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子どもファーストで面会交流の拡充を実現|愛する気持ちは一緒だからできたこと。

こんにちは。一般社団法人りむすびです。
離婚後も両親で子育てする共同養育を実践しているパパママを紹介する「共同養育man&woman」特集。

今回は、突然子どもと会えなくなった別居父の登場です。調停を経て現在は、離婚調書に書かれている面会内容よりも拡充した形で面会交流が実現できているのはなぜか? 子どもに対する想い、またその伝え方やお相手との関わり方、辛い思いとどう向き合ってきたのか、聞いてみました。

■プロフィール
お名前:星智久さん(ほしともひさ)さん
お子さんの年齢・性別 長男10歳(小学4年生)
神奈川県川崎市在住。2年前のある日、妻と子どもが家から出ていき別居がスタート。一貫して争わないスタンスでのぞんだ離婚調停を経て、現在は息子の野球チームにコーチとして積極的に参加。月に1回だった子どもとの面会交流が、子どもの「もっとパパに会いたい」のひとことをお互いが尊重することで、拡充していき現在に至る。

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――まず、離婚までの経緯を教えてください。
別居を2年、今年4月に離婚が成立しました。小4の息子がひとりいます。
2010年に元妻と出会い、その年に子どもを授かり、いわゆるおめでた婚でした。離婚の原因にも関係していると思うのですが、交際期間が半年程度しかなく、お互いを知らなさ過ぎたのかなと思います。元妻は、同じ大学の学部の後輩だったので、もちろん知っていた存在ではあったのですが、男女として過ごす時間が少なかったように思います。

とはいえ、8年は一緒に生活をしていまして、その間は仲良く過ごしていました。特に最初の3年ぐらいは楽しく過ごしていたと思います。そういった中で、マイホームなども購入し、それまでは順調だったのが、ものごとが落ち着いていくに連れてイベントも少なくなっていき、だんだんコミュニケーションが無くなっていったことで、心の距離が開いていったような印象があります。


――別居となった時のことを詳しく教えてください。

普通に家に帰ったら真っ暗で誰もいなくて、机の上に調停の申立の書類だけがありました。その日も数時間前までは子どもにも「今日、サッカー迎えに行くね」。「今日はママが迎えにくるから大丈夫。」「じゃあ、仕事して帰るよ」なんて話していたので、本当にびっくりしました。


――別居となる予感はなかったのでしょうか。

元妻が子どものおもちゃを捨てたりとか、きれいに片づけているな、くらいしか思わなかったです。ぼくが鈍感で気づかなかっただけかもしれないですが、まさか、という感じでした。
相手の居場所も全然わからなくて、妻側の弁護士からの書面には「子どもと会わせないつもりはないけれど、すべては調停で取決めをしていきたい。本人や本人の両親にも連絡をしないでください。」といった内容が書いてありました。


――そのとき、どんな気持ちになり、どんな行動を起こしましたか?

いずれ離婚するかもしれないと思っていた部分はあったのですが、自分も息子のサッカーチームのコーチをしたりと深く関わりも持っており、正直子どもとの距離感がすごく近かったし、今すぐに離婚にはならないと思っていました。調停の申立書を見た瞬間、わけが分からなく、ただただ呆然としました。
そして、状況を確認しなくてはいけなかったので、妻側の弁護士に問い合わせをしました。「どういうことですか?」ときくと、「いまは担当者は夏休み中です。来週までいません」と言う対応で……。

相手が弁護士を付けているし、調停をやったことがないし、弁護士からすべてを調停で決めましょう、ということ言われてどうしよう!と、ただただ怖かったです。ひとりで戦ったら、弁護士にやり込められるんじゃないかなとか、ひとりで考えると不安な気持ちを駆り立てられてしまって。それで友人に弁護士がいたので、翌日会社を休んで、すぐに連絡をして相談をしました。

最初は何も相談なく連れ去られてしまったことに悲しみがあり、話し合いができないままだったので、すごく残念な気持ちでしかなかったんです。自分としては相手と話をして、それで改善ができると思う部分があると思っていました。だから離婚はしたくないし、話し合いをしたいし、調停もやめたいと思っていたけれど、そういう感情に元妻はならなかったので、調停で話すことになりました。

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――子どもを取り戻そうという気持ちはなかった?

