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福田翁随想録(24)

 「老い」に効く自戒の言葉 

 美しく老いることは難しく、どんなに手入れしても老醜は纏(まと)わりついてくる。
 元気印の七十、八十の高齢者が腕を曲げて隆々とした筋肉コブを作って見せたり、カッコよく走って見せたりしても、顔貌だけは正直なもので、年相応の老け方をしている。皺やシミを隠せない。
 ご自慢はいいが、老人にふさわしい謙虚さは欲しいし、それが奥ゆかしい嗜みというものであろう。
 私は仙厓和尚(せんがい・1750~1837)の『老人六歌仙画賛』を愛誦している。先年博多の聖福寺の苔むしたお墓に線香をあげ、長い間の念願を果たした。

 しみがよる ほくろができる 腰まがる 頭ははげる ひげ白くなる
 手はふるえ 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとくなる
 身に添うは 頭巾 襟巻 杖 眼鏡 たんぽ 温石(おんじゃく) しびん 孫の手

 この三首にはどんな元気印のお年寄りでもどこか心当たりがあるだろう。
 実は私は毎日ほとんど欠かさず柔軟体操を続けているが、それでも下肢が冷えて温石のお世話になっている。医者に診てもらってもそもそもが「病気」ではなく、高齢による血流不良のせいだから妙薬はない。「死」がひたひたと忍び寄ってきていることにほかならない。

 聞きたがる 死にとうなる 淋しがる 心はまがる 欲ふかくなる 
 くどくなる 気短になる 愚ちになる 出しゃばりたがる 世話やきたがる
 またしても 同じはなしに 子をほめる 達者自慢に 人は嫌がる

 仙厓和尚は博多の上人と崇められ、近世の禅林では、白隠、良寛と並ぶ三傑といわれている。さすがに老人の心理をここまで見事に洞察している。
 六十三歳で法席を譲ってからは禅の教義を絵に托し多くの禅画を残している。東京出光美術館にその画の多くが所蔵されている。
 この画賛を誦していると、いつも私自ら図星を指されているように思えてきて慙愧(ざんき)に堪えない。
 義父が傘寿になった時、私が軽率にも
「お父さん、八十歳になってもまだ生きたいですか」
 と聞いたと、いつか家人から指摘された。
 その時義父は、恥じらいながら
「生きたいですね」
 と答えたという。
 当の私はそのような失礼な問い掛けを口にしたことはすっかり忘れてしまっていたが、何をかいわんやである。
 当時私は六十歳になったばかりで、義父の八十という歳は遥か霞がかかった域に思えていた。悪意でも皮肉でもなかった。むしろその逆で、その年齢に達すると生死を超越して淡々とした境地になるのだろうと、畏敬の念さえ持っていた。
 私自身が傘寿になったいま若い者から同じ質問を受けたら、私も義父と同じ答えを返すだろう。いま孫たちと同居しているが、彼らも毎日顔を合わせているわれわれ祖父母のことを踏み込めない彼方の存在と思っているに違いない。 
 息子が噂に上るほどの大出世を遂げるとそのことを会う人ごとに吹聴したがる。相手の孫が大学受験に失敗しているのを承知していながらというのではなおさらいただけない。
 病院通いしている仲間に「風邪ひとつ引かない」と自分の丈夫さを誇ってみても、相手は不愉快に思うだけだろう。いわんやその相手に向かって痩せたの顔色が良くないなどと親切心のつもりであっても口にすることは慎みたい。
 胃潰瘍の手術を終えて退院してから顔をまじまじと見つめられたものだが、私をひどく不快にさせた言葉を吐いた方はご自身ががんに罹って亡くなった。人に気を配る暇があったら自分の頭の上の蠅を追った方がいい。
 先日、荒 松雄氏が日経新聞の『こころ』欄に紹介していた、十一世紀カスピ海南岸の弱小国王カイ・カーウーズが息子に残した教訓書『カーブースの書』の内容が、仙厓和尚の老人六歌仙画賛とちょっと似通っていて興味深かったのでここに添記しておきたい。
 
 役に立とうが立つまいが、人の話を聞くのを嫌がるな。
 年を取ってから若者ぶるのは見っともない。それは退却時に進軍ラッパを吹くようなものである。
 年を取ってみると美女たちを欲しく思わないし、また欲しがったら無様である。
 老齢者は見舞客のない病人で、死以外癒す薬はない。

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