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「国境をまたぐ子ども」の観点で

渋谷真樹さんの『「帰国子女」の位置取りの政治』(勁草書房)が出たのは 2001年でした。「帰国子女」が他の日本人との間にどのような差異を見出し、それにどのような意味を与え、いかに対応しているのか、を丹念に掘り起こしてみせてくれました。その10年前くらい前から 渋谷さんは、「帰国子女」が各々 自らの “差異” をどう捉え、それをどんな操作によって、日本の学校において  子ども同士の距離感を図っているかを整理されてました。

「帰国子女」は、日本の高度経済成長期(1970年頃)には、「海外生活経験」も「日本にいなかった成育歴」も 否定的な差異と見なされて、差別や排除の対象とされました。しかし、日本社会における保護者の政治力・経済力を背景に、「帰国子女」たちを日本の学校制度の本流に呼び戻そうという施策や機関が整備されていきます。ところが、現実的には、“海外で得たもの” を剥がし、“日本的なもの” に置き換えていく(国内育ちの子どもに)同化させる教育でした。
それが、1980年代半ば頃から、日本の“国際化”の気運に乗じて 「帰国子女」が「国際人」として語り直されるようになります。「帰国子女」のコミュニケーション能力の高さや言動の斬新さが、マス・メディア等で取り上げられ、バイリンガル・タレントが人気を集めました。つまり「海外生活経験」の印象が好転し、「帰国子女」本人たちも 大半が 「キコク」であることを包み隠さず語ることができるようになりました。

渋谷さんの凄さは、親の勤務などにより海外生活を経験した日本人生徒(いわゆる「帰国生」)と、日本で生まれ育った日本人生徒(いわゆる「一般生」)との境界線にのみ着目する、従来の研究の危うさを指摘されたことです。「帰国生」集団の内部の多様性を精査し、「帰国生」集団の中にある力関係…… いわゆる「帰国生らしくない帰国生」(帰国生集団におけるマイノリティ)が、日本の学校において(「帰国生と帰国生」「帰国生と一般生」の関係で)どういう位置取りをするのかを解明され、1990年代になっても「キコク」であることを語れない子ども達の存在を浮き彫りにされました。

他方で、1990年代には「日系二世・三世」「外国人労働者」が日本国内に職場を求めて大量に “移住” するようになります。帯同されるのは “全く日本の教育を受けていない子ども達" で、「帰国生」の何倍もの数に達し、国内の学校現場は混乱に陥りました。とくに、そうした子ども達の大半が工場のある地方都市へ大量に拡散したことで、日本の学校教育のあり方を「多文化共生型」に変換せざるを得ない状況に追い込まれました。
既にお分かりのとおり、こうした「日系二世・三世や外国人労働者の子」と「帰国子女」との間にも、位置取りの問題は生じます。しかし、「国境をまたぐ子ども」という観点で見れば、同じ質の問題であることが分かります。

残念ながら、渋谷さん以降、この辺りを研究する例は寡聞にして知りません。唯一、『サードカルチャーキッズ 多文化の間で生きる子どもたち』(スリーエーネットワーク, 2010年)が刊行されたのは光明でした。「Third Culture Kids」…… 国際移動を繰り返し、様々な国や文化の影響を受けながら 独自の生活体験をしている子ども達…… そう捉えることで、新たな学校教育の地平も拓けてくる気がしました。
その気になって周りを見回すと、見た目は 大人しそうで内向的に見える子も、意外と芯が強かったり、自分なりの判断基準をしっかり持っていたりします。ともすると「かわいそうな子ども達」の文脈で語られることの多い「TCK(s)」は、もちろん “国境をまたぐ” ことによる試練はあったものの、その試練を乗り越えた分、“たくましさ” を身に着けているのです。


※ 『月刊 海外子女教育』2022年2月号の座談会『帰国生はへこたれない』
  は、それを正面から捉えて爽快でした。

注)2023年7月、『サードカルチャーキッズ』の改訂版が出ました。
  「TCK」と「帰国子女」の比較のコラムが加筆されるなど、
  日本の読者にも理解しやすいです。
  https://www.3anet.co.jp/np/books/5185/


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