2024京都サンガF.C.シーズンレビュー ~ 光るキジェへ ~
第一帖 度壷(どつぼ)
2024シーズンの御時のこと。京都サンガF.C.はJ1で3シーズン目を迎え、さらなる飛躍を見据えて船出した…はずだった。
シーズン開幕前に行われたAC長野パルセイロとの公開トレーニングマッチ。結果だけを見れば、7-3の完勝だ。しかし彼我の力量の差で押し切った部分も否めなかった。ただひとつ胸をなでおろしたのは、エース・原大智がきちんと得点を挙げたことである。
昨季夏に加入し、チームを浮上させた原には、大きな期待がかかっていた。原の存在が圧倒的だったがゆえ、ポジションを争っていた木下康介はチームを去り、木村勇大はレンタルから帰って来ず所属を東京ヴェルディに変えた。パトリックも契約満了となり、名古屋へと移籍。FWの陣容は「はらたいちに全部!」になってしまっていた。
まさかそれが“ドツボ”の始まりになるとは。
第二帖 空虚(うつろ)
J1開幕からの3試合を1勝1分1敗という出だしは、まずまずであったかもしれない。第4節の横浜F・マリノス戦(●2-3)は、退場者を出してから2点差を追いつくものの、結局負けてしまったという派手なゲームを演じた。
続く第5節・東京ヴェルディ戦の前半は圧倒的な強さで昇格チームを凌駕。ここまで不発だった原と豊川雄太という2人の看板FWも得点を挙げた。ところが、後半に2点差リードから土壇場で追いつかれる痛恨の結末に。試合内容よりも、ゲーム運びの拙さが今季の課題かと思われた。
このヴェルディ戦を、相手に何もさせずに押し込んだ前半の勢いそのままに勝ちきっていたら、その後のシーズンの行方はかなり違ったものになったのではないか。
その後の4試合(6~9節)は0-0、0-3、0-1、0-1と4連続無得点に終わる。
ゼロ点続きは、すなわち空虚。頼みの原の調子は上がってこず、昨季に続き「得点を取るための工夫が乏しいチーム」であることがシーズン序盤にして露呈した。
第三帖 憂鬱顔(ゆううつがお)
今季FWの陣容は、木下、パトリックが去り、木村が帰って来ず、加入は新外国人のマルコ・トゥーリオだけだった。ところがこのマルコが一向に得点に結び付くプレーが出来ず、周囲とも一向に噛み合わない。
結局は昨季と同じく山﨑凌吾を中央に入れ3トップを形勢するも、依然として原の不調は続き、結局はアバウトなボールを前線に入れて山﨑-豊川の関係性に賭けるしかない、という状況に陥った。
前線にフィニッシャーを並べただけで、チャンスメーカーがいない。チームとしていかにチャンスを作るルートも見えて来ず、火力不足は誰の目にも明らか。当然、曺貴裁監督の采配ぶりにも疑問符が付き始めた。
しかしそれ以上に「これは編成ミスではないか?」という疑念も沸きあがってくる。
その頃、柏に移籍した木下は新天地で得点を取りまくり、ヴェルディに貸し出した木村と山田楓喜は躍進する昇格チームの攻撃を牽引していた。一方で、京都は今季新加入した選手たちがほとんど活躍できず、出場機会すらない有り様。戦力の上積みどころか、昨季より戦力ダウンしているのではないか?4月にして憂鬱な顔になったものである。
第四帖 未勝花(みしょうのはな)
第10節でどういう訳かアウェイでヴィッセル神戸を破った(◯1-0)が、翌第11節からはついに失点が止まらなくなった。
第11節以降は、2失点(●)→3失点(ホーム●)→3失点(ホーム●)→3失点(●)→5失点(ホーム●)という5連敗。途中14節でとうとう最下位に転落した。
曺監督就任以来、サイドバックをアクセルと呼び、ひたすら上下動することで数的優位を作ろうとするのだが、裏を突かれると途端に構造的弱点を露呈した。今季はサイドバックが1人になっている局面で1vs2の劣勢を作られることが多く、破綻の一因になった。特に左のFWが原を置くと後方の救援が手薄になり、佐藤響が一発でかわされてしまってピンチを量産した。
もちろん、それだけが守備崩壊の原因ではないが、「ただガムシャラに走る」ことが、結果的にあちこちに穴凹を作り、組織として穴だらけの状態になったのは間違いない。横スライドして穴を塞ぐ意識も低かった。
いつしか「何をやっても上手くいかない」という状態に陥り、選手たちもどんどん自信を失っていった。
未勝利の花など誰も摘もうとはしない。愛想を尽かされるのも早かった。サンガスタジアムbyKYOCERAの観客数はみるみる減ってゆき、まるでJ2時代のように空いて、それはそれで快適だった。
第五帖 熊紫(くまむらさき)
低迷続く5月17日、大きなニュースがもたらされた。何とあの大熊清氏がゼネラルマネージャー(GM)に就任するという。朝廷ならば左大臣のポストだ。これはクラブとして今季補強・編成の失敗を認めたということだろう。
