『好き』と『愛している』の違い(動画と文字起こし)
(補足)
毒親と九州男児達の中で育ち、元夫もDV・モラハラだった為に、『和多志の認知』がかなり歪んでいて、『男性に対する偏見がある内容』 かも知れませんのでご注意下さい!
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こんにちは!
こころきょうこです!
今回は、『目からウロコが、どれだけ落ちただろうか!』と思う程に、めちゃくちゃ納得した『ブッダの名言』を知ったので、それをご紹介したいと思います。
その名言を、ご紹介しますと、
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「好き」と「愛している」の違いは何か?
花が好きと言う場合、ただ花を摘むだろう。
だが、花を愛していれば、世話をし、毎日、水をやるだろう。
これがわかる者は、生きることを知る。
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という名言なんですよね。
これを知った時、本当に深く納得してしまったんですよね。
いつものごとく、和多志自身の体験をお話ししますと、和多志の実家と婚家の人達は、確かに和多志を好きだったと思います。
使い勝手の良過ぎる『奴隷・サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱』でしたからね。
使い勝手の良過ぎる和多志が居る事で、自分達は何しろ楽だし、大切にして貰えて大満足だから、和多志を手放せなかった、というか、一生、ガンジガラメにしておきたかったわけです。
でも、だからと言って、誰も和多志を愛してはいなかったんですよね。
皆、
「うちの奴隷だから、どれだけ粗末に扱ってもいい!」
と思っていましたからね。
何しろ、『自分達の役に立つ!』
だから、好きだけど、一切、愛してはいない。
これって、ちょっときつい事を言いますけど、ほとんどの男性達が女性達に対して思っている事かも知れないなと思うんですよね。
「甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれて支えてくれる、使い勝手の良過ぎる家事奴隷だし、ストレス発散の為のサンドバッグやネガティブのゴミ箱にもなってくれるし、トイレ代わりにもなって、俺の子どもを産んでくれて育ててもくれるし、俺の親兄弟や親戚の世話や、親の介護までしてくれるから、めっちゃ便利過ぎて手放せないけど、愛してはいないんだよね~!」
という事なのかも知れませんよね。
『条件付きの愛』って、よく言いますけど、これこそが、『好きだけど、愛してはいない』という事ですよね。
その『好き』という意味は、『俺のor私の役に立つなら』って事ですよね。
しかも、『俺のor私の役に立つなら愛してやる!』ではなくて、『一生、こき使ってやる!』ですからね。
どう考えても、そこに『愛』など微塵もありません。
やはり、この言葉にも、『本物の愛情とは、尊敬・尊重・感謝』という事が当てはまりますよね。
『綺麗な花が好きだから、その花を摘んで花瓶に入れて、部屋に置いて眺める』
という事は、その『綺麗な花の命を尊重していない』という事ですもんね。
それと同じく、
『自分の子どもやパートナーが大好きだから、相手の人生を潰してまでも、
ガンジガラメにして、奴隷・サンドバッグ扱いして、ストレス発散して、一生、こき使う』
という事は、『相手の身体も心も命も人生も、一切、尊重していない』という事ですよね。
そう言えば、かなり前に、ある保育園に、1か月間だけ臨時職員として行った事がありますけど、そこの女性の園長先生と、行き始めてすぐの頃、家族話をした事があったんですけど、和多志が、『実家の母親にガンジガラメにされて、幼少期から家事奴隷状態だったので、保育園や幼稚園には行っていない』みたいな話をしたら、その園長先生が、
「それだけ、あなたはお母様から愛されていたのね~!」
と満面の笑顔で言われて、ビックリした事があったんですよね。
でも、その臨時期間の1か月が終わる頃には、その言葉に納得したんですよね。
その園長先生は、実は支配的な人で、毎日、保育士さん達を怒鳴り散らしていて、それで、人間関係も色々と問題があり過ぎた上に、何しろ、その園長先生が和多志の母親と重なってしまって、恐くなってしまい、期間を延長しないかと言われたんですけど、丁寧にお断りしたんですよね。
なので、その時に、
「支配的な人って、『相手をガンジガラメに束縛して奴隷のようにこき使う事が愛情だ!』と大きな勘違いをしているのかも!」
と思ったんですよね。
支配的な人達の気持ちを考えると、多分に、
「普通は、こんなに執着しない!
ガンジガラメに束縛して、お前をこき使って、愛してやってるんだから、感謝しろ!」
という事なのかも知れないなと思ったんですよね。
つまりは、支配的な人達の中では、『愛情=束縛』であって、支配的な人達の辞書には、『相手を尊敬・尊重・感謝する』という言葉は無いんだろうと思います。
でも、和多志は思うんですよね。
自分自身が、誰からも『本物の愛情で愛された体験』が無いからこそ…、
『自分が自己犠牲してまでも、身心を壊す程に相手に尽くし続ける事』や、『相手を束縛し、その相手が自分の為に自己犠牲してまで、尽くし続けてくれる事』が『愛情だ!』と勘違いしているのではないかと。
『自分自身が誰かから本物の愛情で愛され、自分もその相手を愛した体験』があれば、自然と無意識に、その誰かと同じように、自分も、違う誰かをも『本物の愛情で愛する事が出来る』のではないかと思います。
やはり、全ての人間関係において、これはもちろん、『お互いに』ですが、『相手は自分を尊重しているか?』という事が、愛情溢れる人間関係を構築する際の『相手を取捨選択するキーワード』という事ですね。
今回もご視聴頂きまして、本当に有難うございました!
それでは、また!
こころきょうこでした!
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最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一、大好きです!大感謝です!
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それでは、また!