子はちゃんと反抗期を体験し、親から早く離れ『しっかりと自分の人生を生きる』事こそが、本当の意味での『親孝行』となる!
(20241226~28)
ネガティブ過ぎる『和多志の生き地獄人生の体験談』の続きですので、興味のある方のみ、お読み下さい。
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和多志の実家に行って声を掛けたけれど、兄の返答が無いからおかしいと、警察に通報して頂いた民生委員さんの情報を、警察から頂いて来たので、26日(木)の納骨が終わって帰宅したあと、落ち着いてから、まずはお礼をと思い電話したんですよね。
絶縁中の日頃の父親と兄の生活状況と、兄ひとりになった後の状況は、来年にでも伺って、ゆっくりお聞きしたいと思っていたんですが、民生委員さんも、通報後の事を心配されていたようで、これまでの状況も、具体的に色々と話し始められ、結局、30分程、お話を伺う事になりました。
伺ったお話の中で、心底、ビックリしたのは、ずっと『人付き合い禁止家庭』で、まだ母親が生存中で和多志も通っていた時は、それまで通り、常に家族3人だけで、特に、誰かが何かの集まりに行って楽しむというような事は、ほとんど無かったんですが、和多志が絶縁したあとは、父親は地域の高齢者の集まりとかに参加して、自転車にも95歳位まで乗っていて、
「少しでも社会貢献しないと!」
と言っていたとの事。
兄も、以前からやっていた、家の前の道路の落ち葉や、地域のゴミ置き場の掃除をボランティアでやったりして、2人共、近所の人達との挨拶も、常に笑顔で、かなり元気だったとの事。
しかしながら、父親が亡くなったあと、兄は急にガクッと来て、今年6月に体重が4キロ減った事で、民生委員さんと役所の公的な相談窓口にも行って、相談していたようなんですよね。
で、頻繁に、民生委員さんから声掛けをして頂いていたようで、前の週は、朝からの道路の落ち葉の掃除も数日やっていないようだし、声掛けをしても返事がない為、近所の人達と数人で声掛けしたけれど応答なく、嫌な気がして、12/20(金)の夕方に通報したとの事。
それから、救急車と警察が来て、現場を確認し、事件性もないようだし、既に亡くなっていたという事で、全ての調査が済んでから、警察から、うちに電話があったので、夜8時過ぎの連絡となったようなんですよね。
和多志が、幼少期からずっと、3人のストレス発散のマトにされ、奴隷・サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱扱いされ続けていて、母親と兄から辛辣な言葉を言われ、身を引くしか無く疎遠から絶縁状態になった為、今回のような事になったとお話したら…、
「2人共、いつも満面の笑みで本当に良い人だった!
とても、そういう感じには見えなかった!」
との事。
和多志は、それを聞いて、
「外面と同じように、和多志にも満面の笑みで対応して欲しかった…。
元夫も、職場では常に満面の笑顔で、真面目で好青年だったけれど、帰宅後は、そのストレスを発散する為に、玄関からバッグを投げ、暴れまくっていたからなぁ…。」
と心で思いました。
これは、もちろん、母親にも言える事です。
そう言えば、兄が毎朝、地域のゴミ置き場の掃除をボランティアでやっていて、分別していない袋を開けて、分別していたのを見て、
「ゴミを漁っているように見えて恥ずかしいから、やめなさい!」
と母親が言っていましたが、母親としては、
「そんな恥ずかしい事をするより前に、自分の部屋を片付けなさい!」
という事を言いたかったのかも知れません。
父親の方も、
「『社会貢献』も立派だけれど、それより何より、自分の息子と娘のありのままを承認して、褒めたり感謝する事が先では?」
と、電話で状況を聞きながら、和多志は心で思いました。
何故、自分の事をほったらかして、外の事ばかり気にするのでしょうか?
