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【農業】農家は鳥籠の中の鳥なのか #027

6月の終わりにぶどうの袋かけをしてから、早一ヵ月半が経つ。
ぶどう園の水やりが終わってほっと一息ついたある日。
母が、良さそうなぶどうに目星をつけて、袋の口を縛っている針金をそ〜っとほどき、袋をそろそろと外していく。すると、はち切れんばかりのぷりっぷりの大粒のシャインマスカットが顔を出した。袋かけをしたときよりも、一粒一粒が大きくなっていて、もう一度袋をかけ直すのがなかなか難しいほど大きくて立派なシャインマスカットに仕上がっている。

ぶどうの木から全ての葉が落ち、茶色のか細い木がただただ並んでる閑散とした冬から半年後。
ぶどう園には青々とした葉が生い茂り、気を抜くと、これでもかと枝がぐんぐん伸びてくる。シャインマスカットだけでなく、ピオーネ、竜宝、どれもずっしりとした実をならせている。
整房や摘粒したときには、粒も小さくて、こんなにスカスカにして大丈夫なの?と不安になるくらい余分な実を切り取ったけれど、心配無用だった。

去年から実家の農業手伝いを始めて、ぶどうを育てるには、こんなにも沢山の工程があるのかと、他の農作物との違いや専門性に驚いた。ぶどうの育て方を教える"ぶどう塾"なるものもあるらしい。納得である。

「すごい。すごいよ、お母さん。こんなぶどうを毎年作れる技術を習得してるって、ほんますごいことやと思う。」
「もっと胸張っていいよ!」
思わず私が称賛すると、いつも、そうかなぁーと軽く流しながらも、「あんたはいっつもそう言うてくれるねぇ」と目尻が下がる。


昔から母は何だって器用にこなす人。
裁縫、料理、園芸、農業、事務作業、、、
デキすぎる母のおかげで私はぶきっちょになったとも言える。笑
けれど私から見ると、母は、何もするのも義務感が先にあり、やらなあかんからやるというスタンスのように私には映る。
県をいくつもまたいでこの土地に嫁入りした母は、図らずも土地持ち農家になった。

「身軽な人はいいなぁ。
土地持ちは、どこに引っ越すこともできん。旅行も自由に行かれへん。」
「うちらは鳥籠の中の鳥みたいや。」

父と母がこんな風に話すのを聞くたび、何とかならんかなぁと思うものの、土地があれば草刈りや農作業で長期間家をあけることはできない現実があり、ましてや家を売ってひょいひょいと住む場所を変えるだなんて夢のまた夢。両親がたまに愚痴を言いたくなる気持ちも分かる。
土地持ち農家なんて、そこに嫁いだ母なんて、人生のお荷物を担がされただけなのかなぁ。
そんなの悲しい。
大好きな母にはここに来て良かった。楽しい人生だった!と感じながら生きてほしい。

農業を手伝いながら、そんな気持ちが以前にも増してむくむくと湧き上がってきている。
ぶどう園中に連なってぶら下がる青々としたシャインマスカットやくっきりと紫に色づいた竜宝を見つめていると、このぶどう達に未来を感じずにはいられない。
まだ農業の「の」の字も分かってない新米だけど、その鳥籠とやらの風穴を広げることはできないか。

これまでの父と母の農業の重荷が2分の1だとしたら、私が手伝えばそれが3分の1になる。
私1人で大きなことはできないけど、まずは両親2人の笑顔が増えて、そして私達が作った農作物が誰かの笑顔に繋がって、、、

そのために一歩一歩。
本業の仕事に家事に育児に、、目が回る日々の中、どこまでできるのかは未知数だけど。
小さなトライ&エラーをくるくると回していきたい。

*写真は竜宝。実が落ちやすく郵送に不向きなため、ほとんど流通しておらず"幻の赤ぶどう"とも呼ばれているんだとか^ ^

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