本当の意味での『優しさ・愛情』とは?人間関係の『本当の意味』とは?
(20240730・0830~31 15:08修正あり)
20代から様々な事を独学し続けて来て、今、思う事は、
「和多志は親を助けたいと思い、問題のある親を、わざと選んで生まれて来たのかも…。」
という事。
しかしながら、和多志は、幼少期から毎日、家事をして、中学生からは父親の仕事(内職や請負の事務)を手伝いながら、今思えば、『人間不信が酷過ぎて人付き合いをしない』両親から『家事奴隷・サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱扱い』されながら、それを全て我慢し受け入れ続け、自分で出来る以上の事を必死にやり続けて来たけれど、とうとう、本当の意味で『助ける』という事は出来なかった。
和多志の『自己犠牲をしてまでの家族孝行』は、単に、親兄弟を、必死に助け守り支え続けた事で、『散々、甘やかしただけで、怠惰で傲慢にしただけ』だった。
親からガンジガラメにされ、何も知らずに育った為に、20代から様々な事を独学し続けて来て今思う事は、和多志が、普通にありのまま自分軸で、しっかりと自分の気持ちや意見を言えば、親も様々な事に気付け、『親育ち』出来たのかも知れない…という事。
しかしながら、『人間関係は、どちらか片方だけが悪い!』という事は、決してない。
『和多志が、何故、娘から多々学び気付かせて貰えたのか?』と言えば、和多志自身に『子どもから学ぶ姿勢があった』から。
つまりは、『最初から、子どもをひとりの人間として尊重していた』からだ。
「親は、体験や知識が多い分、子どもよりも絶対的に偉い!」
「子どもは未熟だ!」
と思い込み、『親が子どもを下に見ている』と、一生、子どもから学ぶ事は出来ない。
実家も婚家も、そういう両親だった。
子に対し、確実に『下』に見ていた。
『子から学ぶ姿勢』など皆無だった。
それを証明する体験がある。
和多志の母親が、たまに兄と和多志に言っていた言葉だ。
「お前達は、どれだけ年を取ろうが、私達が生きている間は、私達からしたら子どもなんだから、この事をしっかり覚えておけ!」
つまりは、
『親が寿命を迎えるまで(この世に居る間)は、どれだけ子が年を取ろうが、親より上の立場になる事は絶対に無いんだから、最期まで、子は親に従え!』
という意味だったと思う。
なので、両家の親が、『子の問題』から学べなかったのは、和多志だけのせいではなかった。
『親自身の姿勢の問題』もあったというか、それが1番だと思う。
そもそも、自分の気持ちさえ、誰にも言えないように抑え込んで育て、『人間関係は一方通行の主従関係が当然だ!』と、兄と和多志に死つけたのは、親だった。
だから、和多志は本当の意味で『親孝行』出来なかった。
和多志の娘はといえば…、
和多志自身が、娘を自由にさせ過ぎたのかも知れないが、娘に家事などを押し付ける事が無かった為に、娘は母子家庭時代も一切、自分から家事を手伝う事などなかったし、毎日、やりたい事をやり続け遊びまくっていて、必死に残業をして夜中に帰宅していた和多志よりも帰宅が遅く、学校や色んなところから電話で呼び出され続け、和多志は仕事どころではない状態となり、娘を心配し、振り回され続けた。
娘が小学校高学年から中学生時代の時期、いつも通り、全てを背負い込み、ひとりで必死に頑張り続けていた和多志は、実家と娘に振り回され続け、身心共に病んで仕事が出来なくなり、頼れる人が誰も居なかった和多志は、クレジット会社のキャッシングに頼り続け、『生活費の借金』を背負い込んだ体験がある。
借金についても、ずっと、ひとりで悩み苦しみ続け、ネットで調べまくりながら、複数のクレジット会社とやり取りをして、自分で過払い金請求をして、毎月の返済額を減らして貰ったりして、その分、支払いが長期化して、やっと50代半ばで完済する事が出来た時には、ホッとしたというより、全身脱力して、その場にへたり込んでしまった事を覚えている。
しかしながら、娘の『ありのままの言動』から、和多志は多くの事を学ばせて頂いた。
だから、表面だけ見たら、娘は、かなりの『親不孝者』だけれど、内面的には、『親の和多志の魂をかなり磨いてくれた親孝行な娘』なのだ。
なので、やはり、『人間関係はお互いに学び合い、魂磨きをする為に出会っている』のだから、『お互いにありのまま言動する事が重要!』だと、今更、遅過ぎるが、心底思う。
家族や他人達に対し、身心を病むほどまでに、どれだけ気をすり減らしても、『お互いの為にならない』し、『お互いにとって悪い結末』にしかならないと、和多志自身の『家族に味方の居ない孤独な生き地獄人生体験』から思う。
何故、私達人間には、『様々な出会い・縁』があるのか?
