【今日のsora】懐かしくて温かい昭和レトロガラスの詩
たとえば、おばあちゃんちにあったガラス障子。すりガラスだから、向こうは見えない。ガラスに描かれたきれいな模様を通して、柔らかな灯りだけがぼんやりと伝わる。
たとえば、いつも前を通る古いお宅。空き家になって久しい。玄関の引き戸はイチョウ模様のすりガラス。誰かが暮らしてきた時間をずっと見てきたはずのガラスの記憶。
気がつくと、いつの間にか消えてなくなるものがある。昭和型板(かたいた)ガラス、通称レトロガラスもそのひとつだ。
1950~70年代にかけて製造されていた型板ガラス。高度経済成長期のマイホームブームに伴って、玄関の引き戸や窓、障子にはめ込む型板ガラスの需要が急増。メーカーは競って新しい図柄を発売した。その数、百近くにのぼる。
レトロガラスの魅力は、なんと言っても図柄の美しさだろう。よく見ると、細部まで手を抜かずに緻密に細工されている。
物心ついた頃から、祖父母や伯母の家にある家具や建具を見るのがすきだった。それを飽きずにいつまでも眺めている、一風変わった子。
「これ、わたしが大きくなったらちょうだいね」。母によると、わたしは厚かましくも『予約』していたらしい。
祖父母も伯母も、今はもう手の届かないガラスの向こうにいる。そして約束は果たされた。予約の品は、わたしのもとへやってきて、今も暮らしのそばにある。おばあちゃんちにあった『銀河』は今夜もきれいだ。
欲望。それは一体、どこまで膨らんでいくのだろう。住まいだってそう。高気密高断熱。冬暖かくて、夏涼しい家。昔に比べると、居住環境はずいぶん快適になった。それと引きかえに、わたしたちは大切な何かを失っていないだろうか。
儚く、美しいものは消えていく。虹も、シャボン玉も、レトロガラスも。
恋焦がれても、つかめない。だからこそ余計に、わたしたちは心惹かれるのだろう。
今もまだ、町のどこかに、レトロガラスがひっそりと生きているかもしれない。ウォーキングやお散歩途中に見かけたら、ぜひ覗いてみてほしい。きっと忘れていた何かを思い出す。ちょっとだけやさしい気持ちになれる。
END
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