そう言う和多志自身も、長年そうだったので、独学をし続けて学び気付けた事で、考え方と言動を、意識的に変えたんですよね。
まずは、自分の事をやって、自分を満足・納得させてから、心の余裕が出てから外の事をやる。
でないと、自分の事が後回しになって、結局は、その分、ほったらかしにしていた自分の事で、誰かに迷惑をかける事になってしまいますからね。
実際、兄も和多志も、『親を支える為の人生』で、『自分の人生』をしっかり生きる事が出来ず、共に、友達も作らず、もちろん恋愛もした事がなく、『本当に大好きな相手との自分の大切な家族を作る』という事も出来ませんでした。
なので、実際は兄が先で、和多志には娘が居たので、どうにか手続き関連もやる予定なので、無縁仏になる事はありませんでしたが、和多志が先だったとして、和多志も独身だったならば、兄ひとりに後始末をして貰い負担をかけ、ひとりになった兄の死去後は、兄は無縁仏になっていた事でしょう。
和多志も娘がおらず独身だったならば、お互いに、支え合えるパートナーや家族が居なかった事で、結局は、お互いに迷惑を掛ける事になってしまっていたと言えますからね。
やはり、『自分の人生の責任は自分にしか取れない』ので、『自分の人生をしっかり生きる事が最重要だった』という事です。
和多志も、長年、兄と父親のように、外ばかり、家族や他人の事ばかり気になって、自分の事はほったらかしで、やっと50代後半位で、
『人それぞれ、まずは、自分自身の事をちゃんと責任持ってやってから、余裕が出来た時に、外のボランティアや社会貢献をする事が、自他共に無理なく、幸せになれる生き方だ!』
と気づけましたからね。
しかしながら、今思えば、私達家族は皆、『愛情飢餓』で、無意識な『満たされない承認欲求』が根強くあったのだろうと思います。
もちろん、和多志もでしたから、『命の承認欲求』の為だけに、自分の人生ほったらかしで、自ら奴隷となり、家族や周りの他人達の世話を必死にしていたわけですからね。
電話が終わり、そんな事を考えていた時、ふと思った事がありました。
母親がいた時は、地域の人達との交流も無かったようなので、
「絶縁後、ずっと気にはなっていたけれど、『男2人だけの変わり映えのしない暗い毎日』じゃなくて、父親は、地域の集まりに行って、楽しく余生を過ごせたようで、本当に良かった!」
と思いましたが、『外では、父親が満面の笑顔で楽しそうにしていた』との民生委員さんのお話を思い出し、心がザワザワし、だんだん腹が立って来たんですよね。
「父親自身が『人間不信』で『家族皆、人付き合い禁止』にして、妻子の友達関係を切り離し、『孤独』にしておいて、父親本人は、年を取ってから地域の人達と仲良くやってるって、一体、どういう事?」
と思ったんですよね。
でも、わかります、その気持ち。
和多志自身も、実家と婚家の洗脳によって、そして、人間関係に弱過ぎる事もあって、ずっと『人との深い付き合いを避ける』生き方をして来て、50代で洗脳を解き、色んなカラクリがわかって以降は、『人間関係は必要不可欠であり、取捨選択こそが大事だ!』と気づき、友達を作りたいと真剣に思うようになったからです。
父親も、和多志のように独学ではないにしろ、多分に、娘の和多志が絶縁した事で、『ストレス発散する相手』が居なくなり、自然と誰かと話をしたいが為に、地域の集まりに出るようになり、出てみたら楽しかった為に、和多志と同じく、友達を作りたいと思うようになったのだろうと想像します。
だからこそ、父親は、
「若い頃に、散々、人から騙されたから、もう一生、人付き合いなんかしない!」
ではなくて、以降は、『相手をよく取捨選択して付き合う』という考えに変えなければならなかったわけで。
その事が当時は、まだわからなくても、父親ひとりが『人付き合いしない主義』で、妻子には何も言わず自由にさせ、それで年取ってから、『やはり人間関係が必要だった!』と気付いて変わったならば、それでいいと思いますけどね。
父親が妻子にまで『人付き合い禁止』を命令した事で、社交的だった母親は、たくさんの友達を失い、兄と和多志は、子ども時代に友達関係で『人間関係の術の土台を体得していない』ので、大人になってから作ろうと思っても、人間関係がかなり難しく、とうとう友達を作る事も難しく、もちろん恋愛さえもした事がなく、兄は独身のまま亡くなり、和多志は、突然無理やりDV・モラハラ元夫に巻き込まれ、結婚し子も授かりましたが、普通の結婚ではなく苦しみ続け、離婚後は、『人間不信』の上に、更に『男性恐怖』も重なり、ずっと『孤独』で居続けて来たわけですからね。
今更、言っても、どうしようもありませんけどね。
これ、コロナ注射の問題と同じですよね?