そして内容的にも乏しく、結果も出せぬまま「光らないキジェ」となった監督の処遇も2日後の第15節・広島戦の結果次第ではないかと、内裏近辺では囁かれた。
運命のホーム広島戦。もはや万策尽きたのか、破れかぶれの采配に見えた。序盤立て続けに失点をくらい、為す術なしの0-5。戦術的に噛み合っていないのはもちろん、DFがGKからボールを繋いでほしいと構えているのに、クソンユンは前線までゴールキックを大きく蹴り飛ばしたりするようなチグハグさだった。
バラバラになったチームをスタンドの片隅で俯瞰しながら、J2降格も監督解任もを覚悟した。そういうふうに心がザラザラに乾いた時だったから、南上層階のアウェイ禁止席で広島なる横断幕を嬉々として掲げる安芸国の民が大変みっともなく思えたものである。
試合後、ホームゴール裏は不甲斐ないチームにブーイングを浴びせるのではなく、ひたすらチャントを歌い続けた。もうサポーターもやけくそなのだと思った。ただ、勝って勝手な振る舞いをする熊紫の者どもより、それは百倍良いことだと思った。
この時点で曺監督は退位勧告も覚悟していたのだろう。
あとは大熊氏がどう判断するのか?だったが、実は大熊氏の就任は6月1日から。監督人事は2週間ばかり持ち越されることとなった。
第六帖 選手合(えらびてあわせ)
6月1日、正式に大熊氏が左大臣…いやGMに就任。当日が第17節セレッソ大阪戦だった。またしてもホームで先制されるも追いつき、一美和成の幻の逆転弾(VAR取り消し)も出たこのゲームで見たのは、宮吉拓実や太田岳志など出番のないサブの選手までライン際に立って声を出し、「共に戦っている」姿だった。
このチームはまだ死してはないのではないか。一つの方向をきちんと向けているのではないか――。
チームが目的を共有し、仲間を信頼し、一体感を持つことは戦術うんぬん以上に重要なことだ。闘争心であったり、相手を怖がらないことであったり、そういう部分が連敗を重ねるうちに失われていた。それらが少しずつ戻りつつあった。
大きな変化は、開幕以来怪我で離脱していた鈴木義宜のメンバー入りだった。セレッソ戦の後、ガレリアかめおかでサポーター・カンファレンスが催されたが、そこで安藤淳強化部長は序盤の誤算の一因として「鈴木義宜の怪我離脱」を挙げていた。
第18節からは残留争いをするライバル(札幌→鳥栖→柏→湘南)との対戦となったが、19節鳥栖戦で痛恨の完敗(●0-3)。再び崖っぷちに追い込まれた次の柏戦でチームを救ったのは、ここまで出番がなかったベテラン三竿雄斗だった。
鈴木、三竿という場数を踏んだ選手が合わさったことで、良くも悪くもカッとなって前に行き過ぎるチームが一旦立ち止まって思考できるチームにチューニングされたのではないか。内裏ではサッカー通の女房たちがそんなふうに噂した。
第七帖 証(あかし)
vs札幌◯→vs鳥栖●→vs柏△→vs湘南◯とライバルとの連戦で食い下がった後の第22節福岡戦は、今季の運命を変えた劇的勝利だった。アディショナルタイムに1-1に追いつかれた後、終了間際に宮本優太が駆け上がっての劇的弾。1~2ヶ月前に自信を喪失していたチームのメンタルが蘇り、勝利への執念が植え付けられたことを証明した。
一方、「チャンスメーカーが不在問題」はどうなったか。
実は前述のサポカンで大熊GMがこんなこと言っていた。「(チームにはまだ)平戸やマルコ・トゥーリオのようなテクニシャンもいる」。
6月初旬の当時、平戸太貴はようやく起用されはじめたばかりで、マルコは結果を出せずダメ外国人の烙印を押されていた頃である。その後平戸はコンスタントにゲームに絡むようになり、マルコもスタメンに復帰した。
大熊氏が監督に何らかの助言をした、または相談相手になったことは想像に難くない。
昨季までは長澤徹ヘッドコーチが監督に対し「セカンドオピニオン」を入れる立場だったが、長澤成分の欠落は今季序盤の低迷と無関係ではないだろう。サポカンで語っていた大熊氏のサッカー観自体は曺監督のものと遠くはない。相談役としては適任だ。そして、あの時点で平戸やマルコの名を挙げていたことは、氏の「選手を見抜く眼力」が確かな証でもあった。
第八帖 浮上(うきあがり)
夏の補強で獲得したラファエル・エリアスが出場可能になるのは7月14日の第23節浦和戦以降だったが、既に6月の段階でチームに合流していた。今にして思えば、エリアスは練習からチームを鼓舞していたのだろう。夏の新戦力の早期合流も大熊氏がサポカンで語っていた構想だった。
エリアスの活躍は予想していたものとは少し違う形だった。
第24節の磐田戦。幸運なオウンゴールで追いつき、途中出場のエリアスが頭で合わせての逆転勝利を掴む。エリアスはそういうタイプ、いわゆるボックスストライカーと思われていた。
