#7 抽象的に振り返る、北見時代
室蘭に越してきてまもなく1年になる。
今振り返ると、1年前までいた小樽は札幌と近い事もあって、小樽在住ダンス人生は、ほぼ小樽在住者がほぼほぼ札幌にいってダンスをしている感じ、つまりほぼ札幌ダンス人生だった。
小樽のダンスイベントはあったけど発表会だけだった。
バトルやコンテストはなかった。
また、ダンススタジオが札幌の拠点を持ちつつ小樽のダンススタジオっていう点もあったし、大学生も札幌から通う人も多く、小樽にいて、小樽でダンスして、みんな小樽の各々の帰るところへ帰宅する、というシーンではなかったと感じる。
これは決して否定ではない。
むしろ、札幌と小樽の間柄でみたら、地域間の境目がなくよりダンスのしやすい環境であると思う。
事実、自分も小樽で自主練しながら、札幌でショーケースや舞台の作品作りをしてた。
それはとても充実したものだった。
地方に住む醍醐味
転勤族なゆえに、いろんな地を転々とした。
最初の勤務地では、札幌の寮に住みながら千歳に通っていた。
それ以降は、北見、小樽、そして室蘭とその地に住んできた。
特に北見ではとてもいい生活ができたと感じている。
そこでは札幌から離れている故に、いい点があった。
まずは、立地。
札幌に頻繁に帰れない。
帰るだけで一苦労(4時間・・・冬は5時間?)。
札幌に行くことが、しっかりとしたイベントになる。
ダンスイベントに行く為に行くんだが、行く行為そのものがイベント。
そうなると、札幌に行った時にやる事、やりたい事、やらなきゃいけない事があると、それを一回の遠征で詰め込んで予定組みをしてやり切らなきゃいけない。
遠方にある事が、札幌へ行くそのものの行為の価値を高め、気構え、行動予定をより高めるものにしていた。
次に、地方での完結感。
その地に住んで、その地に生きる為に必要な事が備わっている。
家電屋さんがあったり、急遽必要にあった衣装を買う為に使いたい服屋(ユニクロ等、古着も)もあるし、飲み屋も朝までやってて、外食する場もある。
そして、人がその地に根付く事。
小樽と北見を比較した時に、特に感じたのがここ。
例えば仕事面だと、小樽に住んでいる人なのに札幌に仕事しに行っているから面談ができない。
逆もしかり。
小樽で会ってるのに、札幌に住んでいるがゆえに生じる課題。
大学生もそう。
小樽に通う札幌在住の大学生。
これがあった。
逆にこれがなかったのが北見。
みんな北見に住みながら、北見で仕事をしてる。
大学生も北見に住みながら大学に通っていた。
北見を経て小樽に住んだことで感じた、地方の良さはこの完結感、その土地に根付く生活圏の確保だと考える。
最初は札幌以外で住んだことのない自分にとって、札幌以外の地域に住むことは札幌が遠くなり、不便になると考えていた。
ただ、札幌が立地として遠くなった代わりに、上記に書いた地方完結感が札幌に行かなくても大丈夫な安心感と、札幌では感じられない期待感・楽しみを味合わせてくれる。
この話をダンスについても話しておきたい。
人がその地に根付く事は、ダンスに地方性を持たす事には必要不可欠であると感じる。
北見は、その地で生まれ育つKIDがいて、その地の大学に通いその地に住む大学生がいて、その地に住み働く社会人がいた。
この人たちの交わりが北見の地でダンスを通じて行われる事で、北見という場所に「ダンスシーン」があった。
個人的な見解だが、北見に行った当初はそこまで「ダンスシーン」としては確立されていなかったと思う。
ただ、ちゃんとダンススタジオの発表会はあって、大学生は学校祭で発表会は行われていた。
でも、それだけだと何か物足りなかった。
大学生と一緒に練習する社会人と、KIDを指導するスタジオインストラクターが一緒になり、KIDシーン(スタジオシーン)、大学生シーン、それ以外(主に社会人)を巻き込んだ1つの場所。
これがあることで、その地の「ダンスシーン」ができあがってきた。
さらに、ショーケースとバトルの混在。
ここがキーポイント。
スタジオに通う人やダンスサークルに通う大学生は、必ずしもフリーで踊ることを必要としていないと感じる。
誰かの振り付けで踊りたい、もしくは振付を作ってみんなで踊りたい。
そのダンスの楽しみが第一優先の人もたくさんいる。
これは、ダンススタジオに属さない、ソロプレーヤー故の発言である。
事務所に属さない、フリーの芸人みたいな。
事務所ライブはダンススタジオの発表会のようなもの。
大学生だと、学校祭のライブとか。
それぞれのコミュニティが独自で行う披露の場。
ここに、所属を問わない外ライブがあると、所属の域を超えた交流がある。
また、所属が所属内で培う力は特別なものがある一方で、所属の域を超えた場での交流も、所属があることでより特別感が増す。
フリーで活動すると、フリー故の雑草魂、独創性がある。
「レペゼン」という言葉がある。
本来、自分はレペゼン札幌なのだろう。
生まれ住んだ地だし、ダンスを始めた地でもある。
ただ、自分を代表するのは北見も同じである。
その地でしか会えない人たちと、その地で培ったものは、その地で生まれたダンスであり、その地で始まったもの。
はじまりはこれまでのダンスの延長線上の転勤という唐突な不意に始まったタイミングではあるが、かつ一時的に住んだ場所ではあるが、そこから生まれた新たなものはただの延長上のものではない。
これまで培ってきたものとは違う次元で新たに始まったもので、これまでの延長上では語れない、別の次元で進んで、離れた今もこれまでの、いわば第一章のダンス人生とは違う第二章として単独で、ただ時に相互干渉し、そして脈々と自分自身に流れている。
しっかりと「レペゼン」していきたい思い入れと、自負と、ある意味自分勝手に覚悟を背負える。
おわりに
この投稿の趣旨は、そもそも苫小牧のイベントをべた褒めし、分析しようと思った記事だった。
書き出し始めは7月とか・・・かなりとうこうをさぼってしまった。
ところが、小樽と北見のダンス人生の違いだけで2,000字を越し、長々としてしまったので今日のところはここまで。
小樽も北見も充実していた。
札幌でダンスをしている人以上に楽しめている自負はある。
価値観は人それぞれ。
競うつもりもない。
でも、札幌がすべてじゃないって年々感じるようになった。
今住む室蘭も、いろいろと語れるダンスの環境がある。
それはおいおい。
小樽とも北見ともちがうダンス人生。
最後に一言。
室蘭・・・ひいては苫小牧を含む胆振ダンスシーン、最高ですよ?