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緑ナンバーは孤独に光る(配達放浪記)
noteではフードデリバリーやUber Eatsの記事はいくつも見つかるが、緑ナンバーについて書かれた記事はなかったように思う。今回は昨年終えた関東地方1都7県(+静岡、宮崎)での配達報告と併せて、緑ナンバーでの配達について書いてみたい。
Uber Eats配達パートナーを始めた時(2020年8月)、日常生活の下駄として使っていたアドレスV125Sという原付二種、いわゆるピンクナンバーのバイクをそのまま使った。原二は実に使い勝手のいいバイクだ。コンパクトな大きさで、制限速度も他の自動車と全く同じ。50ccバイク(原付一種)に課される最高速度30キロ、一番左車線の左端を走行すること、三車線以上の道路を右折する時は二段階右折必須という法的縛りがない(東京の知り合いは頻繁に速度違反で検挙されるので、ついに50ccバイクに乗ることを断念した)。
原二のアキレス腱は、「高速道路が使えない」ということに尽きた(高速を始めとする自動車専用道路は、(ごく一部の例外を除き)125ccより上の排気量のバイクしか走行を許されていない)。配達していて、居住エリアから遠くへ流されたという経験は、フードデリバリーの配達員なら誰しも経験があるだろう。そんな時、顔に土砂降りの雨が容赦なく降りかかる夜だろうが、震え上がるほど寒い日だろうが、深夜に貞子のような幽霊に追われていようが、どんな事情があっても、原二だと下道で戻るしかないのだ。
ただし、大多数の配達員は、地元で配達する。自分の生活圏であれば道や加盟店の場所に精通しているし、取り締まりポイントも頭に入っている。配達先で次の配達依頼が入りそうかどうかの想像も大体つく。およそ、地元以上に効率的に配達できるエリアは皆無で、多くの配達員は「ロング」と呼ばれる遠く離れた場所への配達依頼を(よほど報酬が高いのでもない限り)拒否する。自重し、地元のエリアから流されないようにするのだ。
ところが、配達の仕事を始めて3ヶ月もしないうちに、自分は地元の配達で収まるタイプではないことがわかってきた。横浜市民であろうと、横浜市18区全区に行った事がある人はそこまで多くないだろう。自分が住んでいる居住区と勤め先の場所で日常の大部分が回っているはずで、僕自身もこの仕事を始める前は自宅からさほど離れていない保土ケ谷区でさえ、今後、一生行くことのない、幻の区みたいな場所だった。ところが、Uber Eatsの配達員はピンボールのようにあちこちへ飛ばされる。そのスリルといったら、まぁ、すごい。まだ訪れたことのない土地をオートバイで走り、お金を稼ぎながら見たことのない風景と出会う興奮と喜び。18区全てを配達で訪れるのに、さほど時間はかからなかった。例えば、配達員を始めて保土ケ谷区に頻繁に行くようになり、陸上自衛隊の駐屯地があることを知って仰天した。
この「ビョーキ」はどんどん重篤(じゅうとく)になっていき、神奈川は言うに及ばず、東京、千葉や埼玉でも配達する日もでてきた。こうなると、高速道路を使えないのがしんどくなってくる。
知り合いの配達員(彼は面白い人で、本業はお笑い芸人だ)が155ccの緑ナンバーのオートバイで配達していたので、緑色のナンバープレート(営業ナンバー)の存在は知っていた。対価を受け取って何か(貨物)を125ccより上の排気量のオートバイで運ぶには、道路運送法で緑色のナンバープレートをつけることが義務付けられている。そして、125ccより排気量の大きいバイクは、高速道路を走ることができる。
ピンクナンバーでの配達の限界を決定的に感じたのは、茨城県のつくばで配達した時だ。知り合いの配達員が、本業でつくばに長期出張していたので、思い切って行ってみた。
つくばでの配達は「べらぼうに」楽しかった。中心地から少し離れた場所に配達で行くと水田が広がり、夜には蛙の大合唱。夜の月明かりに浮かび上がる水田の清冽さ。空を見上げれば満天の星。筑波大学の緑豊かなキャンパス。学生達の明るい笑い声。遠くを仰ぎ見れば、つくば山。
