他者を介在させない自分である事こそが本質的な幸福!(動画と文字起こし)
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【今回、話題にしているツイート】(こちらから先にご覧下さい!)
<上のツイートに添付の、TV番組切り取り動画でのマツコさんの言葉>
「例えば、結婚、出産、お金、美…、色んな、こう、わかりやすい、これをしてるか、してないか、これがあるかないかっていうものってあるじゃん。
それを、手にしたかどうかっていうのが、幸せかどうかの判断になってるって、違うよねって思いながらも、それしかねぇ~んだよなって思うの。
要は、万人が共通認識出来る事って、それしかないじゃん。
それを、インスタで見せたりして、表層的ないいねを貰い、それで私は幸せだって思えているのって、悲しいよねって思う反面、わかりやすいよねって思うの。
それ位、自分が幸福かどうかっていうのは、実は他者にゆだねてる所がすごく大きい気がしていて、私は他者ってものを介在させない自分である事が、幸せに繋がると思っていて、それが、私が出来ているかどうかはわかんないけど、でも現に、こうやって、TVの前で皆さんに支えられて生きてるわけだから、そんな偉そうな事、言う資格は私には無いんだけど、でも究極、幸福って何だって言われたら、他者を介在させずに喜びを得る事。
もちろん、人間は生まれて来たら、他者と関わらざるを得ない生物で、他者を救う事によって救われる生物だし、他者との関係性を切る事なんて、絶対に出来ないんだけど、それは有難う、でも自分はこれ!他人に絶対介入させないで、他人と絶対比較しないで、というものを持ってる事が幸福な気がしています。」
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こんにちは!
こころきょうこです!
今回は、Twitterの、ある方のツイートで知った、タレントのマツコ・デラックスさんの言葉に心底共感したので、それをシェアしたいと思います。
そのツイートは、動画の下の説明欄にリンクを貼っておきますので、まずは、そのツイートに添付されている、テレビの切り取り動画をご覧下さい。
そのあとに、この動画を視聴された方が、わかりやすいかと思いますので、
必ず、また、こちらに戻って来て下さいね!
マツコ・デラックスさんは、若い女性に対して話されていたんですけど、女性だけではなく、男女共に言えるように変えて、和多志自身の言葉もつけ加えて、内容をまとめてお話してみますね。
私達は、どんなパートナーと恋愛しているか、結婚して家族を持っているか、どんな仕事をして稼ぐ事が出来ているか、裕福かどうか、見た目や生き方が美しいか、みたいな事が、『万人が共通認識出来る幸せの判断基準』であり、わかりやすい。
現代社会は、インスタなどのSNSが流行っているから、そういう自分の姿を発信して、いいね!を貰ったり、視聴数が上がったりする事で、自分が幸せかどうかを、自分以外の他者にゆだねているところが大きい。
でも、マツコさんは、
『他者を介在させない自分である事こそが、本質的な幸せに繋がる』
と思っていて、
「『究極、幸福とは何か?』と問われたら、『他者を介在させずに喜びを得る事だ!』と答える」との事。
だからと言って、孤独に生きるのではなくて、もちろん、人間は生まれて来たら、他者と関わらざるを得ない生物で、他者を救う事によって自分自身も救われる生物だし、他者との関係性を切る事なんて、絶対に出来ない。
でも、そういう人間関係の中で、お互いに助け守り支え合い、感謝し合いながらも、他者に絶対介入させない、他者と絶対比較しない、というもの、つまり、『自分軸』と『自分の人生』というものをしっかり持っている事こそが『本質的な幸福』だと思う。
という内容だと、和多志は受け取りました。
ここからは、和多志が思った事をお話したいと思います。
このマツコさんのお話に、和多志は、心底共感したんですよね。
和多志は、子ども時代に承認欲求が一切満たされない環境の中で育ったので、約50年近くも、
「誰でもいいから、和多志の命を認めて~!」
と心の中で叫びながら、家族はもちろん、周りの人達全員に、必死に尽くし続けて来たんですよね。
でも、今思えば、相手達は、『本当に愛情が欲しい相手』からは愛して貰えない、という愛情飢餓状態が酷過ぎて、和多志から尽くされる事で、
「自分は愛されている!」
という一時的な幸せを感じていたので、和多志を一生、自分に繋ぎ止めておく為に、常に、和多志にダメ出し・全否定し続ける事で、洗脳し続けていたんですよね。
和多志に対して、褒めたり感謝したりして認めると、和多志が安心して、
「自分から離れて行く!」
という危機感があったんだと思います。
なので、相手達は、和多志の全てに対して、必死にダメ出し・全否定し続け、和多志の方も、
『和多志がこの世に生まれて来た事=和多志の命を認めて欲しい!』
が為に、益々、必死に尽くすようになっていたんですよね。
すると、相手達からしたら、和多志が自己犠牲してまでも、必死に尽くす事が当然となってしまって、お互いに、どんどんエスカレートして行ったんです。
