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人生は苦行だと思っている僕が「楽しむ人生」を諦めたら使命感が心地良くなった

そもそも人生は苦行だと思っている。

仏教でも四苦八苦という言葉がある。

生まれる苦しみ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、死ぬ苦しみ。

そこに加えて、愛するものと別れる苦しみ、憎むものと出会う苦しみ、欲しいものを得られない苦しみ、そして心や体が思うようにならない苦しみ。

これらは誰の人生にも必ず存在する。

だから「人生を楽しむ」という言葉には正直ピンとこない。

楽しむというのは、なんとなく苦しいことから目を背けてごまかしているだけのように感じる。

「人生楽しもう!」とすればするほど、それが虚しいことに思えて仕方がない。

無邪気に心から「人生一度切り!好きなことしなきゃもったいない!」とは思えないのだ。

起業してからか、する前か、どこかのタイミングかは覚えていないが、「無理やり楽しもうとする」ことを諦めた時がある。

楽しさを求めて何かをするとか、楽しむために努力するとか、そういう行為自体が自分にとっては矛盾している気がしたからだ。

僕は「楽しい人生」を諦めてみた。

その結果、ある問いが浮かび上がってきた。

「じゃあ、何のために生きるのか?」

楽しさを目的にできないなら、他に何があるのかを考えざるを得なかった。

その時、自然と湧き上がったのが「どうせ生きるなら、自分の能力をフル活用して誰かの役に立ちたい」という思いだった。

いわば、使命感だ。

「楽しそうだから」という理由よりも、「これは使命だ」とう理由で何かをやる方が、行動を起こす理由としてよっぽどしっくり来た。

そして皮肉なことに、この使命感を抱くようになってから、人生にほんの少しだけ楽しさが戻ってきた。

ただし、それは以前に漠然と求めていた「楽しい人生」とは違う。

他者や社会に自分を投げ出し、その結果として生まれる満足感や充実感。

それが、僕にとっての「人生の楽しみ方」になった。

人生は苦行だ。

それを無理矢理楽しもうとするよりは、どっぷりと使命感を背負った方が生きるエネルギーが湧いてくる。

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