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【初!?掌編小説#百人百色】ミントシャンプー
春すぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
持統天皇
(新古今集 夏 175)
「ふぅ」。
美容室のシャンプーチェアに身を委ねる。
電動式だから、後ろにもたれるだけで頭がスムーズに洗面台にのる。じぶんでゴソゴソと体勢を整えなくていいからラク。とても気に入っている。
***
ここは行きつけの美容室。若い夫婦が営む小さなお店。名前を「オリーブ」という。
通いだしたのは4年前。前年の春から始まった人類VSコロナとの闘い。1年が経ち、少し落ち着いたとはいえ、人々の吐く息も、見えている世界もすべてはまだ灰色だった。
わたしのメンタルも同じ。鬱々としたグレーな毎日。以前は外回り営業をしていたが、ほぼオンラインへと切り替わり、家から出ない生活が続く。自然と行動範囲も狭まり、メイクも手抜き、髪もボサボサ。こんな風貌で美容室なんて恥ずかしすぎて行けない。
それでもついに我慢の限界がきて、飛び込んだのが「オリーブ」だった。
この店のことは以前から知っていた。幼馴染みでシンママの恵美がここの常連。
「ねえ。『オリーブ』ってどうなの?いい?」
恵美に聞いたことがある。
「うん、いいよ。あそこの店主、面白いからすき」
「ご主人に担当してもらってるのね。腕は確か?」
「うーん。それはどうかな。わからない。でもいいの、店主のノリが楽しいから」
ふーん。なるほどね。
近所でも、美人で有名な恵美。サバサバとしていて、相手の懐に入るのがウマイ。彼女に積極的に話しかけられたら、たいていの男が恋に落ちるだろう。
いつも手入れが行き届いたあの美しいロングヘアは、「オリーブ」の店主にやってもらっていたのか。あの調子で、恵美は店主に迫っているに違いない。
「奥さんの方は?」
「うーん。よく知らないけど、なんだかツンとして無愛想。いつも機嫌が悪いのよ」
察する。そりゃそーだ。目の前で他所のオンナとじぶんの亭主がキャッキャしているのに、機嫌のいい妻なんていない。ややこしそうな店だな。
そんなこともあって、「オリーブ」へ行く気にはなれなかった。だけど背に腹はかえられない。家から歩いて5分という距離の近さにひかれ、行ってみることにした。
入り口横の植え込みには、店名の由来になったであろうオリーブの木やシマトネリコの緑があふれる。お客さんが2人入るといっぱいになる小さな店だ。明るくて、こざっぱりした内装。ところどころ手作りのポップが貼ってあって、アットホームな雰囲気がいい。
店主も奥さんも、マスク姿ではあるけれど、温かい笑顔で迎えてくれた。恵美は「無愛想」だと言った奥さんも、ぜんぜんそんなことはない。恵美、やっぱ、奥さんの不機嫌はあんたのせいだよ。
担当は奥さんだった。その方がありがたい。乾燥してパサパサの肌。久々のメイクだから、アイラインはうまく引けてないし、眉だってきちんと整えてない。そもそもメイクをしようという気力さえ、そのときのわたしにはなかった。そんな顔を、男性に見られたくない。
メニュー表に「ミントスパ」の文字を見つける。
「これ、なんですか」
「スッーとするトニックシャンプーの後、頭皮マッサージをします」
お願いすることにした。長い間、美容室に行けなかったんだもん。久しぶりの贅沢。たまにはいいよね。
奥さんはわたしの枝毛だらけの髪を丁寧にシャンプーしてくれた。頭皮の毛穴にミントの清涼感がシュワシュワと染み込む。
細いけれど力強い指先がわたしの凝り固まった頭を揉みほぐしていく。ゆっくりと何かが解かれていく。溶けていく。
誰かに髪を触れてもらったことなんて、いつ以来だろう。体に触られたことさえ、もう思い出せない。人にやさしく触られるのは、こんなにも気持ちのいいことだったんだ。
不意に涙が溢れた。
目をぎゅっと瞑って止めようとするのだけど、だめ。止まらないよ。次から次へと溢れだす。こんなことで泣くなんて、やっぱりわたしは弱っている。涙の水滴は、目尻から、耳を伝って、髪に吸い込まれていく。
奥さんは気づいていたに違いない。だけど、何も言われなかった。沈黙はときにやさしい。
「おつかれさまでした」
涙に濡れたまぶたをそっと開ける。
イスがゆっくりと体を起こしてくれる。
目にとびこんできたのは、
窓から見えるオリーブの緑。
白のカーテンが太陽の光を受け止めていた。緑と白のコントラストが眩しい。
どうやらわたしの中の灰色世界は、ミントシャンプーによって洗い流されたみたい。
季節は春から夏に変わろうとしていた。
END
(1854文字)
🐱百人一首2番は、美しい風景と季節の移り変わりの感動を詠んだもの。作者は女帝・持統天皇です。政治の世界で活躍した彼女は、どのような気持ちで新緑の香具山を見つめ、この和歌を詠んだのでしょうか。。。
三羽さんのこちらの企画に参加いたします。
よろしくお願いします。
ふだんは短歌ばっかり作ってます。この長さの物語って初めてかも。やっぱり難しいですね( ̄▽ ̄;)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。