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禁断のビブラート
深夜、動画サイトを彷徨っていて、偶然もう後戻りできない、忘れ去ることのできない決定的な出会いを果たしてしまいました。大袈裟に聞こえるでしょうが、まさに逃れられないものに触れてしまったとしか言いようのない驚愕の出会いでした。
出会って良かったとかマズかったとか評価できるようなレベルじゃなくて、ただただ驚異で、魂を瞬時に掠めとられたような感覚でした。気楽に受け止めてなどいられませんでした。危ういものに触れてしまった、体感してしまったという認識に近いでしょうか。
解っていただけるでしょうか? 平静でいられなくなるんです。「感動」とはちょっと違います。これまでいろんな歌手の歌を娯楽として聴き齧ってきていたけれど、このような衝撃を受けたのは初めてです。
女性歌手の方なんですが、それほど世間に知られている歌い手じゃありません。無名と言ってもいい存在です。経歴をググってみると、二十二歳でデビューされています。セカンドシングルがテレビCMに起用されるなどしたものの、その後ブレイクすることなく、歌手を辞めようかと真剣に迷われたこともあったそうです。現在五十代で、ご主人もお子さんもいらっしゃるとか。
彼女が歌っている動画サイトを訪ねまくりました。演歌あり、歌謡曲あり、ポップスあり、どんなジャンルの歌でもぞわぞわっと鳥肌が立つんです。どの歌も、何回聴いても、抗うようにぞわぞわっとからだが反応してきてたまらなくなるんです。
「なぜなんだ? なぜこうも居たたまれなくさせられるんだろう?」
その正体を掴もうとリピート再生させながら感覚を研ぎ澄ませていきました。
「曲調じゃない……声質なのか、声色なのか」
結局はとらえ切れず、気がつけば身を委ねてしまっていました。自由に、奔放に、これでもかと響かせまくられるビブラートに完璧に弄ばされていました。
「このままじゃいけない」
思わず身構えていました。
「音楽」は、ただ「音」を「楽」しみながら聴いていられるものばかりじゃないんですね。身も心も、そして魂も、とことん疲弊させる魔性のものも存在するんですね。
「このまま惚けていたら自分を失ってしまう」
怯えを伴う危機感を覚えました。本当のことなんです。
「いったん落ち着こう」
反射的に動画を止めていました。
ところが、止めた途端、驚くべきことに聴き続けたがっている半端じゃない欲望がはっきり自覚できました。聴き続けていてはいけないと自制する意識が立ち上がっているのに、一方では聴き続けたがっている欲求が猛っているんです。
誘惑を断ち切るためにその動画サイトを「お気に入り」に入れることでなんとか抑え込み、パソコンの電源を落とすことが出来ました。
そこで終わる話だと、その時は安易に考えていました。
床に就いたのは窓の外が薄明るくなり始めている頃でした。照明を落とした部屋でベッドに横になり、毛布を掛けて入眠すべく目を閉じると、なんと耳元で、いや頭の中で彼女は歌い続けていました。
――これって中毒? 禁断症状?……。
「羊が一匹、羊が二匹……」
子どもじみた試みを嘲笑うかのように、透き通った伸びゆく声音を震わせているんです。嗜虐的にビブラートをコロコロと響き渡らせているんです。