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しかし、乗っていたのは原二のアドレスである。たとえバレンティーノ・ロッシと言えども、高速で横浜に帰ることは許されない。つくばに下道で来るだけでも疲れているのに、配達までして、背中にドロリとした疲労を背負いながら、横浜まで下道で帰るのだから、たまらない。結局、自宅に着いたのは午前2時半近くだった。
このつくば遠征に懲りて、地元中心の配達に切り替えたかというと、さにあらず。ピンクナンバーのまま、ますます、見知らぬ土地での配達にのめりこんでいく。
最後の方は修理に修理を重ねるような状態だったが、愛着が湧いてきて、アドレスを廃車にする決断ができず、ダラダラ修理代を払いながら多くの街で配達していた。踏ん切りがついたのは、バイクショップの親父さんがもう直せないと匙を投げたからだ。
2022年、10月。いよいよ緑ナンバーのオートバイである。新しいバイクはホンダADV150。車体がこれ以上大きいと配達に支障がでるギリギリの大きさで(といっても、やはり普段の配達には大きすぎるとは思う)、勿論、高速に乗れる。外観も「これがスクーター?」と思うほど、フロントマスクは精悍だ。ピカピカの新車の後部両側面に打たれた「ADV150」の刻印を見た時は、胸にグッときたものだ。
鬼に金棒、ビギナーに緑ナンバー。高速を使えれば、機動力は桁違いだ。神奈川、東京、千葉、埼玉、茨城での配達はアドレスで終えていたので、「関東地方制覇」が頭をよぎる。残る静岡、山梨、群馬、栃木での配達の機会虎視眈々と狙う日々。高速を使えれば、関東圏はギリギリ日帰りが可能なのだ(犬を飼っているので、日帰り配達が大前提だ)。
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飽くことなく香辛料を求めて世界を駆け巡ったマルコポーロとおそらく変わらない熱量で配達すること4年。横浜の港南区から始まった配達地図は関東全域にまで広がった。去年の秋の入り口には、その地図に九州の宮崎も加わることになる。宮崎には80歳の伯母が住んでいる。彼女が元気なうちに宮崎へ行く時間は、さほど残されていない。思い切って、宮崎での配達も去年の9月末に決行した。
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両親の故郷の宮崎での配達は、これまでの4年と5ヶ月の配達で、最も印象に残った配達だ。宮崎市内を配達で走っていると、小学生の夏休みに母親や伯母に連れて行ってもらった宮交(宮崎交通)シティ(子供向けの乗り物やお化け屋敷があった)や父方の祖父母の家などを見つけて、懐かしくてたまらなかった。祖父母はもちろん、両親も三途の川を渡った。それだけ時間が経ったのだ。配達で宮崎の町を走っていると、ベースボールキャップをかぶって半ズボン姿の少年だった自分の後ろ姿が見えるような気さえした。
配達員になったばかりの4年前に細木数子と鏡リュウジと江原啓之が夢枕に立ち、「おまえは4年後、宮崎で配達することになる」と言っても、当時は中区の伊勢佐木付近で配達することが多かった自分は「何を馬鹿なことを」と一笑に付しただろう。先のことは全くわからないのだ。
風に揺れるフェニックスの木を見ると、「自分は今、再び、宮崎にいるのだな」という感慨に打たれ、目に入ってくる風景の全てが穏やかで優しい。宮崎滞在中は気温は30度近くまで上がり、10月なのに真夏のようで、汗をたらしながら、アイスクリームを頬張った。宿泊先の高岡から愛犬と一緒に見た、山の稜線の奥に沈みながら見事な茜色に田畑を染める、この世のものとは思えない夕日の美しさは、一生忘れない。
しかし、わざわざ地元から離れた場所での配達には当然、デメリットもある。いや、デメリットばかりだ。まず、疲れる。地元なら、配達を終えて自宅まで20分、30分というところを1時間から1時間半、場合によっては2時間近くかかる。疲れないはずがない。