初めは、子どもの引渡し請求を考えたりもしました。
調停が始まった時に、りむすびをabemaTVでたまたま見て、そこにしばはしさんが出演されていて、共同養育のことを知りました。子どもと離れて暮らしていても共同で子どもを養育することができるのか、と初期の段階で知ることができたので、争わずに歩み寄り、という姿勢で最初からいこうと決めていました。

ただ、男の子だし、母親だけでは大変な部分もあるのでは?と思ったことも事実で、自分が引き取りたいし育てたいという考えもよぎりました。ただ、子どもは母親のことももちろん大好きなので、母親といた方が幸せなのかな、という考えもあって。そのとき、子どもを連れて行ったことに対して、子どもを置いて出ていかないでくれたことに愛情を感じて、連れて行ってくれたんだ、と捉えるようになり、良かったんだ、と思いました。子どもを置いて母親が出ていくよりは良かった、と純粋に思えました。
今回の件は夫婦の問題であり息子を巻き込みたくないし、息子には本人の自由が尊重された生活を確保されるべきだという思いが強くありました。

――一貫して争わずに相手を責めたりしないで進めていったのでしょうか?
相手に対して追い詰めとかはしなかったですね。怒りや不満、不安な点を伝えようとした時も、自分の弁護士から「それは言わないでおきましょう」ということを言われたりしました。今思えば、弁護士にストレス発散していたように思います。それで消化できていました。
ひとりで戦っていたら、自分が思っていることを調停委員にぶつけてしまい、きっとよくない印象だったと思いますし、今のようにうまくいかなかったと思います。


――面会交流調停の申立は起こしましたか?
妻側から離婚と面会の調停が申し立てられていたので、私からはしていないです。最初は本当に会えるのかな?というところが本当に不安でした。子どもとなかなか会えず、子どもに近づいては行けないと言われていたので、会えるのはいつだろう?と。その間は調停が始まってもつらかったですね。

――そのとき、早く会わせてと催促しなかったのでしょうか?
別居した2019年8月からその年の年末まで会えなかったのですが、調停で決められたことを、それまで粛々と対応にのっとってやっていきました。ただ、自分が我慢するのはよくないとも思っていました。全然納得していない部分もあったので、子どもを連れていかれてしまって悲しくて、自分も会いたいし、会えないという状況を全く理解できなかったんです。


そのときに自分が起こした行動は、学校へ相談に行きました。学校で自分の状況を伝えて、担任の先生や校長先生、教頭先生とも話して、子どもと会えない状況です、と正直に話しました。息子と会えないと自分がとても不安定だし、息子の様子も気になると。学校からは、学校で会わせることはできません、と言われ、仕方ないな、と思い、自分としては息子の様子も心配だから、手紙を書くのでそれを息子に渡してくれないか、と提案しました。そうしたら、学校側は、それはOKとしてくれました。
別居して1週間も経たたないうちから毎朝会社に行く前に、手紙を書いて学校の担任に届けて、担任が息子に昼休み伝えてくれました。息子が当時2年生だったのですが、ひとこと、ふたこと返信をくれる、というのをずっと続けてこれたので、調停で会えなくても少しは心が穏やかでいられたのかなと思います。

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――まず学校はかわっていなくて、先生が架け橋になってお子さんからも返信が届くようになったと。働きかけをしたかいがありましたね。
学校側も最初は関わりたくないという感じでしたが、息子と自分の関係性をオープンにしたことで、「お父さんの存在も大切ですよね」と共感していただけたという状況です。息子が2年生を終えるまで手紙を書き続けました。その行為に関して、元妻はやめてほしいとか防御するようなことはなかったので有難かったですしやり取りできたことに感謝しています。


