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「何かをしない愛情」が必要な時代

スポーツの秋!

山とも言えない高さの
丘を何週か走ってきました。

気候、緑、虫の鳴き声、
最高に気持ちがいいですね!


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


サンタさんから
念願のプレゼントをもらえる。

ずっとほしかったバイクを
コツコツ貯金したお金で買う。

そのように物が手に入った瞬間は、
たまらなくうれしく、
心が満たされたものです。

1日に何度も何度も
手に入れた物を確かめるように見返し、
存分に味わっていた記憶があります。

一方で、
物が揃うのが当たり前になってくると、
物をもらうことの有難みというものが薄れてくる。

今では、
物を持たないという主義の人もいて、
贈り物に対する価値も多種多様の時代。

そんな時代こそ、
物で気持ちを表現するのではなく、
別の手段で愛情を表現する必要があります。

その1つが、

「何かをしない愛情」

であるとも言える。

今回は、そのようなテーマを
記事にしていきます。

楽しんでいただけると幸いです。



何かをしない愛情

クリスマスにプレゼントがもらえる。

誕生日にケーキを食べることができる。

これらは、なぜ、
うれしいのでしょうか。

それは、
特別な日にしか体験できない
貴重な経験、時間であるからこそ
うれしいのです。

もし、ねだる度に
物を買ってもらえる家庭ならどうでしょうか。

毎週のように
ケーキを食べている家庭だったらどうでしょうか。

特別な瞬間に味わえる感動は
薄れてしまうのではと思います。

このような些細なイベントへの気配りも、
家庭の色が現れると言える。

ある家庭では、
誕生日の特別さを演出するために、
誕生日や特別なイベント以外は
ケーキを出さない
ことを、
家庭教育の方針にしているようです。

もちろん、
もらい物の場合は有難く頂くと思いますが。

「ケーキ食べたい!」

と言っても、

「誕生日が来たらね」

と言われ続けて、
待ちに待ってたどり着いたケーキ
格別の味がするはずです。

これが、
子どもの要求の度に買っていたらどうなるか。

欲しいものはすぐに手に入るという誤学習と、
待ちに待った至高の瞬間を味わう経験を
子どもから奪う結果にならないでしょうか。

大人になった時に、
どちらの方が忍耐強く
目標に向かって切磋琢磨できるかは
言う間でもない気がします。

そして、
特別な日だけに特別な贈り物をすることには、
それ以上の意味合いが込められているのです。


物に心が込もりにくい時代

物がない時代は、
物を買って子どもに与えれば
それだけで大喜びでした。

物に対する希少価値が高く、
物が心を満たしてくれる割合が
今よりも大きかったと言える。

しかし、それは、
希少価値の高い物を
子どもの為に汗水たらして働いて、
何とか買ってやりたいという親の心がこもったものであった。

子どももそれが分かっていたからこそ、
余計に心が満たされていたと言えそうです。

親が心を使っていることが
子どもに伝わっていたのです。

今はどうでしょうか。

物を与えるだけで、
子どもの心を満たすことは
随分と簡単ではなくなりました。

ゲームやスマートフォンを買い与えたとしても
単に周りが持っているものを
同じように買ってもらっただけ。

逆に、何を与えないかで、
愛情がはかれる
ようになっていると言えます。

周囲がもっているゲームやスマホを
買い与えないということは
物凄くエネルギーを使うことです。

周囲に合わせて買ってしまう方が
遥かに楽だと言えるでしょう。

それでも、
子どもの将来のことを
考えて考えて熟考を重ねて
子どもにもその決断を誠意をもって伝える。

すると、
子どもは何だかんだと納得してくれる。

それは、
本当に子どもの為を思って、
親が心を使ってくれていることが分かるから。

筆者がこれまで出会った子どもの中で、
今の時代に、
高校生までスマホを買ってもらえないという
かなりの希少種な教え子がいました。

彼ら彼女らに共通していたのは、
非常にまっすぐで、
裏表がなく明るくて、
人に分け隔てなく優しくでき、
弱い立場の人を見捨てないという気質だった。

バリバリスポーツをやっている子も多く、

