舞妓さんを知った中2
中学2年、私は進路を考えていました。
小学6年の夏、私の両親が離婚し母と私達姉弟はアパートに引っ越した。
人生初めての引っ越しに少しワクワクしたのを覚えています。
生活用品を揃えに百均によく行ったり
離婚をした後の生活は、離婚をする前の生活と比べると、楽ではなっかたが「とてもひもじい思いをした」とか「寂しくて毎日辛かった」と言う思いは
そこまで大きくありませんでした。
それは私の母のお陰だと、つくづく思う。
体はそこまで丈夫ではない母だが、心が鉄のように強い、いや…あの時期は特に強かったんだと思う、『母は強し』とは此のこと。
飽くまで私の記憶の中だが、離婚後の母との暮らしの方が生きてる感じがしたし、母も姉弟もがむしゃらに精一杯生きてて楽したっか。
笑顔でいることの方が多かったことに感謝です。
そんな私が生活していて、一番感じていた事は『お金』の大切さ。
家に住むのも、家族全員食べていくのも、着る服を買うのも、学校や習い事
生きていくには『お金』が必要です。
お金が無くて悔しい思いをした時もあったけれど、その時々で知恵絞ってやり繰りしたり、我慢したり、誰かに助けてもらったりして『お金』以上に
大切なものがあるんだ、と感じました。
『お金』の価値について考えることが多かった中学生の私に
進路を考え無くてはならない時期が来てしまいました。
道徳的に『お金』のことは考えてても、数学的にはからっきしな私は
『働く』ことしかできないと結構早い段階で感じていました。
田舎育ちで世間知らずな中2の私は、すぐにでも働きたいと思っていて
学校で聞く情報でも、夜間の通信制か介護福祉士など資格を身に付けられる学校にしようか、とない頭を回していました。
それがダメなら、『芸人』(お笑いではなく)になって少しだけでも家計を助けようと思い、民謡の先生だった祖母のとこへ行き民謡の稽古をし始めたり、日本舞踊の先生だった叔母のとこへ行ったりと動いていました。
そんな私を見ていた母が、テレビで舞妓さんの修行をしている女の子のドキュメンタリーを見たと、話てくれてそこで初めて『舞妓さん』と言うものを
知りました。
電気が走ったような衝撃、はありませんでしたが(笑)
「ほーーー。ふむふむ。」と言うような気分。
そこまで深く考えずに、『うん、ここ行く』と思いました。
もちろんそれから情報収集をして、改めて母と一緒に考えました。
祖母や叔母が芸事をしていて、私は小さい頃から芸事をしていたので
芸事を生業にする仕事でなら、好きなことができるな、と思いましたし
自分が家を出ることによって、食い扶持が減って家族の負担が減り
お金を稼げるようになれば、仕送りが出来る。と言う理由で決めたのでした。
花街に飛び込むきっかけは人によって様々で、『舞妓さん』の容姿や華やかな花街の世界に憧れて夢を見て決める子達も多いように思います。
舞妓さんがどんな姿で、どんなお仕事をすのか、どんな厳しさが待ってるのか・・・そこに深い興味がなかった私は、無知なまま引き寄せられるような感覚に身を任せ
大好きな踊りが出来て、人に喜んでもらえ仕事が出来るんだ!と言う希望と未知の世界へ飛び込む覚悟を胸に決めたのでした。
つづく。
~⋆~*ご拝読有難うございました*~⋆~
書き始めてみると、結構覚えるもので
文字に起こすと記憶もその時の気持ちも整理されていいものですね。
ここから長編ではありますが、花街の文化を私目線ではありますが
ちらりと、覗いて見て下さい。
私のよもやま話を面白がってもうたら幸いです。
ほな、又また~✋
おおきに!
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