J2視覚化計画2023〈第36節〉
◎今節のアナリスト◎下輪 毅
国内蹴球界隈には「新すたの呪い」なるものがあると云う。
此は各地に割拠いたす軍団が新たなる居城を築きし前後、不思議なることに不運やら不幸、あるいは不調、成績不良に見舞われるという都市伝説である。
かような噂がまことしやかに語られるようになった経緯を繙くには、まずは近年築かれし新球技城を看てゆかねばなるまい。
「新すたの呪い」なる噂が流布した源流は、やはり最初の「南長野城」の事例に遡る。長野蒸籠軍悲願の二部昇格が可能となる新居城がようやく建ちしも、別名「うどん・そば合戦」と呼ばれし二部-三部入替戦にて釜玉讃岐軍に惜敗。以降、長野軍は二部昇格に一歩届かぬ成績が続いた。
其処にさらなる事例が重なったのは、魏蘭北九州軍の悲劇である。新本拠「北九州城」は別名「海落(うみぽちゃ)城」とも呼ばれし海城であるが、開城前年に僅か勝点一差にて三部降格。築城年を降格して迎えることと相成った。つまり二千十七年には新しき球技城が三部に並び建つこととなったのである。此が件の「~呪い」が都市伝説化した背景であろう。
片や、二千十年代後半には天下の名城と誉れの高い「市立吹田城(覇那音城)」が上方に築かれ申した。開城当初・脚大坂軍は新本拠にて苦戦することもあったとは記憶するが、大きく成績を落とすこともなく、此の城には「~呪い」などは認められぬ。
八戸軍は開城直前に免状無きことによって昇格を刎ねられておるが、新城を築くことによって三部昇格への道が開けた。ここにも「~呪い」はない。
二千二十年代は新居城新時代の幕開けは、「参賀城 陪京せら」に始まる。この城の主・京都参賀軍は開城二年前に三部降格の危機に見舞われ、一部では「新すたの呪い」ともささやかれたが、開城後は成績を落とすことはなく、二年目に干支一回りぶりの一部昇格。特筆すべきは新たなる居城にて妙に負けぬという「本拠の利」を発揮したことであり、京都軍の事例は「新すたの呪い」なる都市伝説を過去のものとするに十分であった。
手下馬宮崎軍の「新富城」も、この城を前提に三部昇格の免状が与えられた城である。開城前年に昇格を果たし、開城初年度には三部の上位に躍進。この例をもってしても、もはや件の「~呪い」などは払拭されたと云って過言ではあるまい。むしろ新たなる居城、新球技城こそが軍団を強くする重要な因子なのである。
簡易的な砦だった「感謝夢城」から、村上海賊を模したという「今治里山城」に居を移しし今治軍も、今季まだまだ昇格を狙える順位に位置して候ふ。
しかるにいま、過去のものとなりし筈の「新すたの呪い」が亡霊のように蘇りつつある。
来季は、新たなる二つの蹴球専用城が開城いたす。五大老毛利輝元が天正の頃築きし鯉城に隣接して新たな居城「飛椅子翼城」に居を移す紫熊広島軍は既に来季一部を決めており、前途洋々である。問題は五大老前田利家の城下北郊に「金沢豪豪城」へと移転する杖玄金沢軍である。今季、激しき二部争乱の中で順位を下げ、二部から三部へと格下げの危機が迫りつつある。その先に見ゆるは、かつて北九州軍が味わいし悲劇と同じ道である。
なれど、まだ試合数は残ってゐる。今節、金沢軍は敵地に赴き磐城軍と対戦。ちなみに磐城軍の居城「磐城緑城」は神無月よりは「羽合餡城」と呼ばれるそうな。さて、危機に瀕する金沢軍は磐城軍の猛攻をよく防いでおったが、終盤に決壊。城門ひとつ落とせず、これにて五連敗と相成った。就中、攻撃面は五戦連続無得点と絶不調。来週半ばには群馬軍との中断試合があるが、山口軍や熊本軍、大宮軍など競合他軍が勝利を挙げしため、もはや一敗も許されぬ。
此すなわち「~呪い」などにあらず。実力なり。二部に相応しい力を見せられねば、生き残れぬ世界である。日々の鍛錬を以て、己の存在を明かす証とせねばならぬ。ツエーゲンよ、絶望の淵から見える空は何色だ?上を向かぬと空は見えぬぞ。フハハハハハハ!