・ できれば国公立大学に進学して欲しいと願っています。たとえ最初は、現地校やインター校に入れていても(学費は勤務先負担)、「大学は日本で・・・」(学費は自腹)と考えると、「中学から日本人学校に戻しておこうか・・・」と考えます。
もし近くに日本人高校があれば・・・
「もし日本人学校に高等部があれば・・・」というのは、保護者の任期がまだ残っている家庭の偽らざる心境です。高校から単身で、あるいは母子のみで帰国して良い結果にならなかったケースは、周囲にいくらでも見聞きするからです。
また 繰り返しになりますが、現地校やインター校から 帰国子女枠を使って大学を目指す場合、学部はほとんど文科系の学部に限られますから、医学を含む理数系の学部に進学する夢は 諦めざるを得ません(文転)。
中学卒業の時点で子どもの多くが、「理数系の学部を選ぶか」「“文転” してでも 高校卒業まで親元に残るか」の選択に迫られます。しかし、多くの子どもは満15歳では、まだ自分の将来や夢を明確にイメージできないのが普通です。
そういう事情もあるのでしょうけど、任期がまだ残っている父親を現地に残して、小学4年末に母子で帰国して 中学入試の準備に入るケースも少なくありません。いずれの日本人学校でも、小学5年からの在籍数は激減するのです。
上海日本商工クラブでは 2010年、日本人学校の中に高等部を開設することを決議します。大学への路を開くことで 小・中学生の早期帰国を抑制し、日本人学校全体の経営の安定化を図る試みに挑戦することになったのです。もちろん「できるだけ親子一緒に暮らしていたい」という保護者の強い心情も背景にあります。
他方で、現地校やインター校に進学したものの、上手くいかない事例もたくさんあります。公立小学校で落第させる国もあれば、心の柱となる「第一言語」が確立できず、上級学校に進学できるだけの成績に届かない状況になって、“別の選択肢” を探さざるを得ない家庭は 実に多いのです。
しかし、国際結婚や移民同然の家庭では、「帰国」はまず選択できませんから「日本人学校に “避難”(教育シェルター)させてほしい」という要望は根強くあります。(授業料はインター校の半額以下ですし…)
40年前の「海外子女教育」の枠組みが、そのままでは通用しない時代に入っています。 私たちは、もう一度、海外子女教育の使命を考え直し、異文化の狭間で育つ子どもたちを どういう方向に導いていったらよいのかを、しっかり「認知レベル」に持ち続ける必要があります。
※ (3) ”日本人学校離れ” の内実は?
※ 上海日本人学校高等部の設立準備プロジェクトの記録
※ パリの日本人高校/山下アカデミーのプロジェクト
※ グローバル化社会の教育研究会(EGS)