これは、『血の繋がった家族』も含め、全てが人間関係であり、その『出会い・縁』には、『お互いが、その関係性によって学び合い、お互いの魂を磨き合う』という『必要性があるからこそ、出会っている』と言える。
この事から考えると、『お互いの魂磨きの為に出会い・縁がある』のならば、逆に、『その関係性でのお互いの魂磨きが済んだならば、その関係性には、確実に終わりが来て離れる事になる』とも言える。
なので、『婚姻制度により、どんなに仲が悪くなったとしても、一生、我慢して夫婦で居続けなければならない』、『血の繋がりがある親子兄弟だから、一生、繋がり続ける必要性がある』という認識は間違っているのかも知れないと、何年か前から思うようになった。
和多志の父親は、和多志が幼い頃に浮気したらしく、母親に、
「結婚したい女が居るから、離婚してくれ!
子どもは2人共(兄と和多志)やるから!」
と言い、それで母親はブチ切れて、相手の女性のところに行き、無理やり別れさせたら、その女性は半年後に別の男性と結婚し、父親は逆ギレして、それまでより以上に、母親に対して怒鳴り粗末に扱うようになった。
これまでの『社会の一般常識』から考えれば、『結婚しているのに浮気した父親が全面的に悪い』と言えるが、これをスピリチュアル的に考えると、
〇そもそも両親は、生前、聞かされた話によると、お互いに『初めて恋愛し付き合った相手』だったようで、もしかしたら、お互いに『本物の相手』ではないのに『間違って結婚』し、お互いに、他に『本物の相手』が居たのかも知れず、離婚していたならば、お互いに『本物の相手』と出会い結婚し、『本物の幸せ』を体験出来ていて、『夫婦間のストレスを兄と和多志に発散し、子達の身心や人生を犠牲にする』という事をしなくて良かったのかも知れない。
〇父親は、『母親との関係性での魂磨き』が済んで、『次の魂磨きの相手が、浮気相手の女性だった』のかも知れないし、これは母親にも言えたのかも知れない。
という事も考えられる。
しかしながら、この『狂い切った社会』では、母親の時代、女性が働き、女性の給料だけで母子家庭の親子が食べて生きて行く事は、相当、難しい事だった。
そもそも、仕事に苦労していてド貧乏だった父親が、離婚後、慰謝料や養育費を払えるわけもなかったし、母親自身も、
「結婚するまで実家に居て、自分の事しか頭になく、家事や親孝行など、ほとんどした事がなかった!」
と言っていたので、ひとり暮らしの経験もなく、結婚後は父親の収入が低過ぎて、様々なパートをやらないと生活出来なかったので、家事もしっかりやりながら、必死に父親を支えてはいたけれど、離婚し母子家庭になって、自分ひとりで働いて、子ども達を育てて行く自信など、一切無かった。
だからこそ、浮気相手の女性のところに乗り込み、無理やり別れさせたのだ。
しかしながら、離婚しなかった事が、お互いにとって、正しかったのか間違っていたのかは、誰にもわからない。
子の和多志からしても、もし、両親が離婚して、お互いに違う相手(本物の相手)と再婚し、幸せになっていたならば、兄と和多志は、心が満たされている親から尊重されて育つ事が出来て、こんな生き地獄人生にならなかったのかも知れないと思う事もあるし、離婚後、母親=女ひとりの低過ぎる収入では、余計に経済的に超~ド貧乏になって、余計に兄と和多志にストレス発散する事がエスカレートして、『生き地獄人生』どころか、兄も和多志も短命になっていたかも知れない…などと考えると、結局は、両親の夫婦仲が悪いのに、無理やり一緒に居続け、『兄と和多志に、夫婦間のストレスを発散しながら生きる事が、両親にとってはベストだったのかも知れない…』などとも考えたりする。
