猫の小話二題
猫の失踪
ある日父が子猫を連れ帰ってきた。メスの三毛猫だった。
「ネコ」と名付けられた。いや名付けられたというのは正しくない。「ネコ、ネコ」と呼んでいるうちにそれが名前になってしまったのだ。
小学校に入学したばかりの頃のことで、我が家で動物を飼うのは初めてだった。有頂天になり、学校にいても頭の中は「ネコ」のことばかりで、放課後は友達と遊ぶことより「ネコ」と遊ぶことを愉しみにしていた。
「ネコ」は懐いてくれ、名を呼べば必ずそばに寄ってきた。餌を貰えなくても喉をごろごろ鳴らしてからだを擦りつけてきた。
成長は早く、すぐに成猫になった。いつ頃からだっただろう、「ネコ」がひどい皮膚病に罹った。田舎町に動物病院などまだない時代だ。なかなか治らなかった。痒みからか頻繁に引っ掻き、治りかけていたのにそのたびに瘡蓋が剥がれ、輪を掛けてひどくなった。その繰り返しだった。
仕方ないと諦めかかっていた頃、「ネコ」が突然いなくなった。可愛がっていたのになぜいなくなったのか理由が分からなかった。哀しかった。喪失感に苛まれ、親たちが心配するほどに元気がなくなり、塞ぎ込みがちになった。学校から帰ると憑かれたように毎日探し回り、からだの柄が似た猫を見掛けると後をつけたりもした。
猫は突然いなくなることがある、必ず戻ってくると教えてくれる人がいた。また逆のことを言う人もいた。なかには信じたくない、衝撃的なことを教えてくれる人がいた。「自分で自分の死期を悟るとその姿を飼い主に見せまいとして身を隠す」と。
さらに捜索範囲を広げたが見つからなかった。いつしか「ネコ」が夢の中に現れるようになった。
時が経ち、「ネコ」が消えたのは、親が完治しない皮膚病を疎んだせいなのかもしれないと考えられるようになった。不安定で揺れ動く歳になり親との関係がぎくしゃくしだしていたこともあり、確かめることもしなかった。
真相は今でも分からずじまいだ。しかし、自分の中では疑惑は確信に変わっている。
猫の承認欲求
ある日の夕刻、縁側で寛いでいる私の所に愛猫が珍しい戦利品を咥えてやってきた。目の前でこれ見よがしに動かなくなった獲物を弄んでいる。
――自慢しに来たのだ。
そう悟ると、ちょっと期待に応えてやりたくなった。
「凄いな」
冷淡に声を掛けた私の方へ顔を向けた。目が合う。
「ん?」
多分、そんな感じで。全く予期してなかった反応だと言わんばかりに。
さらにそばへ近寄ってきて、私のすぐ前に咥えたものを落とした。
――心から褒めてもらいたいんだな。
そう確信した。
「よく捕まえることができたな」
胡坐をかいている私の膝に頭を擦りつける。ごろごろ喉を鳴らしている。
「どうやって獲ったんだい?」
ゴロンと横になった。腹を撫でてやるとさらに高まった。
「もっと、もっと褒めてくれよ」
そんな声色に聴こえる。
「雀か、凄いな、凄いよ」
反らした喉を撫でてやる。
雀はちょっとした気配でもすぐに飛び立ってしまう警戒心の強い微弱小動物というイメージがある。猫といえどもそう簡単には近づけないし、捕まえることなど至難なはずだ。
見え透いた愛猫の行動がたまらなくいじらしかった。
しばらくすると不意とからだを起こし、雀を咥えたまま庭先に降りた。振り返りもしないで緩慢な動きで去っていく。その後ろ姿が偽らざる感情を色濃く漂わせている。
――自慢し甲斐がなかったか?
「もういいよ」とでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
――他にも自慢したい当てがあるのか?
藪の中に消えていくのを見送りながら行きそうな所を頭に浮かべていた。
「猫に話掛けんなよ。言葉じゃ伝わんないんだよ」
とも言っているかのようで、不憫に思えた。
猫にもそういう欲求があるんだと感じ入り、とても愛おしくなり姿を追ったが、どこへ消えてしまったのか見当たらなかった。