続く親善試合のシュトゥットガルト戦でもゴールを奪った。きちんと前からボールを追える選手だった。ただ、それ以上にエリアスがいることで、原やマルコが生きるようになっていた。
夏の五輪中断が明けると、原やマルコとの連携が一気に向上する。何よりもマルコのチャンスメイク能力はもはや別人のごときものであった。
これを「1人の選手の圧倒的な力によってチームが変化した」と捉えるか、「足りなかったピースを手にしたことでチームが変化した」と捉えるか。後者ではなかろうか。「本当は走るのは苦手」と語るエリアスが曺監督のハードワーク戦術と向き合い、持ち前の“陽”の影響力がチームと上手く噛み合ったからではないか。彼が周囲と協調できるストライカーであったことは、望外のことであった。
大熊GMはこれを「掛け算」と言う。エリアス加入でマルコが覚醒し、原も昨季を超えるような絶好調ぶりを発揮。掛け算の結果、チーム全体に自信がみなぎった。チームは、残留圏へと浮き上がる。
第九帖 宿気(やどりき)
8月の中断明け以降はJ1トップクラスの勝点を積み上げた。運や勢いも味方に付け、上位すら一目置くほどの存在としてJ1をかき回す。
35節には、前半戦でズタボロにされた広島に敵地で勝ちきって残留をほぼ手中に。「徹底することを徹底する」と語るJ2の監督がいるが、球際の勝負で手を抜かないなど、基本の部分の徹底で強度を出し切れるようになっていた。
一方で10月に2度対戦(第33節、天皇杯準決勝)した神戸には強度の面で大きな差を感じさせられた。勢いだけでは越えられないし、スコアだけでは測れない、質の高い練習を積み重ねた時間の壁のようなものがそこに横たわっていた。
第36節の川崎戦で残留を決めたあと、シーズン最後の3試合は勝ちきれず2分1敗。3連続無得点だった。
それでもあの「光らないキジェ」だった頃のチームとは違う。点を奪うための種のようなものはあちこちに散らばっていたし、無闇矢鱈に突っ込んで穴を開けてピンチを招く回数も減った。マルコやエリアスなど主力選手が不在になっても、それなりの強度は保てるようになった。何よりチーム全体が「自信」と「信頼」を身に纏っていた。宿りし気持ちは、最後まで折れなかった。
昇格から3シーズン目のJ1は、14位、勝点47。
昨季より順位は1つ落ちたものの、平均勝点は1.17→1.23へと上がっている。
特段褒めるような数字でもないが、経営規模からすればまずまず妥当な線だろう。確かに良くはない。だが、悪くもない。
第十帖 夢架橋(ゆめのかけはし)
停滞、転落と急浮上という波乱万丈のシーズンだったためか、ネット上で「戦術面で物足りない」と曺監督を貶す論調が垂れ流されたことにも触れておきたい。
それが個人の好き嫌いをベースにしているものならば、無視してよいだろう。人は一度「嫌い」というレッテルを貼ってしまうと、物事が一方向からしか見えなくなるためだ。
監督本人も最終戦後のスピーチで第15節広島戦に言及していたが、あそこでチームをバラバラにしなかった功績はとても大きい。その発端がサポーターのチャントだったことは、クラブの歴史のどこか1行にでも書き残しておきたいこと。真に人の気持ちを動かせるのは、罵詈雑言や批判の横断幕ではない。
だからと言って、今季の航跡を見て「良し」とは言えない。
大熊GMがやって来て、チームマネジメント面が好転したことを思えば、コーチングチームとして監督に戦術的なアドバイスをする補佐役の存在であったり、監督一人で視野が狭くならないように相談しながらチームの方向性を定めていく体制の見直しは必要だろう。
現在のサッカーの潮流として保持型よりプレス強度やインテンシティの高いサッカーが優勢になっており、今季後半戦に見せたスタイルは間違ってはいないはずだ。前のめりに球際に突っ込んでいくような“若い”“青い”サッカーで一敗地に塗れたことを糧に、チームを熟成させるステップに入ることを望む。
タイトル争いなどは、まだまだ夢の話。今シーズンの試行錯誤がこの先J1の地に築く“夢の架け橋”の礎にならんことを願う。
今季個人的MVP
そりゃもうラファエル・エリアスしかいない。
…と言うのは簡単だし、実際エリアスがいなければJ2に降格していたかもしれない。
ただ、エリアスの出場はシーズン半分以下の15試合。それだけでこの結果を出したのは信じられないが。
シーズン通しての活躍ということになると、福田心之助、川崎颯太、宮本優太の3人が候補になる。
チームが低迷した序盤には致命的な判断ミスもやらかしていたけれど、チームの浮上曲線と同じように成長していったという意味で、今季個人的MVPは…
福田心之助に贈りたい。でもまだまだできる。まだまだ向上できる余地がある。