大愚良寛
大愚(たいぐ)
生涯懶立身 生涯立身に懶(ものう)く
騰々任天真 騰々(とうとう)と天真に任す
嚢中三升米 嚢中(のうちゅう)に三升の米
炉辺一束薪 炉辺に一束の薪
誰問迷悟跡 誰か問わん迷悟(めいご)の跡
何知名利塵 何んぞ知らん名利の塵
夜雨草庵裡 夜雨の草庵(そうあん)裡に
双脚等閑伸 双脚を等閑(とうかん)に伸ばす
(意訳)
生涯、立身出世にうとく
自然のままに任せてきた。
いま手元には三升の米と
一束の薪があるのみ。
誰が問うだろうか、迷いや悟りのことを。
どうして知ろうか、名声や利得のことなどを。
雨降る夜、ひとり草庵の炉辺で
ただ両脚を投げ出している。
良寛は生涯に二三〇余りの漢詩を遺しているそうだが、なかでもこの五言律詩は有名で、代表作と目されている。
自ら「大愚良寛」と称したという。「愚」とは悟りであり、「大愚」は何物にもとらわれない無我の境地を意味している。
雨降る夜にひとり草庵の炉辺で托鉢に疲れた両脚を伸ばしている良寛の佇まいが浮かび上がってくる。作詩時の心境、清貧暮らしの一端を窺い知ることができるように思う。
ただこの漢詩もまたどう読み定めたらいいのか迷わせてくれる箇所がある。次の中二句である。
誰問迷悟跡 誰か問わん迷悟の跡
何知名利塵 何んぞ知らん名利の塵
ネットで検索すると、ニュアンスが異なる訳文がいくらでも出てくる。
誰も私の法話に興味などなく
評判も財産もなにもない――入矢義高訳注『良寛詩集』
今や、迷いや悟りというものに拘ることもない
まして、俗世の名利など――「生涯懶立身/良寛」徳成寺
迷いだの悟りだのに誰がとらわれようか
名誉や利益といったこの世の煩わしさにどうして関わろうか――野積良寛研究所
迷いだの悟りだのと私にはもうどうでもよく、
まして名誉や利益などつまらないものにはかかわりがない
誰が問わん、迷いや悟りの証拠を
何ぞ知らん、名利の塵あくたのことなぞ
実に、悩ましい。いずれにしても、大方の解釈は「迷悟」や「名利」にとらわれない、関心がないということでは一致しているように思うがどうだろうか。
で、今のところはこう解釈している。
誰が問うだろうか、迷いや悟りのことを。
どうして知ろうか、名声や利得のことなどを。
古代ギリシャ時代の哲学者の話を思い出した。かなり前に聞き齧ったことなので、実に不確かである。とうに名前も忘れてしまっている。
ある哲学者が日向ぼっこをしてまどろんでいるところへ皇帝だったか、とにかく偉い人が現れ、世にいう立身出世の「いい話」を持ち掛けてきた。ところがその哲人はなんの興味も示さず、それどころか不満げにその相手に向かって「そこをどいてくれないか。日が当たらない」と言い放ったという逸話である。
屈託なげに足を投げ出している様子の良寛と日向ぼっこをしている哲人とが私の頭の中で重なったのだ。まあ良寛ならそんなことは言わずに、そっと場所を移動したかもしれない。あるいは優しいまなざしをその訪問客に投げかけて、やんわり申し出を断ったかもしれない。いずれにしてもギリシャの哲人のような横柄な言葉は吐かなかったことだけは確かだ。
ひと息ついて、コーヒーを淹れるために机を離れた。ややあってマグカップを持って戻ってくると、なんと愛猫のミュウの前足がキーボードのディレイトキーの上に乗っている。
「まさか」と思い、ディスプレイ画面を見ると、タイトルの「大愚」だけしか残っていない。
「まずい」と思ったのか、すっと脇机に飛び移った。その時おりんが鳴った。まるで合掌しろとでも言わんばかりに。