文車妖妃・八
思う、という行為は心の領分だ。
情報を受容して、そこに意味を感じ、味わう。
考えるのは、脳の領分だ。
情報を整理して、その中に理屈を見出し、飲み込む。
そうして人は味わったものを飲み込み、吸収してゆく。
心の喉元を過ぎれば、如何なる美味も単なる栄養である。脳はただそれらの成分を分類し、消化するだけなのだ。
恋もまた、味わうものであるらしい。
その甘味や苦味に、私の心はずっと酔っていたのだ。一方で私の脳は、腸の奥から手を伸ばし、それを取り上げようと躍起になった。
現実を見ろ。
そこからはもう、何の味もしない。
早く、呑み込め。
───それでも。
まだ甘い気がするから。口寂しいから。
いつまでも、舌先で弄んでいたかった。
もはや味もせぬと解っていても、ずっと嚥み込めずにいる。
それが私の、執着なのだろう。
幾つもの味覚が喉元を過ぎた。それらは既に消化され、輪郭を失い、単なる栄養として私の身体の糧となってしまっている。
私がずっと心の中で味わい続けていたのが結局何だったのか、もう判らない。ただ、搾り滓のような執着が、何の甲斐もなく咀嚼され続けている。
舌の上に淡く染みついた、甘味の名残が。いつまでも心を酔わせている。
壜の中を眺めていたはずの視界は、いつの間にか焦点がずれていた。
壜と両眼の間の、朦朧とした虚空を見ていたのだろう。
私は、顔を上げた。
酔いたい心と醒めたい脳が、ずっと鬩ぎ合いを続けている。
───言っただろう、それは単なる執着だ。
記憶を辿れば辿るほど、両者は縺れるばかりである。
五感が知覚し、心に届いて思い出が生まれる。思い出は言葉により陳述され、情報として脳に貯蔵される。だがそれは、言葉にした時点で記憶になるのだ。情感の欠落した、無味乾燥とした事実だけがそこに残る。
言葉による保存から漏れた思いは、変質していくばかりだ。こうして記憶を反芻した所で、やはりその頃の感情までは正確に再現する事はできない。記憶という領域を掘り返した時点で、それはもう脳の領分なのだ。
───いや、やはりあれは恋だ。今も変わらず、恋だ。
心の主張は、尚変わらない。だが記憶の中に、それを支えるべき証拠は何処にも無かった。思えば当然の話である。論拠となるはずのものは、記憶が作られる過程で脳によって排除されるのだ。ほんの一時間前の感情すら、もう色褪せた記憶になっていた。
ならば、やはりこれ以上考えるのは無意味だ。
この期に及んでやる事は、ひとつしかないだろうに。
私は、ようやく文机から両腕を引き離した。
思い出は、脳の中では記憶という形で言葉になる。
だが、この抽匣の中では───それは手紙という形で結実する。
膨脹する心に同調し、それは増え続ける。
この文机の抽匣には、私の心が遺してきた言葉が満ち満ちているのだ。
心に残ったものが未だ恋であるのか、はたまた執着であるのか。
その答えは記憶の中になど無い。
此処にしか───無い。
私は、抽匣の把手に指を掛けた。
───へらへら、へらへら。
あの蜥蜴顔が、それを嘲笑う。
───学ばぬ奴だ、つい数日前の事を忘れたか。
もう耳など貸してやるものか。
───あの眼球はただの残骸だ。誰もお前など見ていない。
掛けた指を引き、中味を引き摺り出す。
───愚か者が。
幾重に積まれた便箋を、文机一面に広げた。
その時。
開いていた窓の隙間から。
ほんの微かな、風が吹いた。
便箋がふわりと動く。
私は少し慌てて、紙を両手で抑えた。
その震動で、壜の中の橄欖石が幽かに揺れて───
押さえた手と手の間から、
手紙と手紙の隙間から、
あの子が、
謐かに笑った。
それは何も欠けていない、あの頃の彼女であり、
左眼の無い、眼帯をつけた彼女であり、
生きていた水橋であり、死んでしまった譲花であった。
「誰にも言わないでね」
消え入りそうな夕陽の下で、水橋譲花は柔らかく微笑んだ。
私も、笑った。
葵鈴が朽ちぬ幸せと引き換えに人であることをやめてしまったのは、平成二十九年七月の暮れのことである。