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ワーホリに参加しようか迷っている君に言いたいこと

 夜、月明かりの下、自然を舞台としたアンサンブルが始まる。鈴虫の鳴き声を指揮者として、コオロギ、マツムシなど、まさに『虫のこえ』のようだ。
 木々が風に揺れる音が、パーカッションとして、基調を整える。一体となって、周囲に心地良い濤声を響かせている。
 良くない。都会に帰りたくなくなってくるではないか。人工的な喧騒に塗れて過ごすことが苦痛に感じそう。

 そんな大湫での2週間の備忘録を書いていこうと思う。

 まあ、その君が人と関わるのが好き大好き、というなら、別の記事にいっても構わない。数多の記事がある中、こんな奇怪な文章を読む必要もないだろう。

 これは、私みたいに『一歩踏み出したい。自分を変えたい。でも自分は内向的だし、自身が無いよう…』
 という人に向けて作成しようと思う。

 他の記事だと異なり、玉石混交で書いていく。そういう記事も必要だろう。苦情を言われたらそれまでだ。
 でも、間違えないでほしい。私は行って自分の人生観が変わった。行って良かったと思っている。

 


このプログラムの目的

 

お役所目線

 瑞浪市のことを知っている人を増やす。端的に言えばそれに尽きる。

 岐阜だと、どうしても、高山、下呂辺りが有名で、瑞浪は正直そこまで知名度はない。まずは我々が関係人口となる。周りにその経験を周知する。そして、周りにも瑞浪市のことを知ってもらう。そういった0から1を生み出すための架け橋としても、期待されているのだ。

 そして関係人口爆増物語が始まろうとするのだ。知らんけど。

参加者目線

 千差万別。地域のことももっと知りたい、という人もいるし、人生に迷ったから、という人もいる。

 目的の大小が重要なのではない。「目的を持って臨む」という事が大事なのである。

尚、これは主観である。


日常生活編

泊まったところ

 大湫にある廃屋を再生した西森亭というところ。
 意外と広く、木の温かみと、い草の芳醇な匂いが立ち込めている。
 また、地球温暖化の波に逆らって、エアコンはない。しかし、大湫が標高が高く、夜は涼しいのであまり憂慮する必要はないのかも。

 因みに私たちは、3人で泊まり、今映し出されている大広間で寝た。
(離れがあり、一瞬そこで寝ようとしてみたが、あまりの怖さに断念した。背中から冷や汗が噴き出してくるのである。しかも、幻覚が聞こえる気がするし。もしそこで寝れたのなら教えてほしい。崇み奉る。)
 

内装。広い。
五右衛門風呂もある。結局入らなかった。


ご飯

 大湫には、西森亭と柏屋がある。西森亭で男子3人が泊まり、柏屋で女子3人が泊まっていた。
 晩御飯は、基本柏屋で6人分の食事を作り、それを分けて食べていた。朝ごはんは各自で食べ、昼ご飯は就業先でまちまちだった。弁当を持っていく人が居たり、就業先でご飯がもらえたり。
 買い出しは、業務が終わった後、みんなで行った。

お好み焼きを焼いたよ

休日何をしたか

 いっろんな所に行った。下の、写真の小高い山みたいなものは、タイルミュージアム。
 この外観は、発掘する現場を表しているらしい。俎上の魚ってやつだ。少し意味が違うが、言ってみたかった。

 中には、モザイクアートの展示などがしてあった。このタイルミュージアムがある多治見市というところは古くから焼き物で栄えた。今、君が使っている茶碗は、もしかしたら多治見産かもしれない。

タイルミュージアム。距離感バグる

 他にも、近くの自然豊かな公園に行き、滝を見物したり、近くのカフェに行ったりした。また、瑞浪駅周辺でイベントがあり、それに参加したりもした。詳しい内容は他の方のnote参考。