「スマホで友達とやるめんどくさいやり取りより、スポーツをやっていた方が何倍も楽しい!」

と、堂々と言ってのける強者でした。

そして、
親に共通していたのは、
愛情深くも非常に厳しいという気質。

本当に子どものことを考え抜いて、
そのような教育方針にしていることが
伝わってきました。

「ああ、子どもはそのことを感じ取っているのだな」

そんな想いを抱いたことを
覚えています。

心をどれだけ使っているかは
きちんと伝わっている。

逆を言えば、
大人の上辺だけの行為
子どもにことごとく見透かされる

子どもとは何と鋭い大人の観察者なのかと
思い知らされるようです。


人真似だけでは失敗する理由

子どもは大人の本質を見抜く天才です。

全国各地の様々な地で学んだ素晴らしい授業。

それを、
もらった資料のままに授業をしても、
何か手ごたえを得られない。

しかし、それを

「目の前にいる子どもたちの将来の為に役立てるなら、どうカスタマイズするだろうか」

という思いを込めたものにすると
たちまち反応が変わるのです。

人から借りてきた知恵を
まずは真似てやってみるのは大事。

最初の頃は、教師も、

「子どもたちの為にいいネタを仕入れてきた!」
「授業の時の子どもの顔が楽しみだ」

なんていう想いをもって授業をします。

子どもたちの為に少しでも良いものをと強く願い、
行動をしている。

これは、
心を使っていると言える。

ただ、
真似をすることに慣れてしまうと、
教わったことをそのまま流していても、
子どもの反応は薄くなるのです。

それは、
心を使う割合が減っているからでしょう。

素晴らしい知恵は参考にしながらも、

「この子たちの為に本物の教育を・・・」

そう思いながら、
時間とエネルギーをかけてつくった授業が
子どもの心を打つのです。

もし、
本に書いてあることを真似たり、
教わったことをそのままやったりしても、
よい反応が得られない時は

子どもたちはこう問うているのでしょう。

「ぼくたち、わたしたちの為に、心を使ってくれましたか?」

と。

大人相手の場合は、
大人は空気を読んで
表に出さないようにしますが、
裏側では子どもと同じようなことを感じているはずです。


お金をかけないほど心が使える

筆者は、
教育の為にお金を使ってしまうタイプです。

しかし、
お金を使った教育よりも、
お金を使わなかった教育の方が
子どもの心には残った記憶があります。

筆者が1年生を担任した時に
取り組んだのは、

折り紙で紙飛行機を折り、
そこに子どもの輝いていた行動を書き、

こっそり道具箱の中に
忍ばせておくというものでした。

毎日、2~4個ほど紙飛行機が、
誰かの道具箱に入っている。

子どもたちは朝登校すると、
真っ先に道具箱を開けて
誰が紙飛行機をもらっていたのかを
チェックしていました。

もらった子は、歓喜です。

1年生のそんな姿が可愛くて、
1年間ずっと続けていました。

1年生は素直だから、
そのような反応なのだろう
と思っていたのですが、

3年生になっても、
4年生になっても、
5年生になっても、
ずっとその紙飛行機をとっているようなのです。

子どもと廊下ですれ違う度、
授業参観で保護者とすれ違う度、

「先生の紙飛行機、まだ取ってあります」
「ファイルに大事に入れて保管しています」

と、
たくさん声を掛けてもらいました。

紙飛行機の折り紙にかけたお金は、
たったの1000円程度でしょう。

それでも、
お金を使わない代わりに、
心を使った
からこそ、
何かが伝わったのだと思います。

心を喜ばすのは心

きっと、
全人類の普遍的な真実なのではないかと
思っています。


まとめ

心というものは不思議です。

その想いやエネルギーは、
目には見えないはずなのに
人に伝わることが多い。

それは、
直接面と向かっていなくても、
心を込めた物であっても
それが伝わります。

物が満ちた世の中で、
物で価値の差を生み出すことの
難易度が上がった今だからこそ、

心の使い方を鍛える時代
なっているのかもしれませんね。


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共育LIBRARYりょーやん元教師




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