上が、「打て打て!」と言うから、信じて打ったら、病気したり亡くなったりしたけれど、「打て打て!」と言った上の人達は、実は誰も打っていなかった!
なので、親と言えども、人間、『間違いのない完璧な人』など居ないので、
『自分以外の他人の意見は、鵜呑みにして、その通りにしてはいけない!』
という事ですよね。
親を一心に信じ、従い続け、『一生を孤独に生きた子の負け』です!
上を一心に信じ、従い続け、『病んだり亡くなった人の負け』なんですよ!
やはり、和多志の実家が『機能不全家庭』だった根本原因は、父親の『家族全員、人付き合い禁止』という生き方の間違い+『浮気問題』だったという事だと思います。
もしかしたら父親も、愛着障害が酷く、孤独な自分から妻子が離れないようにと、「家族以外の他人と関わるな!」と言って、『家族を自分に縛り付けていた』という事もあるのかも知れません。
『家族への執着』ですね。
そういう事を考えていて、しばらくして、更に気付きました!
人間関係は、『どちらか片方だけが悪い!誰かひとりだけが悪い!』という事は絶対にありません。
もちろん、父親が支配的で、生き方が間違っていた事と、浮気して夫婦仲が更に悪くなった事で、そのしわ寄せが兄と和多志に来た事は確かです。
しかしながら、兄と和多志が『異常に従順過ぎて親孝行過ぎた』という事で、『親と子の支配主従関係が成立し過ぎ』て、それが長引き、どんどん親が怠惰で傲慢になって行き、兄と和多志は『生きる安心感が無い』まま、『生きづらさ』を抱え込み、どんどん『孤独』に病んで行き(親が子の味方ではないから)、結局、『親の為の人生』となり、『兄や和多志自身の人生』が無くなってしまった…という事なんですよね。
何故、そうなってしまったのか?
そもそも、人は、生後最初の人間関係である親子関係によって、『生きる安心感』があり=親という、常に助け守り支え大切に育ててくれる『味方』が居て、『心がしっかり満たされている』と、『自分大好き!』になり、『自分を信じる事が出来る』から、『人に期待や執着しない』し、『自分で自分を幸せにしようと自分を大切に出来る』んですよね。
でも、親から、ありのままを認められず育ち、『生きる安心感』がなく、『心が満たされず、心の穴がポッカリ開いている』と、
「誰かに認めて欲しい!」
と無意識に『人に期待し執着し』支配的になったり、奴隷に成り下がったりして、『親子関係で本物の愛を体得していない』から、相手を見る目も無く、無意識に親と同じように、『一生、自分を認めてくれない相手』に尽くし続けたり、『愛着障害の男性』に多いと思いますが、
「自分を丸ごと受け入れてくれそうな『母親代わりの女性』ならば、誰でもいい!」
と、好きでもない相手を無理やり巻き込み支配し、『執着して奴隷扱い』するようになる。
なので、『支配主従関係』は、『お互いに心に穴が開いている者同士が引き寄せ合い、問題が起きて長引く』んですよね。
和多志は、娘を見ていて気付けたんです。
兄も和多志も、親が怖過ぎて、反抗期など一切なく、ずっと親に従順でしたが、和多志の娘は、意識的に、ありのままを尊重し自由にさせて育てた為、小学校高学年から反抗期となり、かなり反発し続け、横道それ放題となり、とうとう10代後半には、和多志の元から居なくなったんですよね。
和多志は最初は、娘から散々嘘をつかれ騙されたり、
「親なんて、チョロいもんよ!」
と友達に電話で言っていた事に、かなり怒っていましたが、『娘を恨む』とかはなくて、
「最初から、和多志の結婚が間違ってたから、娘がこうなったんだ!」
と『自分責め』し続けたんですよね。
離婚時、赤子だった娘は唯一、和多志の方に残ってくれたので、必死に育てて来ましたし、和多志は『娘から生きる気力を貰った』と、常に心では感謝していて、心底、大切に思っていましたが、
「和多志も、反抗期が酷過ぎる娘に対し、実家の親のようになっていたから嫌われたんだ!