つまりは、
「私をor俺を、もっともっと幸せにしろ!」
「必死に尽くす和多志の命を認めて~!」
という『共依存状態』だったわけです。
和多志は、
「親や周りの人達に尽くし続け、役に立ち続ける事によって、命を認めて貰えないと、生きていてはいけない!」
と思い込んでいた、というか、『親からの躾と称する洗脳』によって、認知が酷く歪んでいたし…、
相手達は、
「本当に愛して欲しい相手から愛して貰えない可哀想な私をor俺を、
一生、最期まで幸せにし続けろ!」
と和多志に『自分の幸せを丸投げ』して、『自分の人生を背負わせていた』んですよね。
なので、今、多くの人達がSNSにハマっている状態がわかる気がするんです。
自分の事を発信して、いいね!を貰う事や、視聴数を上げる事で、自分を評価して貰って承認欲求が満たされているわけですからね。
で、その事に執着して躍起になっている感じがします。
そう言う和多志も、約50年近く、
「親がダメなら誰でもいいから、何しろ、和多志の命を認めて!」
という事だけで頭一杯だったわけですからね。
その為だけに、約50年近くも『自分の人生』ではなく、『家族や周りの人達を支える為の人生』を生きて来た感じです。
芸能人で、たまに、
「悪いコメントがあると気になって、毎日、エゴサーチしています!」
と言う人がいますよね?
和多志も、幼少期からずっと、
「和多志の命を認めて貰う為には、誰にも嫌われないようにしなきゃ!」
と思っていたので、常に、周りの人達の顔色ばかり伺って、ビクビクしていましたからね。
それだけ、『他者からの評価に振り回されている』という事ですよね。
まぁ、芸能人は世間の評価によって、仕事が貰えるかどうかがかかっているので、気になるのは仕方ありませんけどね。
でも結局は、芸能人も私達も、自分以外の他者に『自分の評価』をゆだねているわけです。
しかしながら、この事を冷静に考えてみると、『子ども時代の学校教育や家庭の躾けでの洗脳』だと、和多志は思うんですよね。
学歴社会の中での偏差値教育というか、答ありきで、教科書を丸暗記して、どれだけ暗記しているかのテストで、偏差値と頭の善し悪しを決められて、その偏差値にプラス、先生の評価によって、進学先の学校や就職先までも決められるわけですからね。
それに、家庭でも、親の言う事をちゃんと聞く、親孝行な人間になるようにと躾けられるし、兄弟やいとこ、友達とかと、勉強の成績や部活の結果、親の手伝いをしているかどうか?とかで比べられて、褒められたり叱られたりしていますよね?
更には、職場でも、営業成績とか、こなせる仕事の量とか、上から言われた通りに出来ているかどうかで、上司や社長に評価されて、それが出世や給料にも関わって来ますからね。
なので、『他者に評価される自分』という事に慣れてしまっているのは、当然の事なんですよね。
しかしながら、マツコさんは、性別は男性でも心は女性という事で、『万人が共通認識出来る幸せの判断基準』としての、『普通に恋愛・結婚をして家族を作る』という事がなかなか難しい、という事もあって、自然と、私達とは違う考え方にならざるを得なかったのかも知れませんよね。
それと、和多志も約50年近く、『他者に評価される自分』というか、
『他者に命を認めて貰えれば生きていてもいい。
認めて貰えなければ生きていてはいけない!』
という『歪み過ぎた認知』に執着し過ぎて、その事だけに躍起になって生きて来たんですけどね。
でも、様々な事を独学し続けて来て、やっと50代で洗脳を解いてから、『普通』とは言えない、ハッキリ言って『異常な家庭環境』の中で育ち生きて来た為に、『万人が共通認識出来る幸せの判断基準』としての…、『普通に、たくさんの友達を作り、大好きな相手と恋愛・結婚をして家族を作る』とか、『普通に、好きな仕事をして、経済的に安定した中で、流行りのファッションやグルメや旅行などを楽しみながら、家族に規制される事なく自由に楽しく、しっかりした自分軸で、自分の人生を生きる』という事が全く出来なかった事で、マツコさんが言われた『幸せの本質』が、わかった気がしたんですよね。
幼少期からずっと、身心ボロボロとなる程に、家族や周りの人達に必死に尽くし続けて来て、ギリギリまで無理と我慢と必死の努力をし続け、命の危険性まで出て来た為に、夫と離婚し、実家とも絶縁したからこそ、長年の根深い洗脳も解く事が出来たし、支配的な家族と離れる事が出来たお陰で、『幸せの本質』がわかったのだと思います。
何しろ、結婚はもちろん、様々な職場でも、全ての人間関係で、親子関係を再現してしまう、あるじと奴隷の主従関係になっていたので、とことん人間関係に疲れ果ててしまったんですよね。
幼少期から長年、家族から『人付き合い禁止』にされていたので、和多志からすると、『唯一の人間関係』だった家族と離れた結果、
「ひとりで居る事が1番幸せだ!」
と気付き、心底、実感してしまったわけです。
でも、そこまでに至るには、本当に色々ありましたけどね、でも結局は、
「そもそも、人それぞれ違うから、幸せの定義も、それぞれ違うわけだし、自分以外の他人に、『自分を評価され認めて貰いたい!』とか、『幸せにして貰いたい!』と願う事って、相当な無理がある!