まぁ、もう終わった過去の事だし、両親の事なので、どれだけ考えても、もうどうしようもない事だが…。
しかしながら、『兄と和多志の人生が親の為の人生だった』というか、『親に潰されてしまった』というか、『ありのままの自分自身の人生を生きる事が出来なかった』事の大元の原因は、約50年近くは、『根深い洗脳』によって、『和多志が生まれて来た事が全ての問題の原因』だと思い込まされていたが、長年の独学のお陰で、根深い洗脳を50代で解き、やっと『両親の夫婦仲の悪さが、和多志の酷い生き辛さと生き地獄人生の大元の原因だった』という事が、寿命までにわかったので、それだけは幸いだったと思う。
もし、兄のように、未だに一切、気付いていなければ、兄は、両親と一緒に暮らし続けたせいで、両親が憑依したかのように、親の思考がしっかり身に付き、
「妹が、うちの疫病神で、両親と俺を振り回し続けたからこそ、俺達がストレスで病気をし続け苦しみ続け、親も、もっと長生き出来るはずだったのに亡くなった!」
と、和多志に全責任転嫁して、自分達の和多志への言動を一切、省みる事なく寿命を迎えるように、和多志は幼少期から、『親からの根深い洗脳』によって、『夫婦仲の悪い機能不全家庭』だった実家の『スケープゴート』にされ、『超~他人軸で自己犠牲・自責思考の奴隷マインド』に育てられたので、『自分責め』が酷過ぎて、未だに『自分責め』し続け、もしかしたら、早くに命が亡くなっていたかも知れないと思う。
それは、子ども時代から『生き辛さ』が半端なくて、常に『自4』を考え続け、何度も試したが、どうしても出来ず、突然無理やりで巻き込まれ、毎日、夫のDV・モラハラで苦しみ続けた『生き地獄結婚中』は、
「和多志の命は、30代まで持つのだろうか?」
と思いながら、全てを我慢し耐え続けていたし、離婚後、ワンオペで必死に育て、離れた事が無かった上の子達と無理やり引き離されてからも、何をしていても寝ていても24時間、涙が止まらず、本気で何度も『自4』を考え試した事があり、それでも、赤子の末娘が手元に残っていたので、
「この子が学校を卒業して仕事に就いて、ひとりで生きて行く事が出来るようになったら、和多志の役目は終わりだから、その時、やっと実行出来る!」
と思いながら、『誰にも頼れない、孤独でどん底の母子家庭生活』を過ごしていたからだ。
なので、今、既に60を過ぎているが、ここまで命があった事が、本当に信じられず、『今、生きている事は奇跡だ!』と思える。
「30代で命が無いと思っていたのに、ここまで命があった事は、大宇宙が守り続けて下さったからで、和多志には、『やるべき使命がある』からこそ、今、命があるのだ!」
と、いつも思い、毎日、大宇宙に感謝している。
また、いつものように、話が色んな方向に行っているが、何が言いたいかというと、
『人間は、どんな人生であろうが、自分の人生を全て納得して寿命を迎える事が出来るように、最期まで、様々な人間関係の中で学び続け、魂磨きをする必要性がある!』
という事だ。
でないと、和多志の母親のように、最期まで、
「割り切れない!」
と言いながら、自分の人生に納得出来ず、自分自身の『間違っていた生き方』の反省をする事もなく、家族の中で1番弱い立場の和多志に全責任転嫁して、最期までストレス発散し続けて、『悲惨な4に方』をして寿命を迎える事になるのだと思う。
去年、残っていた父親も亡くなり、実家で兄はひとりになった。
なので、兄は、絶縁の切っ掛けとなった、和多志に対して自分が言い放った言葉も忘れて…というか、忘れた振りをして、何事も無かったかのように、
「俺は、お前と絶縁した覚えはない!
