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日本の歴史上、最も幸せな時代はいつか!?

本当に大事なものだけを
身辺に残すようになってから、
1つのものを長く大切に使うようになりました。

先日、
スマホの表面のカバーガラスに
ヒビが入っていたものを
ようやく張り替え。

もはや、
新品同様に見えるような錯覚が。

これで後3年は持つな。笑


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


歴史の勉強は、
好き嫌いが非常にはっきり分かれる教科です。

男子の中で歴史が苦痛という子どもは、
小学生ではそこまで多くみられません。

歴史(というか社会)を好まないのは、
女子に多いイメージです。

それは、
男性の脳と女性の脳の構造が違うことも
関係していると思います。

ただ、
人物に焦点を当てて、
その人が生きたドラマを描く授業にしたり、

歴史上の人々の生活を
自分ごとと捉えてみたりすると、
結構授業にノッてくれます。

その中の1つの視点が、

「この時代の人々は、他の時代に比べて幸せなのか」

というもの。

今回は、
そのような視点を用いて、
歴史上で幸せだった時代を考察し

現代の生活や
これからの未来に生かすべきポイントを
考えてみたいと思います。

楽しんでいただけると幸いです。



どちらの時代が幸せか?

小学校の教科書は、
縄文時代から始まっています。

ちょっと堅苦しい内容の公民を終えて、
いよいよ歴史の勉強を始めるというタイミング。

子どもたちは、
わくわくしています。

このタイミングでこけて、

「歴史・・・楽しみにしていたのに」

がっかりはさせたくないところ。

そんな長い歴史学習の初期に行う鉄板授業が、

「縄文時代と弥生時代、どちらが幸せか」

という問いです。

「縄文時代はまだ争いがなかった」

という意見や、

「弥生時代は食料が貯蔵できて安心できる」

などなど、
色々な角度から
学びを深める意見交流が行われるのが面白い。

学習内容を深めることを目的にしているので、
正解はなく、
結論は個々人、どちらにしてもOK。

小学生の授業では
近しい時代の縄文と弥生を比べますが、

今回は
もっと広い範囲で考えていきます。

最も幸せだったと言える時代はいつか。

あなたなら、
どう考えるでしょうか。

この記事では、
よく幸せだったと言われる代表格の
縄文時代と、江戸時代を比較してみようと思います。


縄文時代が最も幸せか?