――調停は1年半かかっていますが、その間はお子さんとは直接会えていましたか?
たまに学校で見かけるというのはありましたね。朝職員室に手紙を持っていったのでそこで見かけることはありました。
調停中は、調停で面会交流が決まってから会えるようになりました。最初は月に1回からスタートでした。

妻側の弁護士から、「息子さんが会いたがっていません」と言われて、話が進まなかったんです。その時は実際会っていなかったので、本当に不安になってしまったのですが、僕の救われた点としては、手紙で子どもの気持ちがわかったことです。毎日自分から思いを伝えていたし、子どもも伝えてくれていた、自分に対して子どもが返してくれていたので、そういう証拠となるものを持っていたし、子どもはそんなこと言ってない、弁護士が嘘をついている、調停内で言われるひどいことを聞いたりしても、本当のこと言っていないと、自分を傷つけられても大丈夫でした。

子どもとは毎日文通をしていたので、子どもは家にも帰りたいしサッカーをやりたい、ということもわかっていたので、調停員にもその手紙を見せたりしました。子どもの気持ちを理解いただけて、それでようやく面会がスタートしました。

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――そこから月1回の面会がスタートしたのですね。
はい。2019年の年末からスタートしました。元妻は私とコンタクトを取りたくない、ということだったので、最寄駅で、お互い50メートル離れたところにいて、妻が着いたらその場を離れて、子どもが一人なったら僕に電話をかけてきて僕が子どもを迎えにいく、というのを月1回で進めていきました。

ただ、離婚に至るまで、子どもも月1回というのを変に思っていて、会えるようになると、なんでこのくらいしか会えないの?と。もちろん息子も僕もお互い納得できていなくて。別れ際がとても辛かったです。元妻にも、子どもの気持ちを汲み取ってほしくて、りむすびさんに協力してもらって、カウンセリングをやってもらえないかとか、共同養育について一緒に学びましょう、など色々と言いましたが、そこは一切嫌です、と言われてしまいまして。

調停のなかで、調査官調査だったらやる、と言ってもらえたので、調査官が、僕と元妻と子どもの調査を開始してくれました。そのとき、妻の気持ちとか子どもの気持ちを調査官が聞いてくれて、子どもは、「魔法があるなら、別居の前に戻してほしい」と言っていたみたいで。ほかにもやりたいことを聞かれたときも「パパとサッカーをもっとやりたい」、「月1回じゃ少ないからパパともっと会いたいと」と、本当の気持ちを伝えてくれたので、妻も第三者から子どもの気持ちを聞いたことで、汲み取ってくれました。その結果、面会が増えるきっかけになりました。

もし調停をやられている方がいたら、面会交流を争うのではなく、調停で話せるのであれば、子どもも片親にしか話せないとか本当の気持ちを伝えられないとか辛いと思うので、そういう機会を与えて、子どもの本当の気持ちを聞くにはいいと思います。

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――離婚を受け入れようと思ったのはどのタイミングでしたか?
調査官調査の文面で子どもが僕たちに仲直りしてほしいと思っているのを知っていたので、チャンスがあるなら、もう1回やり直したい、という思いはありました。そう考えていたので、正直最初はなかなか踏ん切りがつかなった。ただ、このまま調停を続けていても、あまり話し合いをすることがなくなってきており、妻の気持ちは固いとわかったんです。

正直、親権を失う怖さはものすごくありました。苗字も変わったりしたら、親でなくなるとか、会えなくなるんじゃないか、とか。ただ、両親それぞれが子どもの習い事などに関わって協力するなど、子ども優先で考えるということでは意見が合致していて、妻が子どもを第一に考えてくれているということがわかったので、あとはお互い幸せになるために共同養育を積み重ねていくしかないと思うようになりました。ちなみに、子ども希望を聞き入れ、苗字は変えないでいてくれています。その部分についてもとても感謝しています。