両親共に亡くなり、お互いに年を取って、もう家族は俺とお前しかいない!
俺達も、亡くなる前には、必ず病院に入院したりしてお世話になるから、お互いに保証人になり助け合う為に、元の状態に戻ろう!」
みたいに手紙に書いてあった。
似たような体験が過去にもあった。
DV・モラハラ・サイコパス人格夫に対し、とうとう命が惜しくなり、離婚を申し入れた時の体験だ。
夫は、すぐに、それまでずっと一切関わらなかった、なついていない子ども達に対し、お菓子やおもちゃなどで釣って、上の子達を連れて出て行った。
今思えば、子ども達は、和多志が離婚せず元に戻るようにと、『人質』にされたのだろうと思う。
その後、両家を集めて(とは言え、夫側は実家と全親戚一同、和多志の方は母親ひとりだったが)、離婚の話し合いがあった。
その時も、和多志が離婚を申し入れたにも関わらず、知らぬ間に逆転していて、
「妻としてのお前の夫の支え方が悪かったから、俺が仕事を辞めたり、浮気したりしたんだ!」
「お前は、妻としても、嫁としても、母親としても大失格だ!」
と、三行半を出されたように、『和多志ひとりが全部悪い!』という事にされた。
そして、その後、子ども達の親権の件で、なかなか離婚届が出せなかった間、夫は上の子を何度か連れて来ては、
「お前が謝れば、全て許してやって、子ども達を連れて帰って来てやってもいいんだぞ!」
と言い続けたのだ。
実家でも婚家でも、『全部、お前ひとりが悪い!』と全責任転嫁されていた。
義母からも言われた。
「最初から、息子の性格をわかっていて結婚したんだろうが!
なのに、今更、離婚だなんて無責任だ!
こうなるなら、何故、勝手にポンポン、子どもを産んだんだ!
男は仕方ないんだから、女が黙って始末するのが当然だろ!
私なんか、お父さんに黙って何人おろしたか、覚えていないよ!
元のサヤに収まって続けるにしろ、別れるにしろ、どちらにしろ、子ども達の事から何から全て、今まで通り、あなたひとりが我慢すれば、全てが丸く収まるんだから!」
と。
今思えば、実家でも婚家でも、更に、離婚後の様々な職場でも、和多志は、そういう扱いというか、『全責任転嫁され責められ、責任を取らされる役割』にされて来た。
約50年近くの根深い洗脳中は、和多志自身も『超~他人軸で自己犠牲・自責思考のマインド』だった為に、それをまともに受け入れ続け、『自分責め』までし続けて、そのお陰で身心共に病み続け、病院通いし続けていた。
しかしながら、やっと50代で自力で根深い洗脳を解いてからは、長年の独学によって『視座を高める』事で、冷静に判断出来るようになった。
そのお陰で、また兄が、両親や、これまでと同じような事を和多志にしようとしていると、すぐに気付き、和多志自身も、
「毒夫・毒婚家と離婚して離れ、毒実家と絶縁し、両家と離れた事によって、長年の苦しさから、やっと解放されて、身心共に、本当に穏やかになれたのに、また前の状態に戻りたくはない!」
と思い、長年、抑え込まれ続けて来て、一切、言えなかった和多志の正直な気持ちを手紙に長々と書いて、『このまま絶縁状態を続ける』というか、『お互いに尊重し合って、どちらが先に寿命を迎えようが、もう一切関わらない』という事を書いて送り、改めて心がスッキリした。
と言うのも、兄との間にも、これまで多々あったからだ。
〇幼かった和多志の耳元で、兄は、
「家族関係、人間関係は、誰かひとりが我慢しないと、うまく行かないんだから、わかったな!」
と言い聞かせ、『常に和多志ひとりが我慢するように洗脳』した。
〇和多志が中学生時代には、8歳上の兄が家を建てるという事になり、兄が間取りを考えていた時、和多志の部屋を聞くと、
「お前は女だから、どうせ結婚して家を出るから、お前の部屋なんて無い!
