アートは人生を豊かにする。素人がアート感性を深めるには?
小学校教員を離れて約2年。
流石に
元同僚と連絡を取り合うことも減り
現在の療育の世界に標準を合わせつつある日々。
しかし、
先日元同僚から連絡が入りました。
それも、全く別の2人から
全く同じ日に連絡が。
こういう偶然って、
なぜか重なるんですよね~
共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨
教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌
どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
「美術には興味があるのだけれど、いざ作品をみてもどうみればいいのか分からない・・・」
そのような感覚を
覚えたことがある人もいるのではないでしょうか。
少なくとも、
筆者はそのように感じることが多かったです。
ただ、
「分かるようになりたい」
気持ちは依然として存在する。
年齢を重ねていく内に、
シンプルなものの中にこそ
奥深さがあると気付いたり、
1つの世界にどれだけ深く入れたりするかが
人生の中でとても大事なことのように
思えてきているからです。
そういった意味でも、
文学や美術といった趣味を深めていくことは
人生を豊かにすることにつながる気がしています。
そんなアートというものに関する深め方を
記事にすることができればと思います。
楽しんでいただけるとうれしいです。
「アート」を求められる現代
かなり以前になりますが、
「美意識」についての記事を書いたことがありました。
現代は、
いちサラリーマンに関しても、
「アート」が求められる時代になっています。
その大きな転換点となったのが、Apple製品です。
これまでの、
効率性や機能性といった合理化を
ひたすら追求する流れが、
デザイン性をひたすら追求したAppleに
根こそぎもっていかれたからです。
なぜ、Apple製品は、
人々の心を掴んで離さないのか。
それは、「美しいデザイン」が、
人々の直感を刺激したからでしょう。
この辺りの時期から、
合理性に傾き過ぎていた左脳中心社会が、
直感や感覚を大事にする右脳化へと
バランスを取り始めたと考えています。
今や、米国の企業では
アートディレクターが上層部にいることが
当たり前となっています。
日本企業のユニクロも、
クリエイティブディレクターや
デザイナーを経営面に引き込み、
権限委譲を行っている。
効率性や機能性を求めると同時に、
人々の直感を惹き付けるセンスが
求められる時代になっているのです。
そんな中だからこそ、
アートを学んでおくことは
大きな財産になっていくと考えられます。
まずはアートの「思考」から
そうは言っても、
アートは壁が高いんだよなぁ・・・
そんな風に思っている方もいるかもしれませんね。
しかし、
アートというものは
そこまで固く考える必要がないと
唱えている人が一定数います。
大切なのは、
「アート思考」を身に付けることだから。
そもそも、
アートとは何でしょうか。
ある人は、
アートという思考を植物に例え、
3つの構成要素に分解しています。
地表に出て、
花を咲かせているのは「作品」です。
ただ、植物はもともと種から始まります。
それは、
興味や好奇心、疑問といった
「興味のタネ」と表現されている。
そこから、
時間をかけて思索を行い、
「探求の根」を伸ばしていく。
そうして
たっぷりの栄養を蓄えることによって、
作品という花が生まれることになるのです。
そういった意味では、美術に限らず、
科学や哲学、文学だって
「アート」たり得る存在となる。
これからの時代は、
正解を求めるのではなく、
まだ見ぬ未曾有の世の流れの中で
「自分なりの思考・価値観・感性」
を身に付けていかなければならない。
つまり、「アート」や美術こそ、
最先端を行く学びであると言えるのです。
ピカソは言いました。
何歳からでも、
アーティストの姿はきっと
取り戻すことができるはずです。
アートとは「人間の解放」の歴史
さて、
ここからは具体的に
アートをどう鑑賞していくのかをみていきます。
アートをみていく上で、
「この観点があれば色々なものが見えてくる」
ものをあげるとするならば、
まずは歴史があげられます。
そこまで細かくない大雑把なものでも
十分見える世界が変わります。
例えば、
現代のアートが抽象的で
解釈に頭をひねるものがあるのに対して、
中世の絵画や彫刻といったものは、
はっきりと描かれていて美しいものが多い。
これはなぜか。
実は、
ルネサンスの時代には、
「画家が描きたいものを自分の好きなように描く」
という考え自体がほぼ存在しなかったから。
教会やお金持ちによって雇われ、
宗教画や肖像画を描いていたのです。
そういったニーズからも、画家たちは
「技術の高まり=絵画」と捉えるようになり、
風景を如何に忠実に美しく描くかという
写実的な絵を追究します。
しかし、
それがあるものの台頭によって、
一気に大混乱に陥る。
それが、カメラです。
現実をそのまま映し出してしまうカメラには、
いくら美しい風景画を追究しても、
技術面ではかなわない。
ここからが、
如何に現実的な側面ではなく、
常識的な考えを覆していくのかという
現代アートにつながっていくのです。
ピカソの絵のように、
「これは果たしてアートなのか?」
という作品が時代ごとに出され、
人々の怒りを買い、
しかしその中に理解者が現れ、
時代の流れと共に少しずつ人々に受け入れられていく。
ある時は、
便器にサインを描いただけの作品が
「アート」なのかという論争が起こり、
ある時は、
食器用洗剤の商品の箱を
積み上げただけの作品が、
「これはいくら何でも・・・」と
人々を呆れさせたりする。
しかし、
そんな人々の固定観念を少しずつノックし、
「雨だれ石を穿つ」かのように
時代の流れと共に少しずつ常識を覆してきたのが
現代のアートなのです。
そういった意味では、
アートというものは
「人間の自由の解放」の歴史とも言える。
そんな観点でアート作品をみると
みえ方や感じ方が変わるかもしれません。
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