高速代だってかかる。軽自動車と同じ料金で、それなりの負担だ。移動の時間は配達できず、配達の機会損失も馬鹿にならない。流された先で配達依頼が入るのかの見当もつかない。これほど非効率な稼働もない。
こういうタイプの配達員は横浜にはいない。そもそも緑ナンバーで配達してる人が少ない。配達員が全国一多いだろう東京にだって、このようなタイプはいないかもしれない。旅のスタイルをとって配達する人はいるが、自分のようにあくまで「普段の配達」で、地元から遠く離れた場所で配達する人間は、ほとんどいないだろう。X(旧Twitter)でも、他の配達員が興味あるのは売上で(まぁ、当然だ)、どこで配達しているのかなんて、関心の外だ。「客に迷惑をかけるな。慣れた場所でやれ!」と石が飛んできたこともあった。単価の低いロングを取れば「そんなのを配達するから、単価があがらないんだ」と言われ、低単価の暑い暑い夏の日に必死に配達してると、「やる価値なし」と言われたことさえあった。最近ではさほど単価のよくないロングをこなす配達員は「脳筋」と馬鹿にされている。
もちろん、配達パートナーは徒党を組んでやる仕事ではない。そして、言うまでもなく、どの配達リクエストをとるかは、完全に各配達員の自由である。脳筋で結構だ。しかし、横浜で自分は明らかに異端児であり、横浜配達村の野に咲く徒花《あだばな》だ。たまに、そのことを思うと、少しばかり複雑な気持ちになる。Xを見ていて、フォロワーがみんなで集まり、楽しく食事などをしてるのを見て、冬の夜中に横浜から遠く離れた場所でガタガタ震えながら配達してる自分が馬鹿らしくなったことも一度や二度ではない。
高単価の、あるいはそこそこの単価の配達だけ地元で適当にしてれば、いいのかもしれない。ダブル(2件配達)トリプル(3件配達)も適当に解体(2件、3件配達の1件もしくは2件の配達をキャンセルすること。キャンセル後の1件のみの配達で最初に提示された報酬の6,7割がもらえることが多い)し、要領よく稼げばいいのかもしれない。
しかし、4年以上、自分のやり方(配達するのに物理的な量的限度を超えるのでもない限り、解体はしない。配達依頼を受諾した以上は、よほどの事情がない限り、配達を完遂する)で、25000件以上配達してきた(ささやかな)矜持が自分にだってある。「誰でもできる仕事だと世間では見下されているけれど、俺は俺なりに真摯にこの仕事に向き合ってきたぜ」と正面切って啖呵を切れる程度には、雨の日も風の日も、ギラつく夏の太陽に虐められる日も、冬将軍にサディスティックに痛めつけられる日も、必死で配達してきた。
そして、やはり見知らぬ街での配達は楽しい。
横浜付近で配達していたら、絶対に見ることのできない風景の中を、幾度も走ってきた。地平線に沈む巨大な火の玉のような、それこそ圧倒的な夕陽。「あそこのポツンポツンとした素朴な灯りのひとつひとつにそれぞれの人生がある」と胸を打たれた、寂しくも、見る者をハッとさせる田舎の夜景。配達中、そんな風景を見て、何度心が震えたか知れない。そうした経験のためなら、多少の報酬の悪さには目をつぶって、配達してきた。遠くへ。さらに遠くへ。まだ見ぬ場所へ。そしてそんな景色の中で配達していると、文字通り、時間を忘れた。
「楽しくなければ、配達じゃない」
今、話題のどこかのテレビ局ではないが、心のどこかでそんなことを思いながら配達してきて、5年目を迎える。配達で走ることは「仕事」ではなく、自分の生活そのものになった。ナンバー灯の下で孤独に浮かび上がる緑色のプレートは、そんな自分の象徴のように感じられつつある。
自分は決して器用な配達員ではなく、むしろかなり不器用な配達員だ。売上だって特筆すべきものはない。イケメンでもない。背だって高くはない。足も短い。半年前には、押し歩きでバイクを石柱にぶつけ、都筑区でカウルを派手に壊した。この不器用な横浜配達員は、明日はひょっとしたら、あなたの街を走っているかもしれない。見かけても、石を投げたりしないでくださいね。