躁鬱大学 はじめに

2020年5月1日執筆開始


躁鬱大学

はじめに

 僕は躁鬱病です。今では双極性障害と言うらしいんですが、その言葉じゃなんのことやらわかりません。躁鬱病と言われた方がよくわかる。躁状態がきて、鬱状態がくる。そして、それを繰り返す。突然病気になるんじゃありません。どこかしらその特性、特徴みたいなものはもともと持っています。だから診断された時も不思議ではありませんでした。むしろ、やっぱりそうなんだ、とホッとしたと言うか、あ、僕が悪いんじゃないんだ、そういう体質なんだ、と人のせいにできたというか、そういう感触だったことを覚えてます。
 僕自身が診断されたのは2009年です。当時、31歳でした。東京のメンタルクリニックみたいなところでした。診断されたと言っても、特別な機械を使ったり、血液検査なんかでわかるわけではありません。医師と対面して、症状を話して、それで医師は経験から、躁鬱病ですねと言いました。だから多分医師も勘です。長年の勘だから、当たっていることも多いと思いますが、でも勘です。それが全て正しいってわけではないですね。でも、躁鬱病と診断しつつ、治療をしたら、一番治しやすいかも、ということで、診断するんだと思います。
 そんなわけで僕は対処法としてリチウムという薬を渡されたのですが、「どうしてこの薬が効くんですか?」と聞くと「実はよくわかっていない」とその医師は正直に教えてくれました。どうして効くかはわからない、でもこれまでの臨床記録を観察すると、どうやら効くらしい、しかも全員じゃなくて、リチウムが効く人もいるらしい、でも、違う薬が効く場合もあるらしい、という「らしい」ずくしです。とは言っても、信用していないわけではありません。この躁鬱病って本当に他の人にはなかなか伝わりにくい病気ですし、とにかく仲間が一人増えると思えるだけでありがたいと思います。だから、仲間としての医師ともめたら辛いです。躁鬱病の人ってすぐ怒っちゃいますよね、普段は温厚なのに、ついカッとなって、ということが起きる、これも後で、考えていきましょう。ついカッとなってしまいそうな人からはとりあえず離れておいてください。
 そんなわけで治療がはじまったわけですが、これがなかなか大変でした。僕の場合、一応創造的なことを仕事としているので、ひらめきみたいなものが大事ですし、それと躁状態がたびたびシンクロしてきます。普通であれば、躁状態だと思って、みんなから敬遠されてしまって、一人になって、あ、これはまずいと気づいてしまいそうなところですが、躁状態がひらめきと混ざってますので、あ、それいいですね、どんどん進めてください、いやあすごいですね、どんどんひらめくんですね、常人には理解できませんが、それは能力が高いからですよね、みたいな周りの反応もあって、僕もいい気になって、とにかく、褒められたことはすべてそのまま受け取ります。とにかく自分がすごいと思っているので、疑問の余地がありません。褒められると、お世辞とは一切思っていませんし、むしろ褒められて当然だと思ってます。そして、これは躁状態のときだけです(鬱状態では全てが逆になります)。そんなわけで疲れるまで動き続けて、もうどうにもならなくなって、倒れて、そのまま鬱状態に突入し、メールの返信もできず、電話にも出れなくなってしまいます。はじめは躁鬱病であることを公言していませんでしたから、どうにかごまかしつつ日々を送ってました。いやあ、それはそれは大変でした。でもこの文章を読んでいる躁鬱病と診断された皆さんも同じだと思います。
 本当に大変ですよね!しかも、その大変な具合をなかなか説明することが難しいと思いませんか? 
 昨日言ってたことと、今日思っていることが全く違うということも多々あるので、一貫性があるのが普通の人間であると当然のように思われているこの世界でやっていくのがしんどいです。何かをパッと思いついて、それをそのまま口にすると、確かに体は楽で楽しいのですが、周りの人はそんな僕が毎日毎日コロコロ考え方が変わると知っていたとしても、さすがに昨日言ったことが、今日はすっかりやる気をなくしているほどひどくはないだろうと思ってますので、びっくりされます。いや、正直に言ったことはなかったので、びっくりされるかどうかわかりませんが、びっくりされるんじゃないだろうかって、不安になります。だから一貫性のある人間をどうにか装っていたんですね。うまくできていたのかはわかりませんが。いや、後で周りの人に確認をすると、みんな実ははじめから僕の一貫性のなさ、気分の浮き沈みの激しさ、思いつきで行動し、すぐ飽きることを知ってました!僕だけどうにかバレないように、一貫性のある大人な人間の演技をしているつもりだったというだけです。でも思い出すだけで大変だったなあと思います。今は、そういう演技を一切しないようになりました。
 躁鬱病というものが一体、なんなのかわからない、という状態が僕の場合は長く続きました。躁状態になって、鬱状態になる、それを繰り返す、ということはわかります。しかし、どうすればいいのかということがわからなかった。そこで医師に聞こうとするんですよね。医師はまず毎日服薬をすること。そして疲れすぎないようにすること。そしてちゃんと寝ること。言っていたのはこの3点でした。それが守られてて、一応仕事ができていて、生活が破綻していなければ、あとはまあいいでしょうというスタンスでした。それはそうなんですけど、僕としてはもう少し心が楽になるようなことを知りたいと思っていた。でも医師としては自殺をどうにか避けたいと思っていて、それ以外は多少鬱でも仕方ない、躁状態になって暴れるよりはましかもという感じだったと思います。でもそれじゃ物足りない、というか「窮屈だな」と感じてました。この「窮屈」だと感じるってことがのちに重要だと気づくのですが、まだその時はよくわかってません。