 
 ここで学んだこと。
・観光名所が多いし、賑わっている。
 瑞浪、またその周辺の市が、自分の市をPRしようとする、積極的な意欲が垣間見えた。その努力の結晶からか、どこも人で栄えていた。人で栄える、それは、都会に住んでいたら当たり前である。もはやうんざりするほど。
 しかし、私も富山の田舎出身なので分かるが、田舎は大抵、何処に行っても人が疎らである。

 自分の市の資源を知り、それを広めようと躍起になる。その姿勢が周りの人に届き、人を呼んでいると思う。

 
 

就業編

 私は、プロトビ様に就業させていただいた。そこは、タイルを専門的に扱っている職人気質溢れる企業だった。

魚のタイル作り

まず、何で魚やねん!
気持ちはわかるよ。

 お偉い人が考えた作品で、それをいっぱい飾りたい人がいるらしい。何とも独創的な。

 プロトビ様のは、そのような『オーダーメイド』に力を入れている。大手メーカーなどは、機械で大量生産をし、顧客が、その生産した商品を選ぶ、という事が一般的だ。そっちの方が楽らしい。
 しかし、プロトビ様は、顧客との意見のすり合わせ何度も重ね、その顧客に合った製品をオーダーメイドで提供する。とっても高品質。

 そこの家をオシャンティーに変えたいあなた、プロトビですよ。宣伝します。

 


僕等が作った魚のタイル

 石膏でできた型がある。そこに手作業で粘土を填め込むのだ。しかも、その粘土の重さは限られている。72g。そこがミソだ。
 石膏に填まった魚のタイルを石膏から外す。そこから1日自然乾燥する。

 次の日に、乾いた魚のタイルの表面を、水を含んだスポンジで擦る。そうすると、表面に入ったヒビや割れが修繕される。
 魚たちが生き生きと、富山弁で言ったらきときとするのだが、上手くいかないんだよな。

 自然乾燥した後の魚は、如何せん割れやすい。鰭の部分が簡単に割れてしまうのだ。

 堆く積まれた鰭が欠けた魚の山。悲しそうな顔で訴えかけてくる。
「僕はまだ泳げる」
 ごめんな。私の実力不足なんだ…
 生まれ変わったらどこまでも広がる大海で思う存分泳ごうな。

ワークショップの試作

 他には、プロトビ様はワークショップを開催しているのだが、その宣伝写真が足りないそうだ。その補充のため、また、実際の感想をお伝えするためモザイクタイルと、タイルアートの試作をした。

 モザイクタイルとは、下の通り、小さいタイルを貼り、思い思いのデザインを創作するアートのことだ。

 この小さいタイルと木の枠は、ボンドで留めてある。私はストライプ柄で、クール(?)に決めたつもりだ。

モザイクタイル。思想は右に寄っていないが、タイルは右に寄っている。

 また、下の画像は、タイルアートだ。タイルの上に塗る塗料は釉薬という。その釉薬を、タイルの上に塗る。それを1250℃の窯で1日かけて焼成し、ガラス質になる。

  ではなぜ、ガラス質になるのか。それは、釉薬というものが、ガラス質の鉱物と水が攪拌されてできたものだからだ。焼成する段階で、水が蒸発し、鉱物も融解する。その結果、ガラス質になるのだ。

 左と右で作った人が違う。こうしてみると、その人の思想が透けて見えそう。

 え、私の絵はどれかって?うふふ、秘密。

筆者の絵は右である。ヨルシカの靴の花火と春泥棒をイメージした。

 (ヨルシカ好きは是非連絡して欲しい。市役所の方、頼みます)

 このワークショップ、体験しないと分からないことが多々ある。例えば、前者の体験だと、ボンドをつけすぎないこと。後者の体験だと、線がぼやけてしまうため、焼成する前の段階では、絵は大雑把に描くことなど。

 ワークショップをする以上、どう高クオリティのものを提供できるかを苦心する必要があるのかが分かった。

 

地域編

お宅訪問

 瑞浪駅の近くで知り合ったお婆さんの家にお邪魔し、大湫で知り合ったご夫婦の家にもお邪魔した。
 ふとした会話から、家の中に上がらせてもらえるのは、地元、ましてや都会ではまずないことだろう。
 瑞浪の温かさを感じることができた。