もう『和多志には娘は居なかった』と思わないと!」
と思って諦めたんですよね。
ずっと、『諦める』事だけは得意なので。笑
なので、
「ひとりで最期まで生きなきゃ!
どうせ、元夫に突然無理やりで巻き込まれなかったならば、母親の洗脳で、一生、独身だったと思うし…。」
と思って生きていたんですよね。
以前の記事に貼っていた動画の『自灯明の教え』のように、和多志が『娘への執着を手放した』からこそ、娘が20代の頃は、連絡も会う事も、年1~2回ほどだったんですが、30代になり、だんだんと親子関係が良くなって来て、今年の春頃からは、和多志も『娘に頼る事』がやっと出来るようになり、色々と助けて貰えるようになったんですよね。
親が『子への執着』を捨てて、『自分で自分を幸せにする』ようになれば、『子との関係も自然と良くなる』…という事。
和多志は、『自灯明の教え』を自然と実践していました。
しかしながら、兄と和多志は、『親が子への執着を手放せる』ように、『親に反発する』という事が、親が怖過ぎた為に、一切、出来なかったわけです。
子が反発して親を捨てて出て行けば、親は諦めて、自分達夫婦で、どうにかしないといけなくなる。
そこで、『諦めの境地』になり、『両親自身の魂=意識の成長』もあるわけです。
子の方も、『親の人生を背負って、自分の人生を生きれない!』という事も無くなり、『お互いに幸せ』になれる。
普通に『愛情深い両親』の元で育った人は、ありのままを丸ごと受け入れられ認められ尊重され大切にされて育ち、心が満たされているし、そもそも、親は『子に執着しない』し、子も、『親からの愛情で満たされている』から、『他の誰にも執着する必要性が無い』=『ありのまま自由で幸せ』なんですよ。
結局、毒親育ちの兄と和多志は、必死にもがき苦しみながら、『余計に自分が苦しくなる生き方』をして来たという事です。
『無意識な承認欲求の為』だけに。
実際、和多志の娘は、家に居た時、家事など一切しなかったし、小学校高学年から反発して、反抗期が凄かったし、和多志を振り回し、学校とか色んなところから呼び出されまくって、実家との事も重なり、仕事どころではなくなり、身心を壊して退職したりして、それで生活費の借金を作り、自己破産まで追い込まれた事もあり、50代までかかって完済したけれど、今思えば、全部、和多志が『娘への執着を手放すように起きていた』と言えると思います。
今では、それで多々学べ気付けたし、『和多志自身が、いかに親を甘やかし過ぎたか』に気付く事も出来たので、娘には心底感謝してるんですよね。
特に親の為に何もしないで、逆に振り回していた娘は親から感謝されて、幼少期からずっと親孝行し続けて来た和多志は、両親からも兄からも、散々、文句言われ続け、とうとう認めて貰えなかったという事は、そういう事だったんですよね。
もう、『全身脱力感』が半端ないです。
兄も和多志も、親の機嫌を良くして、楽で幸せにして、『自分を認めて欲しい!』と一心に願い、長年、親孝行し続け頑張り続けて来た事こそが、逆に、親を怠惰で傲慢にし、文句ばかり言うような堕落した親に、兄と和多志がしてしまったわけですからね。
必死にやり続けて来た事が、実は『自分達の首を絞めていた』というわけです。
結論としては…、
人間は、『自分の心が温まる、本当に大好きな相手』には、自然と優しくして、『自分を傷付ける、本当は嫌いな相手』からは離れるようにしないといけない。(普通に育った人からしたら、当然の事でしょうけどね。)
そして、皆、ありのままで、それぞれが自分の気持ちと自分の人生を1番に大切にして、自分が本当に大好きな相手だけに、出来る範囲での優しさで接すればいいという事。
娘が和多志の元から離れて行ったのは、和多志が実家の親のように、きつく言っていて、居辛くなった事もあるかも知れませんが、娘自身の意思で和多志の元から離れて行ったのは正解だったと思います。
実家の話に戻ると、和多志の母親も、たくさん友達が居たならば、兄と和多志に執着しないで良かったし、複数の宗教に入信して騙されて借金を背負わされ、その時に家族全員の預金が無くなりスッカラカンになる事もなかっただろうし、兄と和多志も、たくさんの友達が居たならば、親から早くに離れる事も出来て、しっかりと『自分の人生』を生きる事も出来て、ちゃんと恋愛も出来て、『自分の大切な家族を作る』事も出来ただろうと思います。