――現在のお子さんとの関係は?
離婚時の協議書上は、面会は毎週土曜日のみとなっていますが実際はそれ以上会えています。子どもがサッカーをやめて野球に興味をもち始め、野球をやりたいと言い出したので、そこは僕がチームを探して、現在は僕も子どもと一緒に野球のコーチとして関わっています。
また、野球以外にも子供とは毎週親子Cookingをしたり、家庭菜園、DIYなんかも楽しんでいます。最近は野菜なども興味を持ち始め、クッキングスタジオに行った際は包丁の使い方が上手と褒められとても楽しそうに料理をしていました。子どもとも同居時よりも絆が深まり、新たな良い関係性が芽生えたことを実感しています。

それに、学校行事も参加しています。1時間の公開授業などは半分ずつ行くようにして。一緒に観ることはないですが、子どもの様子がわかるので有難いです。学校に、行事について教えてもらったりだとか、自分で確認できるものは相手から待つのではなく、自分から情報を取りにいってます。

また、妻は土曜日が仕事なので、交流中は心配なく働けているのかなと。いまは臨機応変に子どもが僕のところに来たりもするので、自由に行き来しています。今年の夏は息子とふたりでプロ野球観戦に東京ドームへ行けたのも良い思い出です。元妻は今年の夏休みに息子と石川県にある松井秀喜ミュージアムに行ったようで、そのことを子どもを通じて聞き、お互い子どもを優先できているのがわかり、うれしかったですね。

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――いま現在お相手とのコンタクト手段はどうされていますか?
調停時にショートメールと決めたので、直接やり取りしています。元妻も、野球をしている様子など子どもの一面を知りたいと思うので、なるべく自分から伝えるようにしています。
それから元妻の誕生日にはお花やコーヒーショップのギフトカードを子どもからのプレゼントとして渡しています。その他、ふるさと納税で取り寄せた果物を子どもに持たせたりしています。それは普通に受け取ってもらえますね。僕は調停中に自分の悪かった部分については手紙で渡したこともありましたし、今でも親として協力できることはしたいと思っているので、そういう自分の姿勢を示すことも大切だと思います。

――いま現在離婚を考えている方、離婚されてお子さんと会えない方、会わせていない方にメッセージをお願いします。
僕も調停中は毎日辛くて涙を流していました。でも今は別居前よりも幸せなんじゃないかと思うんです。離婚したことで心がリセットされて、とても穏やかな生活をすることができています。また、やりたいこと、挑戦したいこともたくさん見つけることができました。

みなさん、それぞれの状況があると思いますが、相手から何かを奪うことを考えるのではなく、相手に与えることを考えてほしいです。最初は難しいかもしれません。でも自分が与える存在になることで、少しずつ、わだかまりが解けていくように思います。自分がそういう存在になるには、元気でエネルギッシュな生活を送ることも大切です。
僕は運動をすることをお薦めします。いまは毎朝のランニングを日課にしています。朝陽を浴びることが大切だと気づき、そこから大きく好転した気がします。

また、せっかく自由な時間ができたのですからご家族、ご友人、サークルやコミュニティーの仲間との交流を楽しむこともお薦めです。「孤独」・「孤立」は身体への影響が良くないと感じるからです。

多くの方と交流することで、自分が笑顔になる機会も増えて、周りも笑顔になり、自分自身が癒された時間だったと感じています。そして、苦しい時は我慢せずに周りの人に相談に乗ってもらうことも大切と考えます。

「人は何者にでもなれる、いつからでも!」退路を断たれても「まだ自分にはできることがある」と自分を鼓舞し、周りからどのように思われても自分の信念を貫きと通すことで、みなさんにも幸せがきっと訪れると思っています。 
みんなで幸せになりましょう!

インタビューの動画はコチラです↓ぜひご覧くださいね。

企画:一般社団法人りむすび
取材・記事:江島るな子

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