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学校の授業で1教科だけなくせるならどれにする?

英語のリーディングに
悪戦苦闘している日々です。笑

自分の好きな話す聞くばかりやってきたツケを
払わされる時期に来ています。

英語の文章を読むのって、
疲れちゃうんですよね~笑

ちょびちょびいきます・・・!


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


学校の授業の中で、
1つだけ教科をなくせる
としたら?

そんなことを子どもたちに問えば、
たちまち、

「算数いやだ~」
「俺は国語かな~」

なんて、わいわい騒ぎだすでしょう。笑

子どもたちからすれば、
座って小難しいことを教わる
座学は退屈に感じる子が多いことも分かります。

一方で、大人は、
体育、音楽、図工などの実技より、
座学を重視して考える人が多いイメージです。

しかし、
このような実技の教科は、
これからの時代に一層必要となるものだと
言えるかもしれないのです。

今回はそんな視点から、
学校のカリキュラムに一歩突っ込んでみます。

楽しんでもらえるとうれしいです。



体育・音楽・図工が必要な時代?

体育や音楽、図工の授業は
子どもたちは活き活きと活動することが多い。

もちろん、
苦手な子どももいますが、
時間割にこれらの教科があると、
喜ぶ子どもが多いのも事実。

しかし、
英語もプログラミングも、
色々なものが詰め込まれている現在、
これらの教科は必要なのでしょうか。

筆者は、
これからの時代だからこそ、
これらの教科が必要である
と考えます。

これからはAIの台頭により、
知識をもっていることの価値は、
どんどん下がっていくでしょう。

加えて、
AIでは代替えできない
「生きる力」と呼べる非認知能力は、
体験によってある程度培われることも
分かっています。

体験格差が唱えられるようになり、
注目が集まっているからこそ、
技能教科で体験量を確保することに
価値があると言えるかもしれません。


身体と技能こそが資産

令和までの時代は、
ホワイトカラーの企業が、
重要視されてきました。

ただ、筆者は、
これからはブルーカラーの時代が来るとも考えています。

実際に、
身体を動かして、
肉体労働をする人材の方が
貴重になってくるように思えるのです。

例えば、農業。

2000年には
240万人だった農業従事者は、

2023年には、
116万人と半分に減っています。

その農業従事者の平均年齢は、
なんと68.7歳です。

その内訳を見ると

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

70歳以上・・・68.3%
60~69歳・・・24.3%
50代以下・・・20.4%

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

となっています。

70歳以上が、
全体の約7割
を占めているのです。

50代以下は
23.8万人に留まります。

つまり、
後10年もすれば、
7割の人が引退するかもしれず、

人間の活動の1番の根本となる
「食べる」という行為さえ、
自分の足で立つことが
できなくなるかもしれない。

そうなった時は
どうなるのでしょうか。

無人の自動トラクターなどが開発されても、
高額であれば、
個人農家はなかなか手出しができない。

そうなると、
公共事業で農業を行うようになったり、
大企業が農業も携わるようになるかもしれません。

「農業部門」が社内や役所内にでき、
交代で務めるようになり、
職業関係なく多くの人が
農業に携わる
未来が来るかもしれません。

その時は、やはり、
健康に動く身体こそが資産となります。

介護やインフラ整備など、
生活に必需だと思われる仕事の従事者が
希少価値にもなってくる。

そうなったら、
ホワイトカラーの仕事は、
できるだけAIに任せて、

皆で身体を動かす仕事
今一度大切にするかもしれない。

図工や技術といった教科で、
ものづくりをしてきた経験も
大事にされるかもしれません。

そんな観点から見てみると、
体育、図工、音楽、
もしくは技術・家庭科などは
欠かせない教科であると思えるのです。


実技は左脳から解き放つ時間

現代は、
左脳中心社会であると
筆者は考えています。

勉強、経済、科学、論理。

これらは、
左脳的な脳の働きであり、
正解や効率を求める世界です。

その上、
スマートフォンや
ITツールの普及によって、
情報に埋め尽くされる日常になってしまっている。

こういった情報処理も、
基本的に左脳で行われます。

左脳はリスクを捉えた上で、
効率や展開を考えるので、
ネガティブをベースに
物事を捉えるようになっている。

つまり、
情報漬けになればなるほど、
ネガティブの濃度が濃くなり、
メンタルにダメージがいくとも言える。

現代は、子どもですら
スマートフォンを持っていたりするので、
デジタルデトックスをして、
右脳的な活動をする大切さを教える必要があります。

それが、
音楽や体育、図工などの技能教科なのです。

我を忘れて、
活動に没頭する。

自分の身体が感じるままの感覚に、
身を委ねてみる。

つまり、
「今、ここにある」感覚を感じるということ。

そのような、
動的なマインドフルネスの状態を
意図的に味わわせていく。

すると、
大人になった時に、
自分のメンタルのバランスを取れる術を
身に付けられるかもしれません。


トラウマを克服する第一歩目は・・・

実技教科の重要性を
アメリカの精神科教授の
デア・コーク氏は次のように述べています。

合唱や体育、休憩時間、
その他、動きや遊び、
楽しい活動を含むもののいっさいは、
学校の時間割から絶対に削除してはならない。

PTSDの患者にみられる特徴は、
今、この瞬間に
本当に生き生きとした気分になれない
というものです。

トラウマを負うことにより、
過剰に警戒するようになってしまい、

人生がもたらす
普通の喜びを楽しめなくなります。

トラウマによって、
脳の偏桃体に異常が発生した人は、

あまりに感覚が麻痺していて
新しい経験を吸収できない人や、
本物の危険の兆候を警戒できない人もいるのです。

そうなると、
逃げようとすべきときに逃げなかったり、
わが身を守るべきときに反撃しなかったり
という状態になってしまう。

よって、
パートナーから暴力を振るわれても、
偏桃体が正常な反応を示せない
のです。

もっと言えば、
自分の体内の感覚が
自分に何を語ろうとしているのか

分からなくなってしまう。

だからこそ、
PTSDの反応を変えるために、
偏桃体の壊れた警報システムを修復するには、
情動を司る脳にアクセスする必要がある。

そのために大事なことは、
まず、自分の身体感覚に目を向けることが
重要になってくる。

だからこそ、
心理療法の中には、
音楽療法絵画療法遊戯療法のような
五感で感じる活動が
心を癒す第一歩目になり得る。

つまり、
音楽も、図工も、体育も、
言わば、心の治療や栄養
与えているようなものだと言えるでしょう。

心について悩む人が増えてきている中、
むしろ、これらの実技教科は、
価値が見直されていく教科であると
言える気がします。


まとめ

ということで、
タイトルに対しての結論を言えば、

どの教科も大切であり、
欠かしてはいけないように
教育のカリキュラムは設計されている
といったところでしょうか。

筆者は、
「総合」の教科を
うまく活用できた自信はありませんでしたが、

実質的に、
総合の授業の時間を
野外学習に割り当てたり、
修学旅行に割り当てたりしているので、

調整役という役目を
果たしていると言えるかもしれません。

もちろん、
ガッツリ総合に取り組んでいるところは、
素晴らしい実践をしていると思います。

後は、道徳の授業の中にも、
哲学的な要素をもう少し入れてくれると
より面白くなるかな~
なんて個人的には思っています。

このような教科の必要性を見直していくと、
1つ1つの教科の意義をより考えて
授業を教えたり、
授業を受けたりできそうですね。


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共育LIBRARYりょーやん元教師

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