夢かうつつか虫鳴く声に
夜半に目が覚めぼんやりしていると虫の鳴く声が聴こえた。
真冬のこの寒い時季に聴こえてくるはずがないと、その声の正体を探り始めていた。頭は冴えてきて眠気はどこかへか霧散していった。
ここ数か月、睡眠時間が短く、眠りも浅い。家人は「身体も脳も休まらないでしょう」と心から案じてくれている。
昼間に眠気が襲ってきて半睡状態を漂浪している。睡眠外来という専門窓口があると頻りに診察を受けに行くように勧告してくる。
確かに深刻な状態なのだろうけれども、寝つきはいい方なので積極的に改善しようとはしていない。早く床に入ればいいものを、映画やネット動画をだらだらといつまでも観漁って毎夜日をまたいでばかりいる。差し迫った心身の症状がないことをいいことに軽く考えてしまっている。
虫のような鳴き声の出所は、外ではなく私の頭の中だった。し―ん、し―んと唸るように鳴いている。
頭はさらに冴えてきて、すぐに見当がついた。血流のせいだった。両耳の後ろ辺りで絶え間なく生まれている。
正体がわかっても私は、あえてその音を虫の囁きとして聴きとろうと努めていた。
ツヤツヤした褐色肌の甲虫の絵が浮かぶ。し―ん、し―んをあえてスズムシやコウロギの軽やかな、快い囁きに置き換えようとしてみたが、うまくいかない。し―んはし―んのままだ。血流の生理的な音には到底敵わない。幻音は幻音で、所詮はまぼろしでしかなく、現実には勝てない。
瞼を開けると、見慣れた薄汚れた小部屋が墨絵のように浮かんできた。親しみすぎた映像になんの感情も湧かない。
夜闇に眼が慣れてくると身も心も縛りつけられるような不自由さを覚えた。今一度目を閉ざしてみたが、もう明らかに血流の音としか聴こえない。
秋の虫たちの声を求めて幼き頃の記憶を手繰り寄せはじめた。消えかかったセピア色した映像が立ち上がってくる。なんの脈絡もなく、朧げな思い出が次から次へと目くるめく。
枯野を童子となって喜声を上げながら、飛ぶように、自由奔放に駆け巡る……。
いにしへを思えば夢かうつつかも
夜はしぐれの雨を聞きつつ
良寛