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人間の「才能」って実に不思議だ。
今週のワンピース、
10話分が詰まっているぐらい
濃密な内容でした・・・!
尾田先生、
やってくれたなって感じです ♪
風の谷のナウシカレベルの
考え尽くされた世界観に
尾田先生がたどり着いたような、
勝手に感慨深い気持ちになりました笑
共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨
教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌
どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
人間は、
認知の特性として
感覚に優位性というものが存在します。
視覚で捉えることが得意な人は視覚優位。
聴覚が得意な人は聴覚優位。
身体が得意な人は体性感覚優位。
そして、
筆者はそういった人間の「才」や「特性」は、
面積が一定だと考えている。
どういうことか。
人間の特性の面積を
「円」のようにイメージし、
視覚が異常に発達する場合は
視覚方向にその円が伸びるのだが、
その分、
聴覚や体性感覚の面積は少なくなる。
だから、
視覚も聴覚も体性感覚も
万遍なく高く発達するということは
あり得ないと考えている。
中には、
特例的な脳の構造を
もっている場合もあるかもですが。
それは逆に言えば、
何らかの理由で
使えない感覚があるということが、
代わりに他の感覚を伸ばすということなのかもしれない。
今回は、
そんな視点を含めながら、
ASDやLD、人間全般の才能に関する考察を
展開する記事にしていきます。
楽しんでいただけると幸いです。
絵がうまい子は何歳までに決まる?
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まずは、
健常的な発達に関する視点から
考察を始めていきます。
音楽と同じように、
大きく「才能」という言葉が
注目される「絵画」。
絵がうまい子というのは
何歳ぐらいまでに決まるのでしょうか。
筆者の経験からすると、
小学校1年生の頃には
結構差が浮かび上がってきているイメージです。
美大生に聞いたアンケートでは、
「自分の絵がいつ頃褒められたか」
という問に関し、
小学校中学年の頃には
評価が定まるようであることが
結果から分析されました。
そして、
3~5歳の頃に、
「天才」と言われたような子どもは
ほとんどいなかった。
人間の生まれたばかりの赤ちゃんは、
視力が悪いことで知られています。
新生児で0.001程度であり、
ほぼ視界がぼやけている状態です。
そして、
目をふさがれると
視力は発達しないことが分かっている。
それは、
網膜が届く光に合わせて
成長していくため。
そういった環境面も、
感覚の発達には関係している。
そのような環境面と
もともと受け継いだ遺伝的な要素の掛け合わせで、
感覚優位も定まっていき、
「絵が得意」といった子が
生まれていくのかもしれません。
まあ、これは、
健常的な発達をする人が
あくまでちょっと得意になるレベルです。
才能をさらに深堀するには、
特異的な症状をもつ人に注目してみる。
そうすると、
さらに分かってくるものがある気がします。
自閉症が顔の認識が困難なのはなぜ?
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筆者は
様々な自閉症当事者と出会ってきていますが、
中には、
人の顔を覚えることが苦手と主張する方が
子ども大人に関わらず、
一定数存在します。
この自閉症の症状と
非常に似ている状態が存在する。
それが、
「相貌失認」と呼ばれるものです。
相貌失認は、
後天的に脳がダメージを受けることにより
突然人の顔を認識できなくなってしまうという症状。
それは、
身近な家族の顔も例外ではありません。
マリリンモンローの写真を見せても、
誰かは全く分からないのですが、
「ケネディ大統領の誕生日に、ハッピーバースデーの歌を歌った女優」
といった情報を与えると、
すぐに誰かが分かるという状態。
脳の顔を認識する機能という一部分が
働かなくなっているのです。
このような脳の不具合や偏りが
自閉症にも起こっているのかもしれません。
人間はもともと、
目や鼻、口などを1つのグループと捉えて
顔を認知していることが
赤ちゃんを通した実験から分かっています。
福笑いのように、
目や鼻、口の位置を
バラバラにした絵を提示すると
注目する頻度が減るのです。
もっと言えば、
ただの四角いブロックを配置するのも、
目、鼻、口の位置に似たセットを用意すると
注目する頻度が高まります。
そうやって、
グループや全体を通して、
視覚的に捉えているのです。
ただ、自閉症の人は、
全体を捉えるのが苦手で、
細部だけに注目してしまう傾向が
多いと言われている。
だからこそ、
自閉症の人の中には
常軌を逸したレベルの細かい絵や創作を
可能にする人が存在する。
緻密な音楽を創作できる人、
緻密な経済分析ができる人、
緻密な論文を書くことができる人、
こういった人たちが
自閉症の発達障害特性を
もっていると言われるのも、
上記のような特性が要因だと捉えています。
そんな事例も、
「才能」を分析するヒントとなるかもしれません。
目隠しをすると優位な感覚が変わる?
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もともと、
目が見えない状態の視覚障害の人。
そのような人が、
指を使って点字を読んでいるときは
脳内ではどのような反応が起こっているのでしょうか。
実は、
指先といった体性感覚ではなく、
視覚を司る脳の部位が
働いていることが分かっています。
「目」という器官は使わなくとも、
指で「見る」ことができているのです。
さらに、
視覚障害ではない人が、
視覚障害を疑似体験する実験が行われました。
目隠しをしたまま5日間生活し、
点字の訓練を受けてもらうのです。
すると、
指先を触覚的に刺激することにより、
視覚脳の活動が見られることが分かりました。
その上、不思議なことに、
目隠しを外して視覚が戻った頃には
このような脳の活動は消えていったのです。
この実験の内容を通して、
筆者はLDの子どもたちを思い浮かべました。
LDの子どもは、
視覚的に文字を認識することに
凹みをもっている場合が多い。
その代わりに、
絵画といった視覚、
体性感覚を使った工作や運動が
通常よりも発達している場合が結構ある。
ある大学の美大生のうち、
LDをもつ人が4割だったという報告も存在します。
そうやって、
視覚の一部が使えないことによって、
それ以外の感覚で「見る」「捉える」ことが
視覚障害の実験の例のように
起こっているのではないでしょうか。
また、
「視覚失認」という症状も注目に値します。
これは、
普段見かける視点と違った視点になると
例え見慣れたものであっても、
それが何であるかが分からなくなる症状です。
LDの子は、
授業中で算数の解き方をマスターし、
何度も練習して
「これなら大丈夫」という状態になっても、
いざテストになると、
全く鉛筆が動かなかったりします。
これは、
「ノートに問題を解く」と
「テストで問題を解く」を、
同じものとして認識できていないと考えられる。
例え、全く同じ計算であっても、
テストになった途端に
別物と認識してしまうのは、
視覚失認の症状に似ている気がします。
発達障害特性をもつ人の脳は、
まだまだ分からない部分が多く
何らかの脳の機能の偏りがあると言われています。
こういった、
特異的な症状をもつ人と、
発達凸凹をもつ人の脳は、
何らかの共通部分をもっているのかもしれませんね。
まとめ
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昔は、目が見えない人は
男は琵琶法師、
女はイタコになったなんて話を聞きます。
視覚が封じられているからこそ、
聴覚や体性感覚で「見る」ことが
できるようになり、
通常の人が拾えないような、
音や感覚を捉えることができたのではないでしょうか。
このように、
特性や才能というものは
トレードオフの作用が働いている場合が
多くあると思っています。
「あの人が才能があっていいな」
と思える人も、
一部の凸を得る代わりに
他の凹みを差し出しているのかもしれません。
そういった意味では、
自分の運命を引き受けて、
自分の中の凸を伸ばすという行いが
理にかなっているのかもしれませんね。
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