出て行くまでは、ここの3畳の物置部屋でいいだろ!」
と言って、和多志の部屋は無かった。
〇子ども時代に何度も、兄は和多志に、
「俺は長男だから、ただでさえ両親が居るのに、小姑のお前まで家に居たら、余計に嫁の来てが無い!
お前は早く、この家を出て行け!」
と言い聞かせていたし、兄がずっと独身なのは、『親の間違った死つけ』が原因で、兄も和多志も人が怖くなっているから友達すら作れないのに、
「お前が俺達をずっと振り回しているし、そもそも、お前が両親を捨てて出て行って、俺ひとりが両親を背負い込まされたせいで、結婚出来ないんだ!」
と、兄の『独身』という事さえも、和多志に全責任転嫁されて来た。
しかも、兄は和多志に、『小姑まで居ると俺が結婚出来ないから、早く出て行け!』と言い続けていた為に、和多志が両親と兄に気をすり減らし続け、成人後まで経済的な迷惑を掛けられないと思い、ひとり暮らしや結婚で実家を出て行った事に対しては、『お前は両親を捨てて、自分勝手に出て行った!』と責めた。
両家共に、『矛盾した言動』ばかりで、『超~他人軸で自己犠牲・自責思考の奴隷マインド』に育てられた和多志は、常に周りの人達に合わせた言動をして生きていたので、本当に振り回され続け、疲弊し続けていた。
母親が亡くなった時も、和多志は父親の為にと、ネットでお葬式の挨拶文を探していた時、亡くなった人の預金の解約についての情報を知り、それを兄に伝えたら、
「母親の遺産を狙っているんだろうが、母親は新興宗教に騙されて、ほとんど預金は残っていない!
お前にやる金なんて、1円もない!」
と、和多志が考えもしない事を言われ、心底ビックリした。
まだまだあるが、両親の異常な思考を、そのまま引き継いている兄とも、長年、多々あった。
兄妹とは言え、一緒に住んでいた時、繋がっていた時の、良い思い出など記憶に無い。
しかしながら、両親と同様に、和多志は兄までも甘やかし過ぎてしまったのだと反省している。
これは、DV・モラハラ・サイコパス人格元夫や婚家・親戚一同に対しても、同じ事が言える。
ずっと、約50年近く(婚家とは20代の7年間だったが)、両家や、これまでの様々な職場でもだったが、和多志ひとりが常に悪者にされ、それを和多志自身も受け入れ、『自分責め』しながら、ずっと人間関係は『一方通行の主従関係』で生きて来た。
それこそが、『和多志に関わる人達を、存分に甘やかし、怠惰で傲慢にした原因』だったのだ。
大元は、特に母親からの『しつけと称する親都合の洗脳』だったのだが、根深過ぎて、その事に長年、気付かないまま、和多志の周りの多くの人達を『怠惰で傲慢』にし、その相手達自身の『和多志との関係性での魂磨きの機会を阻害して来た』と、今、心底、反省している。
なので、和多志は、本当の意味での『親孝行』という事をしていなかったし、本当の意味での『夫を支える』という事も出来ていなかったと思う。
ただ単に、自己犠牲してまでも、必死に相手達の世話をし続け、常に味方で居続け、自分に出来る以上に無理をし続けて世話をし、相手達を助け守り支え続け、『相手達をどんどん怠惰で傲慢にして行っただけ』だったと思う。
よく、
『相手を大切にし優しくするだけでは、本当の愛とは言えない!』
と言われるが、まさに和多志のこれまでの人間関係は全て、これだったと思い、『相手を怠惰で傲慢にしただけだった!』と、今、大反省している。
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長過ぎる駄文を最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一大好きです!大感謝です!
1日も早く、世界中の人々が健康で豊かで愛情溢れる平和で穏やかな日々を、幸せに過ごす事が出来る『黄金時代』になりますように!
それでは、また!
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