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世界で一番美味しいコーヒーを淹れるよりも、世界で一番美しくコーヒーを淹れたい

noteを始めることを決めたものの、ネタがありすぎて何から書こうか悩みに悩み…
開業前の話になるが、税理士事務所主催のセミナーに登壇した時の話を一発目に書くことにしよう。

2011年、当時私は北青山にある紀ノ国屋インターナショナルというスーパーマーケットに併設するイタリアンバールで店長として働いていた。ある日決まって週末にご利用いただいていた女性のお客さまから名刺を差し出され突然こんなことを言われた。
「税理士をしている者です。あなたの仕事を毎週見ているけど、コーヒーが美味しいのはもちろん、見ていて気持ちが良いの。うちのセミナーに出てほしい。」と。 
これまでほとんど会話をしてこなかったお客さまだったので、びっくりしたのと同時に自分の仕事をちゃんと見てもらえていたことが素直に嬉しかった。 
話しを聞くとコーヒーについて話しをするのではなく、バリスタとして「接客、サービス」について話してほしいという内容だった。会社員で副業が認められていないことを理由に断るつもりでいたが、私が一番大切にしていることを評価してくださったので、会社に許可を得てセミナーに登壇することにした。
半年後のセミナー当日、税理士事務所主催とあって経営に携わる方や個人事業主の方達ばかりで一瞬怯みそうになったが、持ち前の「それっぽくやる」で90分喋り倒し、50名を超える受講者様から温かい拍手をいただき無事に終えることができた。

セミナー風景、大和ハウスVIPルームにて

セミナーとスピーチはつかみが肝心ということで、簡単な自己紹介を済ませてすぐに「世界一美味しいコーヒーを淹れるよりも、世界で一番美しくコーヒーを淹れたい」について話をした。
カウンターに立つバリスタとして、お客さまの味覚以上に視覚に訴えるパフォーマンスがしたいと。こう考えるのは私自身の経験が大きく影響していて、これまでいくつもの機会で美味しいものに触れてきたが、その美味しかったものを思い出そうとしても思い出せないことが多かった。どんな料理でどんな味わいだったかを具体的に言語化するのが難しく、味覚の記憶が曖昧だった。単に私が子供舌だからかもしれないが。でも、目から仕入れた美味しい情報は思い出すことができる。色とりどりの食材やお皿に美しく盛り付けられた料理、そして料理人やバーテンダー、作り手やサービスマンの仕事は鮮明に甦る。
持論だが、「世の中に不味いものは存在しない、間違ったものがあるだけ。」そう考えている。人は自分の好みや想定から外れたもの、意に反したサービスを受けると簡単に不味いと表現してしまうけど、私はどんなものでも美味しいと思っている。だから正しく、美味しくものを提供することを心がけている。「美味しいものを提供する」と「美味しくものを提供する」は一字違いだが、その意味には大きな差がある。コーヒーの提供であれば、注文をいただいてからお客さまへ届けるまでの一連の所作を美しく、できるだけ早く。立ち姿をはじめ、指先にまで神経を集中をさせる。グラスやカップを持つ手は「優しいキツネ」で、触れる面積はできるだけ小さく。お客さまからエスプレッソマシンがよく見えるように立ち位置も常に考え…と、数え上げたらきりがない。


美しい仕事をすることで商品を口にする前の段階で、目で美味しさを味わうことができたら舌で感じる美味しさは増幅しているに違いない。
昔の人は何故「おいしい」という言葉に「美」という漢字を使ったのでしょうか。それは作り手の仕事やおもてなしの心が美しかったからではないでしょうか。

私にとって美味しさの追求は美しさの追求である。

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