やはり、和多志の実家の問題の原因は、父親の『人付き合い禁止』の生き方が間違っていた事と『浮気』した事、兄と和多志が『異常に従順過ぎて親孝行過ぎて、反抗期が無かった為に、親が兄と和多志に執着し続けた』という事だと思います。
両親と兄が亡くなってしまった今、思う事は、どうせ最期まで、『兄と和多志の命を認めて貰えなかった』のだから、反抗期に普通に親に反抗して、親から早く離れれば良かったんですよね。
子は親から『ありのままをしっかり承認され、大切にされて育つ』と、自然と心が満たされ、『安心して羽ばたいて行ける=家を出て行ける』んですよね。
でも、認めて貰えないと、『満たされない承認欲求』で、
「親から認めて欲しい!親がダメなら、誰でもいいから認めて~!」
と『人に執着する』ようになる。
だから、『親から認めて貰えない子』は、なかなか親から離れられない=『自立』が出来ず、最悪は『引きこもり』になってしまったり、『自立』したとしても、『親との関係性』が強過ぎて『共依存状態』となり、和多志のように『頻繁に親元に通い続ける』事になる。
で、『親元から羽ばたいた子』は、しっかり『自分の人生』を生きて、『幸せを掴む』事が出来るから、高齢になった親の老後の面倒も、『心の余裕がある』からこそ、しっかり出来る。
ても、『一切、心が満たされなくて親元に居続けた子』は、『親に執着』している為に、『自分の人生』を生きれず、『苦しみしかなくて不幸』だし、散々、それまでも親の世話をし続けているから、高齢になった親の老後の面倒まで見る余裕なんて無くなってしまう。(孤独な老老介護となる為。)
だからこそ、親は、しっかり子を認め尊重し大切に育て自由に羽ばたかせた方が、その時は寂しくなるけれど、子を諦めて、しっかり自分で自分を大切にして生きていれば、子も、しっかり『自分の人生を生きる』事が出来て満足だし、「親も大変だっただろうな」という事もわかり、
「自分を尊重して自由にさせてくれて、自分の人生をしっかり生きる事が出来ているから、そう育ててくれた親の老後の面倒を見たい!」
となるのだろうと思います。
『しなければならない!』ではなく、『したい!』なんですよね。
『愛さなければならない!』ではなくて、『愛したい!』
『親孝行しなければならない!』ではなくて、『親孝行したい!』なんですよ。
『したい!』となるのは、自分が『満足』している時。
『しなければならない!』は、『心の穴を埋めたい』が為に、『仕方なく相手に期待してやっている』という事なんですよね。
同じ、『愛する』、『親孝行』の行動でも、『気持ち』が全く違う=真逆なんです。
『愛着障害』の人は、『しなければならない!』で生きているし、『親や家族の愛に満たされてる人』は、『したい!』なんですよね。
だから、和多志の娘は、思い切り『したい!』で生きる事が出来ているんです。
和多志は未だに、『しなければならない!』に追われまくって生きていますから、何しろ『しなければならない!』を早く片付けてしまって、『したい!』の生き方にシフトしたいと思っています。
これを読まれている若い方々は、ちゃんと親に反抗して、しばらく親と離れてみましょう!
そうする事で、お互いに諦めが出て、『相手への執着』が無くなり、心が自由になり、お互いに『自分の人生を自分で責任を持って幸せにして生きる』事が出来るようになり、それによって、『相手への感謝』も自然と湧き上がるので、『一生、親子関係が健やかで楽しく幸せ』なものになりますよ!
『共依存』と『執着』は、親子関係をいびつなものにし、『お互いに最期まで苦しみ続ける事になるだけ』ですから、今すぐ、関係性を見直しましょう!
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長過ぎる駄文を最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一大好きです!大感謝です!
1日も早く、世界中の人々が健康で豊かで愛情溢れる平和で穏やかな日々を、幸せに過ごす事が出来る『黄金時代』になりますように!
それでは、また!