縄文時代が幸せな時代だったと言われる理由。

それは、
何と言っても
争いがなかったとされていることでしょう。

縄文時代は、
1万4000年続いたとされています。

安定が長く続いた江戸時代ですら
260年ですから、
異次元の長さだと言えるでしょう。

狩猟採集が主たる生活様式。

そして、三内丸山遺跡にあるように、
測量の技法が存在していたり
栗の木でできた柱によって周囲を焦がして
腐食を防いでいたりなど、

高い建築技術を駆使している時代でも
あるのです。

矢が刺さった人骨が見つかっていないことや、
対人用の武器が見つかっていないこと、
火焔土器のような細かな装飾を施す
時間的余裕があったことなどから、

戦いが起こっていなかったことが
主張されています。

しかも、遺跡が残っているように
縄文人たちは定住をしており、
労働時間は1日4時間程度だったとか。

余暇の時間は、
土偶を作ったり、通過儀礼を行ったり、
死者への弔いを行ったり、
家族との時間を過ごしたりしてたのでしょう。

縄文時代は
「所有」という概念がなかった
主張する人もおり、

生活に必要な分だけ狩猟採集し、
自分たちだけ得をしようなど考えず、
自然に寄り添う生き方
壊さない社会を築いていた。

だからこそ、
定住をしていたとしても、
生態系が壊れたり、
食料が尽きたりすることが
なかったのかもしれませんね。

生活においても
それぞれが得意なことをやればいい。

仕事面では
今でいう遊びや仕事という区分がなく、
ただ「生きる」ということを
目一杯感じていたのかもしれません。

日本人の全ての生命に敬意を払う性質は、
この時代に顕著に表れていたのかもしれませんね。

そんな縄文時代も、
気候の変化による寒冷化によって
食料が取れなくなり、
稲作に移行せざると得なかったという説が存在しています。


リサイクルのプロ、江戸時代

次は江戸時代。

江戸時代と言えば、鎖国

つまり、自国内で
様々な営みがある種完結していたと言える。

その秘訣が、
自給自足のリサイクル社会

食料は自給自足していただけでなく、
石油などがない中でも、
あらゆる循環を生み出していたようです。

例えば、植物の活用

イネの茎から、
わらじや草履などのはき物、
雨具の蓑や、俵などが創られていた。

衣類の材料は
ワタやアサといった植物を原材料に。
蚕の絹も生産。

アブラナ科のナタネや
シソ科のエゴマなどから油を取り
エネルギーに。

ウルシ科のハゼからはろうを取り、
ろうそくを作っていた。

あらゆる植物を
利用していたのです。

だから資源が枯渇せず、
再生産できる

人の便も肥料として有効活用しており、
農作物には欠かせないものとなっていた。

生ごみももちろん肥料となる。

自然に沿っているため、
生活廃水もわずかであり、

近代的な下水道がなくても、
川の水質はきれいに保たれていた。

とことん無駄をつくらず
環境に無理な影響も与えない

他にも、
鎖国だからこそ栄えた
国内独自の様々な文化があった。

粋、気障、野暮という、
「江戸っ子」と呼ばれる
人情に厚くユーモアを大切にする気質があった。

意地っ張りで喧嘩っ早いかもしれないが、
困っている人がいればしれっと助ける
粋な雰囲気がきっと広がっていたのでしょう。

お金を貯めることをよしとしない気質も
注目すべきところだと思います。

明治時代になり、
人口が爆発的に増加したことにより
このリサイクル社会のバランスが崩れてしまったようです。

そこから疫病が
広がっていったという説も存在します。


現代を翻って・・・

2つの時代を現代と比べて感じること。

それは、
「所有」「貯蓄」といった文化を
それほどもっていないということです。

所有や貯蓄があれば、
確かに将来に備えて安心できるかもしれません。

しかし、
増えれば増えるほど

「失いたくない」

という欲が働き、
困っている人を見て見ぬふりをする
雰囲気が広がってしまうと言える。

所有欲というものは
争いを生む火種なのかもしれませんね。

所有という考えが希薄であれば、
自分の財産がなくなる恐れを抱かずにすみ、
変な敷居をつくることなく
助け合える

助け合うのが当たり前だから、
人と人との心の交流が濃い。
心が満たされる

そして、
傲慢な欲が消えることにより、
人間以外の自然とも共生していくことにも
しっかりと目を向けることができる。

筆者が一人旅に行っていた頃、
貧しい国であればあるほど、
人々が明るく、温かかった
ことと
共通する部分があるのかもしれません。

もちろん、
これらのことに関しては、

「どの時代が幸せか」

という観点で見ているため、
かなり良い面にだけスポットライトを
当てている状態だと言えるでしょう。

ただ、
「行き過ぎた所有欲」によって、
色々な混沌が起こっている日本や世界を見てみると

過去の時代のシステムや思想から
学ぶべきことは多くあるのではないかと思えます。


まとめ

歴史は本当に様々な観点からの考察があります。

よって、
もっと歴史に詳しい人からすれば、

「こういった視点もある」

と思う部分もあるでしょう。

当然ながら、
筆者がピックアップした考えは
ごく一部の考えであるということを
知っておいてもらいたいと思います。

様々な視点をもって、
歴史の勉強を楽しむことができる子どもが
増えることを願って・・・


【参考文献】
・『日本史の謎は「地形」で解ける』
 竹村公太郎 (環境・民族篇)
・雑草が教えてくれた日本文化史
 稲垣栄洋
・エネルギーをめぐる旅
 古館恒介


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