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センスは鍛えることができるか?

たまに、
むしょ~に卵かけご飯を食べたくなります。

最近ハマっているのは、
卵+醤油+梅ヒジキ+海苔ミックスです。

ンまぁ~いっ!!


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


「センスがいいね!」

そう褒めてもらうと
かなりうれしい気がするのは
筆者だけでしょうか。

なぜ、うれしいと感じるのか。

それは、
自分自身がセンスの必要性
感じているからなのかもしれません。

20年前、30年前に比べると
現代は明らかに
センスを求められる時代になっています。

しかし、

「センスのよい仕事をしてほしい」

などと言われても、
具体的には何をどうすればよいのかが
分かりません。

その上、
センスをどうやって磨いていくのか
疑問が残ります。

そもそも、
センスというものは
鍛えることができるものなのでしょうか。

今回は、
そのようなテーマで記事にしていきます。

楽しんでいただけると幸いです。



センスが必須の時代

現在はセンスが必須の時代と
なっている気がします。

数十年前は、
「モノづくり」を中心とする時代であり、
製造をしていれば
購入してくれる層はある程度は存在していた。

しかし、平成の時代には、
物があることが当たり前となり、
同じ物でもクオリティーにウェイトを置くようになった。

さらに、令和近辺では
クオリティーだけでなく、

使っていて自分が心地がよいかという
デザイン、コンセプト、思想などが
より重視されるようになっている。

これは、
商品だけに関わらず
あらゆるものに関してもそうでしょう。

センスのある会話。
センスのある企画書。
センスのあるお店。
センスのある公園。
センスのある街づくり。

などなど。

センスがある人が
付加価値を加えることができる
時代となっています。

先進国では、
アートエグゼクティブディレクター
組織の重要ポジションに置くことは、
もはや常識です。

クオリティーというよりも、
美しいデザインやフォルムで魅了した
iPhoneを皮切りに、
その流れが広がっていったと言えるでしょう。

しかし、
そのようなことが分かったとしても、
以前として

「センスとは何なのか」

が見えてきません。

次は、センスというもの自体を
深堀していきます。


センスは過去にある

まず、センスとは、

「数値化できない事象の良し悪しを判断する基準」

であるとも言えるでしょう。

そして、
それを環境や目的、
ニーズに合わせて最適化できるのが
「センスの良さ」と呼べるものである気がします。

判断し、最適化できるためには、
ある程度の土台のようなものを
自分の中に持っていなければならない気がする。

つまり、
センスというもののベクトルは、
未来に向いているのではなく、
過去に根差しているとも言える。

過去からの経験を
軸にして考えるからです。

その証拠に、
歴史上「センス革命」と呼ばれる現象は
過去の復興を唱えてきたものが
多くあります。

例えば、ルネッサンス

ルネッサンスは、
復興再生を意味し、

古代ローマやギリシャのセンスを
取り戻そうという
「なつかしさ」を求めた文化運動です。

他にも1800年代に、
アーツ・アンド・クラフツ運動というものが
起こりました。

これは、
工場の大量生産品を使うのではなく、
もう一度手仕事に戻ろう
暮らしに美しいものを取り入れようとする
運動でした。

過去に回帰し、
ノスタルジックな価値
再び見つめ直すことは、

センスを生かすということの
1つである気がします。

また、
センスディレクターの代表格である
千利休も、

これまでの伝統文化の上に、
新しいセンスの時代を築き上げた
人物であると言えます。

様々な事例から
過去の感性が大事なことは分かった。

しかし、
まだまだ実践向きではありません。

ここからは、
どのようにしてセンスを鍛えるのかを
具体的に述べていきます。

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