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今でも親の顔色を見ている…何度も謝らないで。子どもの願いは、両親が笑顔でいること。


こんにちは。一般社団法人りむすびです。
離婚後も両親で子育てを実践している方々の声を届ける「共同養育man&woman」特集。
今回は、両親の離婚を経験された上遠景子さんに、両親に対する思いや子どもの立場での思いをお聞きしました。


プロフィール

上遠景子(うえとうけいこ)さん。1983年生まれ、香川県在住。中学生の子どもをふたり育てながら、会社員として働くワーキングマザー。現在、香川県内で親子交流支援に携わりながら、離婚家庭の子どもの気持ちを発信する活動をスタート。


ご両親が離婚した後、どのように暮らしていましたか?

中学校2年生の4月に母が家を出ていき、私は父子家庭で育ちました。母が家を出ることは、半年くらい前から父と母それぞれから聞いていました。
苗字が変わるのが嫌だったり、母は仕事でずっと夜勤が多く、普段から父と過ごすことが多かったので、父と暮らすのは自然な流れでした。父から「お前を絶対離さない」と言われていたので、私は父側についたという記憶があります。

離れて暮らすお母様とはどのような関わりをしていましたか?

母は同じ県内に住んでいましたが、車や公共交通機関を使わないと行けない距離でした。
母が家を出てから1年くらいはほとんど会っておらず、今のように学生が携帯を持っていない時代だったので、家の固定電話か公衆電話を使って連絡を取るしかありませんでした。
記憶が定かではないのですが、何かのきっかけで家の電話から母の職場に連絡し、母が携帯を持っていることを教えてもらい、それで連絡が取れるようになった気がします。

母と会った時は、ぎこちなさがありました。嬉しい気持ちもありましたが、思春期だったこともあって、なぜ母が出ていったのかという怒りや憎しみがありました。父から聞いた母の話が全てになってしまい、父から聞いた母を見るような形になっていたので、すごく複雑で、でも嬉しくて、という何とも言えない感じでした。
高校になって携帯を持つようになってからは、困った時に母に連絡することが増えましたが、お小遣いが欲しい時に連絡することもあったので、都合のいい存在のような関係になっていたと思います。

一緒に暮らしていた時、お母様との関係はどうでしたか?

多分、私が望んでいた関わり方ではなかったと思います。母は仕事が忙しく、あまり家にいないことが多かったので、一般的なお父さん像のように、母が育児の最前線にいるという感じではありませんでした。
行事には母が来てくれましたが、育児に深く参加しているというよりは、たまに休みの日に買い物に出かける程度で、たまに関わりを持つ人という印象でした。

お母様と会うことに対してお父様の反応は?

父には最初、母と会うことは一切言っていませんでした。父から聞く母の話は悪口ばかりだったので、母に会うことを告げることができませんでした。高校生の頃は父の顔色を見ながら父からの話を聞く日々が続いていました。
高校以降は、何回か「母の家に泊まりに行く」と言って遊びに行っていましたが、その度に父の不機嫌な顔を見るのが辛かったです。
親の顔色を見ながら嘘をつかなければならないというのは苦しく、私は父にとって悪い子なのではないかという葛藤がありました。

お父様の顔色を見続けるのは、いつまで続きましたか?

高校生の頃もありましたし、40代になった今でも続いています。両親とも今も独身で、時々父から母のことを聞かれることがあります。会っているのか?と聞かれるのですが、その表情がとても複雑で、正直言って聞かれたくない気持ちになることもあります。
母は父のことをめったに聞いてこないので、自然に話が出れば話しますが、特に気を使って父の話をすることはありません。

ご両親の離婚によって、ご自身に影響があったと感じますか?

それはもうたくさんあります。例えば、何をしていても、いつも何か悪いことをしているのではないかと感じたり、相手の表情を読み取ろうとする癖がついてしまいました。
相手の意に沿わなければならないという感覚がふと出てきて、「今、私は間違ってしまったのではないか」とか、「今の判断は正しかったのか」と必要以上に考えてしまう傾向があります。
10年ほど前からメンタルについて学び始め、ここ数年は顔色を見ないことや自己肯定感を大切にするようになり、少しずつクリアになってきたと感じています。ただ、弱っている時は、やはり相手の表情を見て一人で怯えてしまうこともあります。

ご自身の結婚生活や子育てで心がけていることはありますか?

結婚して15年になりますが、結婚当初は意見が合わないと、きつい言葉で夫を責め立てていました。父から私に言われていたことを、無意識に夫にぶつけていたこともありました。私の意見が抑圧されていたので、それを聞いてほしいという思いが強くなり、主人に頼っていた部分があったと思います。
育った環境が違う他人だからこそ、どういう意図で言っているのかをすり合わせ、意思疎通を図ることを心がけています。

特に子どもの育て方では意見の相違が多いため、日々の会話を大切にしながら、お互いの考えを尊重するようにしています。私自身が子育てを通して、「かわいそうだった自分」という気持ちが出てくることがありますが、「私は父子家庭で育ったからわからない」と言い訳してしまうこともあります。それでも、自分の子育てを通じて、今学んでいることが多いです。

結婚式は両親が揃って出席されましたか?

主人の両親からは両方とも呼んでほしいと言われましたが、その時はまだ顔色を見ている時期だったので、父しか呼びませんでした。主人も私が良ければそれでいいと言ってくれました。
母にも一応、主人の両親がどうしても呼びたがっているということは伝え、出席できるなら出ると言ってくれたのですが、父にそのことを言うことができませんでした。結婚してからはむしろ母との交流が深まり、妊娠した時も相談したりしていました。

親に望むこと

もっと笑顔でいてほしかったと思います。父には、私の成長だけが楽しみのように見え、少し重く感じることがありました。自分の楽しみを見つけてほしかったなと思います。
父も、私のことを忘れるくらい楽しい時間を持てていれば、もっと良い関係だったのではないかとも思います。今は感謝の気持ちしかありませんが、父として楽しい時間を一緒に過ごしたかったという思いは、最近よく考えます。子どもの立場としては、自分を大事にしてくれることだけでなく、自分の人生をしっかり生きてくれている方が、気楽に感じます。

離婚が子どもにとって「悪いこと」として捉えられることが多いですが、私はそれが一つの通過点であり、環境の一部に過ぎないと思っています。
「親が離婚したから私ってかわいそう、だからできないんだ」という言い訳が生まれることがあるので、離婚を選択したのであれば、その後にできることをしてほしいと思います。謝られることは一切望んでいません。
幸せになるために離婚したのであれば、親子の関係が切れるわけではないということを、子どもにも理解してもらえたら嬉しいです。

これからの想い

ようやく人前で自分の話ができるようになりました。以前は涙ぐんで話せない状況が続いていましたが、子どもの立場から自分が悩んでいたことを伝えることで、今の子どもたちやご両親の意識が少しでも変われば、子どもたちの悩みが解放されるのではないかと思います。私の経験が少しでも役立つのであれば、これからもお伝えしていきたいです。


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