【2000年生まれ】僕らは、スマホがない時代を知っている最後の世代なのではないか?
こんにちは、犬派の大学院生です!
日常の何気ない経験から多様で新しい価値軸を発見する
というテーマに沿ってnoteを続けています。
前々回の記事にて、テーマを設定した経緯をつらつらと書いています。
今回のテーマはスマホ利用についてです
隔週投稿が目標だったにもかかわらず、1か月くらい空いてしまいました🥲
さて、今回のテーマはテクノロジーの発達、特にスマホ利用とその問題について触れていきます。
僕の世代である2000年生まれ前後の周りの人と、「懐かしの○○について」話していて気付いたことを書いていこうと思います。
(ちなみに、年上の方々との初めてのあいさつで「2000年生まれです!」って言うと、「ついに来たか。。。ミレニアムボーイ。。。!」みたいな反応をよくされますw)
学生時代を振り返ってみる
はじめに、僕の学生時代の思い出にスマホの年表を重ねて見てみます。
なぜこんなことをするのかは後で説明します。
説明するうえでappleの年表を見たほうが分かりやすいので載せておきます!
2000年生まれの僕は、2013年に中学に入学し、2016年に高校に入学、浪人しなければ2019年春に大学に入学する代です。
小学校
小学校の低学年(2006~2009)では、スマホという言葉は全く聞きませんでした。親もガラケーを使っていてよくそのガラケーでゲームをしていたのを覚えています。
小学校の高学年(2011年)くらいになると親がiphoneを使い始めたような気がしています。年表を見ても、もうiphone4なんですね。
僕の周りにはipod touchを持っている子がちらほらいましたが、家庭用ゲーム(Wii, PSPなど)や、そとでサッカーをして遊んでいる子が大勢だったと思います。
僕は、ダンボール戦記とモンハンを友達とずっっっとやってましたw
中学校
中学生(2012年~)
ここから、ipod touchが大流行しましたw
ipodという音楽だけ聴けるデバイスがあり(今では想像できない人もいそうですが)、ipod touchは音楽機能に加えwi-fiさえあればアプリが自由に使えるので「電話ができないスマホ」みたいなものでした。
パズドラを死ぬほどやったり、はじめしゃちょーとか、めちゃくちゃ初期のYoutubeを見たりしていたのを覚えています。
メールではなくLINEで連絡をとり、TwitterなどのSNSをし始めたのもこのころです。
高校
高校(2016年~)では、親に(正式な)スマホを買ってもらえました。
高校生活では、部活の連絡だけでなく学園祭の役割分担やクラスでのグループ連絡に使いました。
僕の高校はスマホ使用自由だったので、休み時間に荒野行動(バトルロワイヤルゲーム)を死ぬほどやってました!
また、インスタグラムはほとんどの友達がアカウントを持っており、Tiktokが流行り始めていた時期でもありました。
もうスマホが無かったら学校生活が不便になっていたと思います。
今の中高生に感じる異変
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
さて、ここまででお気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は全体的にゲームをしすぎです。違います、そんなのはどうでもいい。
僕ら2000年前後生まれは、「スマホの無い学校生活」と「スマホが必要不可欠な学校生活」のどちらも体験している世代だということです。
これを僕は、「スマホが無い学校を知っている最後の世代」と呼び、これより後の世代(スマホが学生生活に必要不可欠な世代)には問題が生じると思っています。
何が問題なのか?
具体的に、以下の3つの変化が起こると考えています。
・遊びの変化
・コミュニケーションの変化
・社会との接点の変化
また、これらの問題は、スマホが学校で禁止されている/されていないに関わらず影響を与えると思っています。
1つずつ見ていきましょう。
【遊びの変化】
まず、遊び方の変化です。
ありきたりですが、外遊びがどんどん減っていくと思います。
しかし、ちょっとここに関しては推測でしかないので、謝っておきます。
今の小中学生のみなさん、外でたくさん遊んでいたらごめんなさい!
ただ、今の小中学生にとっては、外で遊ぶインセンティブがあまりにも弱い環境だと思うのです。
だって、モンストとかMinecraftのほうが楽しいし、友達もいる。
公園ではボール遊びは禁止されている。
それに、「子供は外で遊ぶべき」って言われても、なぜ外で遊ぶべきなのかは、大人でもなかなか説明できていないですよね。
、
【コミュニケーションの変化】
こんなニュースがあります。
コミュニケーション(人間関係)に関しては挙げればキリがないですが、あえて僕の視点で問題を提起するなら「ネガティブな感情の回避が容易になっていること」です。
・家族とご飯を食べていてもスマホをやめない、面倒なので家族との会話は少ない。
・学校で先生に怒られても、裏垢(友達限定ストーリー)で愚痴を言えば終わり。
・SNS上で、自分が気に入らない人やアカウントはブロックして終わり。
自分のネガティブな感情は守られますが、これでは問題の根本解決になっていません。
特に中高生は、心身の発達段階であり、人間関係、自立、成績、恋愛など現実社会において様々なジレンマ(不快)を抱えます。
ネガティブな感情への対処がスマホの中で完結してしまうことは現実の逃避にしかならず、その子自身の直面した問題に真正面から向き合うパワーが失われてしまうのではないかという危機感があります。
【社会との接点の変化】
スマホがあれば、社会に容易にアクセスできるようになります。
ここでいう社会とは、現実とは遠く離れた場所にあるコミュニティや情報のことを指します。
そういった別世界に気軽に触れられることは、もちろんメリットも多いのですが、学生が関わるという意味では注意が必要なこともあります。
例えば、社会の一部だけを覗いて、偏った価値観が形成される可能性があります。
また、スシローの炎上動画や、未成年への性犯罪などの事実にみられるように、「デジタルリテラシーによって、悪い意味で人生が大きく変わってしまう機会に出会いやすくなった」とも言えます。
僕が高校生の頃は、「SNSで他人と関わるのは危ない」「デジタルタトゥーになりかねない」という意識がありましたが、インスタやTiktokを頻繁に更新する現在の中高生を見ているとそういう意識は薄くなっていきそうです。
まとめ
ここまで、僕の世代(2000年前後生まれ)が「スマホの無い学校を知っている最後の世代」と書きましたが、そこに寂しさを感じています。
僕の中学時代は、スマホが無かったからこそ、友達と繋がるために家までチャリを全力で漕いでいました。
学校で友達とバイバイをして家に帰ってからも、LINEやSNSで常に繋がっているというのはしんどいこともあると思います。
ここで、「時代の流れか。。。」とおじさんのようにぼやくのも自由ですが、僕は同時に使命感も感じています。これを「テクノロジーが発達しすぎた社会の弊害」として問題として明確に定義し、若者としてその当事者に一番より添える存在でもあるからです。
僕は、今の中高生には直接なにかができるわけではないけれど、親世代になったら自分の子供たちに教えられることがあるのではないかと思います。
今回は、以上になります!ここまで読んでいただいてありがとうございます!!