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嘘のない虚言癖
僕の知り合いがnoteを始めた、と言っていたので1ヶ月振りに僕もnoteを書いてみようと思う。
ここ1ヶ月は濃いようで薄い30日だったなぁ。
いつも通り好きなことをして、いつも通りネガティヴになって、いつも通り苦しんで、いつも通り嘘をついていた気がする。
前回のnoteでは書けなかったけれど、僕には虚言癖がある。
”虚言癖“というのは、ざっくり言うと他人に嘘をついてしまう癖のこと。
(まぁそのまんま文字通りかな笑)
この癖のせいで僕は今まで沢山の人に迷惑をかけて、傷つけてきた。
今日は話すことも特に思いついていなかったし、これから歌や、noteや、イラスト等、僕の創作を見てくれる人が1人でもいるかもしれないと考えると言っておいた方がいいと思っているので虚言癖について話そうと思う。
まず初めに、これを見てくれている方々の中には嘘というものの存在自体が嫌いな人もいるだろう。
そんな中でこの話をしてしまうことは本当に申し訳ないです、ごめんなさい。
さて、そろそろ本題に入ろうと思う。
改めてになるが、僕には虚言癖がある。
ついてしまう嘘の種類には結構なバラつきがあって、例えば自分の不幸を誇張したり、自分の存在を誇張したり。
いろいろな嘘をついている中で全ての嘘には共通点がある。
認めてほしい、という気持ちだ。
以下、散文。
僕を見て、
僕を愛して、
僕のことを大切だって言って、
僕のことを凄いって言って褒めて、
僕のことを抱きしめて、
僕の荷物を取らないで、
信用する代わりに信用して、
僕を見て、
僕のことを馬鹿にしないで。
いろんな思いが合わさって、いろんな物を求めて、嘘をついていた。
嘘だとしても、嘘をついて誇張した自分についてでも、周りからの愛や関心があれば満たされたんだ。
ところで貴方は「愛」って何だと思う?
恋人から向けられる感情は全部愛かな?
物を取られて、愚痴垢を特定されそうになっていても愛かな?
僕は違うと思う。
親から向けられる感情はどう?
理想を押し付けられても、ご飯を作って、習い事の迎えにきてもらえれば愛かな?
離婚した親の再婚相手が苗字を変えてくれなくても、クリスマスにプレゼントをくれれば愛かな?
愛とは何かもわからないくせに、あれも違う、これも違う、と否定ばかりする自分。
歪んだ愛の正解と、他人からの承認を求めて嘘をつく自分。
それが習慣化されて、虚言癖のある僕が生まれた。
虚言癖は悪いものだとわかっている。
でも言い訳をさせてほしい、とも思っている。
これを読んでいる貴方にもし虚言癖があっても、なくても、少し言わせてほしい。
虚言癖は、嘘をつくと言うことは、悲しいことだと思っている。
(当事者が言うので言い訳に聞こえるだろうし、実際少し言い訳も入っているのだけれど笑)
嘘をつきたくなくても嘘が自然に口からでてしまうことに苦しんで、現実と虚構の狭間に苦しんで。
それでも今生きているのだからいいのではないか。
自分を許せない代わりに誰かを許せるなら良いのではないか。
嘘をつく代わりに大切なものを与えてくれなかった誰かを許せるなら良いのではないか?
僕のことを許してほしいとは言わないが、周りによく嘘をついてしまう人がいるなら、自分が嘘をついてしまうなら、そのどちらもを許してあげてはくれないだろうか。
他人への嘘は悲しい物で、今まで自分の感情に蓋をした副作用なのだから。
自分に正直であればいい。嘘は心にだけは正直だから。
以上、嘘のない虚言癖でした。
読んでくれてありがとうございます。
心だけは嘘をつかないよ、