大湫のご夫婦からは、きゅうりの漬物も貰うことができた。実はきゅうりが苦手なのだが、美味しくいただいた。

 余談となるが、瑞浪は同郷の者たちで出来た市らしい。だから、人と人との繋がりがある。よそ者に当たる人でも、歓迎してくれる。

 また、喫緊の話題として、リニアモーターカーによる渇水を心配する声が大きかった。確かに、作業服を着たおじちゃん達が歩いている姿をよく見かけた。

ランニングを通じて

 私自身ランニングが好きで、大湫でも足音を響かせていた。その結果、

『朝にランニングをしているどこから来たかわからないお兄ちゃん』

 という名誉ある捉え方をされていた。毎朝元気を貰っていたとも言われた。ランニングという切り口から、地域の人との話題も広がり、様々な情報を教えていただいた。

 大湫で暮らすについての不安点、大湫の祭りの詳細、またここでは言えないことまで、地域の生の声を聴くことができた。

私自身の与太話編(本編)

私が思うこのプログラムについて。悩んでいる人向け

 正直、この2週間を貴重なものにするかは、前述の通り、『目的を持って臨む』ことができるかどうかで変わってくる。

 漠然と過ごしていると、ただ2週間を集団生活して過ごすだけとなってしまう。(それでも有意義だとは思うが)

 積極的に、いや貪欲に目的を追い求めることが、自己成長の鍵かもしれない。

 私自身は『地域のことを、地元の人目線から探求する』というコンセプトの下、動いていた。

楽しかったこと、辛かったこと

 まず、前者から。私は、新しいところに行き、そこの雰囲気を肌で感じることが好きである。特に、この日本において、ちっぽけな島国において、これだけ多様な風景がある。風景は、その地域の顔となって私たちの心に迫ってくる。その風景を感じることが好きだ。
 地元の人と繋がり、名所と繋がり、イベントと繋がる。それも、自分に新しい風景を見せてくれた。

 瑞浪、そしてその周辺の市について、様々な角度から覗くことができた。それらが、楽しいと思ったことである。

 後者。大湫は、自然豊かな集落だ。裏を返せば孤立している。何をするにしても、周りと合わせなければいけない。レンタカーが宿1つにつき1台用意される。それを使わないと、移動はままならない。

 つまり、一人でおちおちと買い物ができず、気の休まるときがほとんどない。それが苦にならない人なら大丈夫だろうが、きつい人もいるだろう。
 今回、IME寮という市街地に近い寮で過ごしたグループもあった。もし不安なら、その旨を応募の際伝えた方がいいだろう。

 また、集団行動という事もあり、勿論人のいいところも見えるが、その反面悪いところも多々見える。それが見えた時にどう対処するかも、また学びになるかもしれない。 

自分のこと

 自分自身、最初から最後まで大湫の方とは馴染めなかった。詳細は割愛するが、人の悪い面を過度に気にする性格だからだろう。
 前半は『地域のことを、地元の日人目線から探求する』というコンセプトを考える以前の問題だった。人間関係で悩み、それどころではなかったのだ。私は、ある悩みに固執する傾向があったのだ。
 しかし、いろいろな人に助けを求めた。その結果、その瞬間、自分が一番成長できることをしようというマインドに切り替えることができた。コンセプトを思い出し、自分から積極的に動けたと自負している。

 私は、このワーキングホリデーは、楽しい、為になったといった正の感情では終わらせることができなかった。
 しかし、それ以上に自分の欠点を明確にし、それをどうやって乗り越えるかを考えるとても良い機会になったと思う。

 一歩踏み出し、この企画に参加することは、皆が思うより何倍も重く、苦しい一歩だった。それからの歩みも重かった。

 しかし、その枷は小さい花へと昇華した。


この企画に参加したいと思っている君は、君が思っている以上に強かだ。

それを覚えていてほしい。


 後半は、自分語りが続いてしまったが、後悔はしていない。いつか誰かに届くことを信じて。その誰かのために、この記事を書いた。
 


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