年暮るる夜に
いま東山魁夷の「年暮る」の画を独り客間で眺めながらこれを書いている。
時あたかも師走、年の瀬。日本庭園のような敷地に点在する数寄屋造りの離れのひとつに投宿している。
客屋は傾斜地に建てられていて、一階が玄関で、和室二間と広縁。そして階下にも居間と寝室、広縁がある。その階下の居間の壁面に、この複製印刷された画が飾られていた。
「京洛四季」連作のなかの一点。大晦日の京都の雪降る夜の街並みを描いた日本画だ。東京の広尾にある山種美術館で実物を観たことがある。この複製画は実物よりやや小ぶりだが、精緻な特殊デジタル技術で複写されていて実物と遜色ない。
画の中央奥に描かれている寺院はなんという寺なのだろう?
それに近い雰囲気の寺院を想い出そうと記憶を探ってみたが、まるで覚えがない。
ネットで検索してみると、簡単なキーワードだけで難なく探り当てることが出来た。その場所の写真が掲載されているサイトにも辿り着けた。
日蓮本宗本山要法寺(ようぼうじ)の本堂と新堂の建物だという。描かれたままの姿を遺している。この寺院が失われていれば、恐らく特定は難しかったろうと推察される。
京都ホテル(現ホテルオークラ京都)の屋上からの東山方面の眺望。手前に鴨川。時の流れようである。今は商業ビル、マンションなどが増え、かつての平屋の家屋はほんのわずかしか残っていない。
舞い降りる雪の中に、静やかに佇む街並みの屋根瓦の連なり。この静謐な景色を前に画家が留めようとしたものがひたひたと伝わってくる。いまそのモチーフに身と心を添わせようとしている。
先ほどから除夜の鐘が私の心奥で撞かれ始めている。
手前の家屋の窓がほんのり橙色に灯っている。この才覚、この繊細な思い入れにきゅんとする。この仄かな灯がなかったら、さぞかし寒々しい景色になっていたことだろう。想像してみただけで思わず悪寒がぞわぞわっと這い上がってくる。
ネットのブログでこう書き込んでいる方がいた。
与謝蕪村の国宝「夜色楼台図」に似ていると思った。実際、この「年暮る」は「夜色楼台図」を意識して描かれたもののようだ。
作品中央から奥に見える、大きな屋根の寺院からの除夜の鐘を聞きながら、静かに新年を迎える人たちの営みが、魁夷の作品からうかがえる。
いつの世も厳かなものは、人たちの静謐な日々の営みである。
全体的に落ち着いたトーンに、少し緑を混ぜて温かみのあるブルーを表現し、ろうそく色の灯りが窓からうっすらと漏れる。
降り積む雪以外は、人工的なものだけを描いて、人間は一人も登場しないのだが、新年を待つ町衆たちの暮らしが見えてくる。
蕪村の、目にも留まらぬスピード感のある筆致の京都の夜とは対極にある、まるで機を織るように、まるで祈りを捧げるように色を置いていく東山魁夷の筆に、感動する。
――はてなブログ(「年暮る」toship-asobi)
「夜色楼台図」をつぶさに見ると、なるほど、そう言われればそう言えなくもない。雪景色の街並み。そして家屋に朱色が塗られている。魁夷のオリジナルではなく、与謝蕪村の思い入れのトレースだったのかもしれない。
因みに、眺めていてちょっとした違和感を覚える点がある。雪の大きさに雑さを感じるのだ。そう感ずるのは私だけだろうか。粒の大きさ、降らせ方が均一過ぎはしないか……。
除夜の鐘はもういくつ撞かれただろう。いつ果てるともなくいまだ移ろう喪失感の残滓を乗せ、静やかに、重々しく響き渡らせている。
広縁の窓を開けたところ思わぬ凍りつくような冷気を浴びた。総毛立つ身を両腕で包んで吐いた息が、ひと際白い。
空は厚い雲に覆われ、月かげもない。山峡の深緑の樹々はすっかり闇に溶け入りしんと静まりかえっている。辺りになんの生き物の気配も感じられない。
秘境の隠れ湯宿などという魅惑的な文言に惹かれて、年の瀬に一人で軽々しく訪れて来てしまったことを後悔した。雪こそ降ってはいないが、「年暮る」のモチーフにどっぷり浸り込んでしまっている。東山ブルーに染まり尽くし、孤独感、寂寥感を募らせてしまっている。