見出し画像

日本語と数学


 日本語は数学に不向きである. 大学数学の取っ掛かりとなる$${\varepsilon - N}$$論法 にて, 多くの学生が躓いてしまう. 例えば

$$
{\lim_{n \to \infty } a_n = a}
$$ 


は, 

$$
{\forall\varepsilon >0, \exist N\in \mathbb{N}, s. t. \forall n\in\mathbb{N},
\bigr( n\ge N\Rightarrow |a_n-a| < \varepsilon
\bigr) . }
$$

を意味するわけであるが, これは日本語で読むと, 

"
任意の$${\varepsilon >0}$$に対して, $${N}$$以上の全ての自然数 $${n \in\mathbb{N}}$$に対して$${|a_n-a| < \varepsilon}$$が成立するような, とある自然数 $${N\in\mathbb{N} }$$が存在する.
"

となる. 一方英語では

"
For  any  $${\varepsilon> 0}$$, there  exists  some  $${N\in\mathbb{N}}$$, such  that  for  any  $${n\in \mathbb{N}}$$,  if  $${n\ge N}$$  then  $${|a_n-a| < \varepsilon.}$$ 
""

と読める. 英語の場合は論理式と同じ語順で読めるのに対して, 日本語で読む場合は論理式と語順がひっくり返ってしまう. これが多くの学生が躓く要因の一つであろう. 実際, 初学者が上記の論理式を読む場合

"$${\varepsilon>0}$$を固定するごとに, $${|a_n-a|<\varepsilon}$$を満たすような十分大きい$${n\in\mathbb{N}}$$の存在が示れば良いんだな!"

などとは思えないであろう. 少なくとも私にはできなかった. 注意しなければならないことは, このつまずきは, 理論の問題ではなくて, 数学的に解釈する感覚の問題であるということである. 一度読めるようになってしまえばなんてことはない, 語順なんて関係なしにすんなり理解できるようになる. 英語であろうが日本語であろうが論理式であろうが数式であろうがこれらは全てただの言葉なのであるから, 慣れれば誰だってできる. 日本語を基礎とする私たち日本人にとって論理式や数式に慣れることは英語を基礎とする諸外国の人々のそれに比べて幾分か困難の度合いが大きいが, その違いはただの度合いの問題で, 投げ出さずに続けていれば必ず読めるようになる, と思っている. 

 しかしながら多くの人々は慣れる前に投げ出してしまい, それ以降数学は怖い存在に変わってしまう. 私も現在に至るまでに何度も数学を投げ出してきた. 実を言えば今も投げ出している. 数学は日常的に触れ合うにはあまりに無機質で, 常に孤独が付きまとう. 孤独を楽しむために唯一の手段は友人を作ることであろう. 果たして私は生徒たちの数学友達に慣れるであろうか. 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?