自分の事を全て知っているのは、結局、世界で唯一、自分しかいない!
これまで散々、自他共に、自分を粗末にして来たけれど、これまで長年、家族や周りの人達に必死にして来た事を、これからは自分自身にしよう!
どんな自分でも、丸ごと受け入れ認め、誰よりも大切にして、楽しませて喜ばせて、毎日、満面の笑顔にして、宇宙一、幸せにしよう!」
と思うようになったわけです。
でも、ふと気付けば、それこそが『人間の基本』というか、『幸せの本質』だったんですよね。
そして、自分を自分で幸せに出来る人間同士が一緒に住んで、家族という、お互いの味方となり、お互いに尊敬尊重感謝し合い、助け守り支え合い、励まし合いながら、共に手を取り合って、困難を乗り越えながら幸せに生きて行くのが『本物の家族』なんですよね。
『他者からの承認や評価や言動に期待しない自分である事こそが、本質的な幸せ!』
つまり、
『自分自身がありのままの自分を丸ごと受け入れ認め、どんな小さな事でも自分を褒めて大切にし、自分で自分を楽しませ喜ばせる事が出来る、という事こそが、本質的な幸せである!』
という境地に至った、という事です。
実際、洗脳を解く前、ブログやTwitterをやっていた頃は、自分と似たような考えの人達からのコメントはすごく嬉しかったんですけど、ちょっと批判的だったり反対意見のコメントが来ると、すぐに落ち込んで病んでしまって、しばらく立ち直れなかったんですよね~。
でも、洗脳を解いて、今の境地に至ってからは、Twitterが凍結される前に、一時期、(Twitter言論統制の)工作員の人なのかどうかはわかりませんが、3人位から、めちゃくちゃ批判的で反対意見のコメントがしつこく来ていた事があったんですよね。
でも、その時は、
「あなたは、そう思うのね。
人それぞれ違うから仕方ないよね。」
と思いながら、しっかりと自分の意見を返信していたら、何度かのやり取りで、一切、返信が来なくなったんですよね。
で、和多志も、気にして落ち込む事も病む事も、一切、無くなりました。
これって、結局、『自分の人生に他者を介在させない』という事は、
『自分の人生に他者が土足で入り込む事や、自分を粗末に扱う事を受け入れない』
『他者からの承認や評価に振り回されない』
『他者と自分を比較しない』
『他者から見た自分として生きない』
『他者の為の人生を生きない』という事であり…、
つまりは、そもそも『人それぞれ違う』という事を頭にしっかり置いた上で、
「誰かに認めて欲しい!」
「評価して欲しい!」
とか、相手に対して、
「自分の思い通りに動いて欲しい!」
「自分の理想通りになって欲しい!」
「全て自分と同じ意見であって欲しい!」
「自分より劣っていて欲しい!」
とか、
「男らしく!女らしく!子どもらしく!親らしくして欲しい!」
「幸せにして欲しい!」
とかの、『他者への様々な期待を無くす』という事によって、『自分と他者を切り離す』というか、『きちんと自他の境界線を引く』事が出来るからこそ、『しっかりした自分軸』が持てるし、結果、人間関係の問題も悩みも苦しみも、ほとんど無くなるのだろうと思います。
今回もご視聴頂きまして、本当に有難うございました!
それでは、また! こころきょうこでした!
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今回は、和多志のネガティブ体験が入ってしまい、長くなってしまいました。
体験談は別にしようと思いながら、やはり難しいですね。
今後は、もっと簡単に、体験談を入れないようにして作成しようと思います。
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最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一、大好きです!大感謝です!
他のnote・動画もご覧頂ければ、めっちゃ嬉しいです!
それでは、また!
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