松田宣浩選手との思い出Vol.5-アンダーアーマーグラブ-
皆様、こんばんは。
先日に4ヶ月ぶりに松田宣浩選手との思い出を更新しまして、勢いのある内にVol.5です。
松田宣浩選手との思い出が長くなっているのは、松田宣浩選手とは、スパイクからバットからグラブから全て一緒にやってきたからになります。
松田宣浩選手は、ミスターアンダーアーマーです。
前回は、バットまでのお話をさせて頂きました。(が、一緒に苦楽を共にさせて頂いた、企画開発担当の方から「端折りすぎ」とのお言葉を頂戴したので、その内加筆修正致します)
では、グラブです。
グラブの企画開発に着手したのは、2010年末だったと思います。
当時、私共は、アパレル、リストバンド、バッティンググローブ、そしてスパイクを始めたばかりの頃で、野球選手をサポートする上で必要なバット、グラブが無く、選手からは「アンダーアーマー使いたいのですがバットをもらえなくなる。それも良い質のバットをもらえなくなる」などの声を多く頂戴したこともきっかけの1つでもあります。
そこでバット、グラブと同時に企画開発に着手しました。
バットは、以前にも記載させて頂きましたがバットを作れる工場は決まっていて、ドメスティックブランドの2つほどが自社工場を所持しておりますがその他のブランドは、基本OEMです。ですので、違うブランドたちが「NPBの公認番号が同じ」ということが起こります。我々もいくつかのブランドと同じ公認番号がついております。マニアックな方は色々知っていると思います。また、バットは、製造工程が真空乾燥と熱乾燥に分けられていて、真空乾燥が硬く、熱乾燥が柔らかいと言われております。そのため、どっちの感触が好きかを選手に確認し、どちらかの工場のバットを納めれば、基本大丈夫です。今は、ほとんどが機械が削りますのでサンプルバットさえあれば、そっくりそのままのバットが出来上がります。ですので、グラブと比べると我々の労力は、1/100くらいの感覚です。最初は、熱乾燥をやっている工場と取り組むことができなかったために真空乾燥で熱乾燥の柔らかを出すにはどうすれば良いのかを試行錯誤したのは、相当大変でした。真空乾燥でテクニカルにプロの技をでいくつものパターンをやって頂いたり、メープルも様々な地方からのメープルを試したり。アオダモ、バーチ、ホワイトアッシュなどなど。とにかく大変でした。それも熱乾燥のできる工場と取り組めることが決まったことで全てが解決したのですが。
では、そのバットよりも大変だったグラブの話です。
グラブもマニアックな方は、知っておりますが奈良に工場、職人が集中しているので、まずはそこからアプローチにいきました。弊社にも他社からの転職者もいたのでその人の前職の伝手を使うなど、とにかくガムシャラです。まずは、自分達のグラブを作ってくれる工場、職人探しに。
その中で奈良のグラブ工場の方が協力をしてくれました。その方も老舗のグラブメーカーで修業を積み、その後独立している方なので腕は確かでした。
そこでグラブをやるなら絶対に内野手を獲得しないと話しにならない。そんなことを関係者で話をしており、まずは自分達と関わりのある方々からアプローチをさせて頂き、中でもゴールデングラブ賞を受賞している松田宣浩選手は、必須でした。
最初は、松田宣浩選手は、自体もそこまで乗り気ではなかったのでサンプル自体も直ぐにはお借りすることができず、フィーリング対フィーリングで最初のサンプルを仕上げる。案の定、全くダメ。松田宣浩選手を説得して、2番手、3番手のグラブをお借りする。
これが2011年の春季キャンプ頃のお話であり、ここから何度も何度も職人を球場まで一緒に足を運び、サンプルを作っては、納品し、会話をし、やり直し、サンプルを作っての繰り返しです。これを1年間はやり続けたと思います。
そして、2011年末には、、、
今日は、ここまで!
また来週です(笑)
『Never too late-人生に遅すぎることはない-』
日々精進
最後に。(大切です、毎回言います)
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読了ありがとうございました。
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