躁鬱病は病気というよりも体質なので、波の強さを抑えることはできても、基本的には生涯治らない、つまり、服薬も生涯続ける、その中で自分なりのやりやすい生き方を見つけていくしかない、というようなどちらかというと消極的な姿勢で臨む、というやり方が医師の考え方でした。それはそれで一つの方法ですし、効果があるから、医師もやっているんだと思います。それによって助けられたところもあります。でも、何かが足りない。躁状態の時に感じた万能感が、体に染み付いているので、もっと楽しくやりたい、もっと可能性を広げていけるような方法がないものか、とつい考えてしまいます。でも、それだとまた激しい躁状態になり、体を燃やしてしまいかねません。かつ、疲れてしまったあとは、ちゃんと上がった分だけ下がります。激しい躁状態の後には、とてつもなく激しい鬱状態が訪れます。浪費するのは一瞬でも貯蓄するのは長く時間がかかるように、躁状態は一瞬ですが、体力を充電していくための鬱状態は長くかかるし、そもそも体感時間が長くなるので、もう一生ここから抜け出せないんじゃないかと思ってしまいます。だから、躁状態に任せて、楽しく生きがいしか感じない生活を目指すのもどうも違うような気がしていました。じゃあどうすればいいんだよ。本当に僕はわからなくなってしまいました。
 どうにかしたいと思って、躁鬱病に関する本を読もうと思ったのですが、いくつか読んでもみたのですが、どれも同じことが書いてあるんですよね。医師が言っていたこととほとんど変わりません。多分、ですが、躁鬱病ではない人が書いているんですよね。だから症状は色々書いてありますが、どうしてそうなるのか、そういう時にどうすればいいのかということを経験を踏まえて書いてある本というのがほとんどなかったんです。どれも確かに僕に当てはまる症状ではある。でもそんなことはわかってる。ところが、どうしたらいいのかは、みんなわからない。毎日服薬すればいいということはわかっているから、そう書いてあるが、どの薬が合うかも人によって違うので、参考になるのは、毎日何かの薬を服薬すればいいということだけ。どの薬がいいのかを見つけるにはどうしたらいいのか、ということはわからない。医師の勘に頼るしかない。しかし、それではどうにもやりきれない。睡眠時間をちゃんととる、毎日服薬する、動きすぎない、どれも指図ばかりで、やらなくちゃいけないことばかりで、余計に窮屈になる、方法がわからずに、また途方にくれる。そして、僕はそういう本をやめた。でもまた鬱になると、苦しくてどうしたらいいのかがわからなくて、また何かを探す。しかし、どこにも何も書いていない。という状態が非常に長く続きました。
 そんな途方に暮れていたとき、僕は神田橋條治さんという精神科医のことを知りました。どういう経緯で知ったのかは覚えていません。でも色々必死に探していたんだと思います。神田橋さんが躁鬱病について独自の知見を持っていると知り、調べていると『神田橋語録』という神田橋さんが躁鬱病について口述したものを聞き書きしたPDFをインターネット上で見つけました。それを読んだとき、今までの躁鬱病に関する文章を読んでいたときとは違う構造というのか、視点というのか、とにかく僕は力が抜けたんです。躁鬱病に関することで、こんなふうに力が抜けたのは、鬱が明けた瞬間くらいなものです。そうです、僕は、その文章を読みながら、励まされ、そして、長かった鬱から抜け出し、しかも、躁状態に入るのではなく、なんだかポカポカ体が暖かい、心地いいみたいな気持ちになりました。そして、それから僕は躁鬱病に対して、自分なりの方法を、この神田橋語録からのインスピレーションを元に、考えるようになっていきました。それくらい、僕の体に合っていたんだと思います。何よりも、その語録の中には、〜をしてはいけない、みたいなことが一切書かれていないんです。むしろ、そのような禁止をすることで「窮屈になるのがいけない」と書かれていました。そこで「窮屈」という言葉に出会ったんだと思います。とても納得がいく文章で、頭でわかるというか、体が楽になる、力が抜ける、窮屈ではなくなる、のびのびしてきました。
 窮屈にならず、のびのびする。これがとても心地がいいのは、なんとなく経験で知っていました。これまで生きてきて、この感じを何度も味わってきたんだと思います。体は実はちゃんと知っていて、そうやって僕を整えてくれていたんでしょう。
 これから躁鬱大学をはじめるのですが、大学と僕が勝手に名付けたんですが、つまり、躁鬱病の人が生きていくためには、他の人とはちょっと違う技術が必要なんです。逆に、他の人と同じようにするために、いろんな規制をかけて、行動を制限していくと、さらに毎日合っている薬を服薬することで一見、普通の人のように日常生活を送ることができるかもしれませんが、体の中、心の中では窮屈さがぬぐいきれません。だから制限をかけるのではなく、ちゃんと技術を覚えて、それをうまく駆使することができれば、躁鬱病という体質を持っている人も、健やかに生きていくことができるのではないかと僕は考えてます。躁鬱界に秋山仁さんみたいな先生がいたら楽しくなるじゃないですか。あれをやりたいんですよ。本当はNHKの学習番組の一つとしてやりたいくらいなんですが、それを待っているのも窮屈になりますし、とにかく好き勝手にやると、どんどんのびのびしていい動きしますので、本当は神田橋さんに躁鬱病についての軽いエッセイを書いて欲しいんですけど、僕は編集者でもないし、版元でもないし、僕がそれを依頼するのも面倒くさいですから、勝手に神田橋さんを躁鬱病についてのソクラテスと見立てて、それをプラトンの僕が書き、それを皆で共有し、さらに技術を高めていくという躁鬱大学を今から始めたいと思います。
 というわけで、まずは躁鬱大学の主要テキストである『神田橋語録』を皆さんプリントアウトしてもらって、それからはじめましょう! 躁鬱大学のはじまりはじまり!


いいなと思ったら応援しよう!